その後しばらくして、京介も桔梗の家に到着した。時計を見れば、あの通話が終わってからきっちり二時間だったので、驚きである。
ちょうど京介と初対面のナツ婆や佐那がいたので、簡単に挨拶と自己紹介などで顔合わせをする傍ら、改めて、状況の説明をすることになった。佐那はここに来るまでに、ハル爺の事や他の犬神家の面々が人狼の里で匿われていること、そして、恋人である拍の意識が未だに戻っていないことなどを聞いていたらしい。ちなみに、猫田の事は狛がお見舞いへ行った際に話をしてあるので知っている。狛や他の犬神家の人々にとっても、今では大切な家族の一員となっている事までも、だ。
「――と言う訳だから、一週間後…ええと、今から四日後、になるのかな?その時、猫田さん達を助け出そうと思うの。ごめんね、皆…どうか力を貸して。お願いします」
狛が説明を終えると、皆が顔をしかめて何かを考えているようだった。悩むのも無理はない、神野達の事は狛の説明で聞いただけだが、日本の妖怪達を統べる魔王だと言っているのだ。それ自体がなんとも荒唐無稽な話だし、何よりもそれらを手駒として扱う槐達と戦わねばならないとなれば、一般的な退魔士ならば一笑に付して信じないか、手に負えないと逃げ出すだろう。
狛はそれがどんなに無茶な事かを理解しているので、改めて頭を下げた。初めから着いてくる気でいる神奈はともかく、京介と佐那、それにナツ婆はほとんど無関係なのだ。命懸けの戦いになることは明白なので、自然と頭を下げたのである。
「大丈夫。俺は承知の上でここに来てるから、心配しなくてもいいよ。それに、猫田さんは俺にとっても大事な仲間だしね」
「京介さん…」
そう言って、京介は優しく狛の肩に手を置いて微笑んだ。今はそんな状況ではないと解ってはいるが、京介の優しい声とその手の温もりは心強く、とても嬉しい。京介はこれを天然でやっているのだから性質が悪い。猫田が言うように、勘違いをする女性が多いと言うのも納得である。
そんな風に少しだけ浸っている狛の様子などお構いなしに、目を瞑ったままのナツ婆はぶっきらぼうな声をあげた。
「儂も一緒じゃ。ハルに頼まれたのもそうじゃが、狛は儂らの大事な身内、守ってやるのは当然じゃろうが」
「そうね。私も同じよ、狛。あの時は猫田さんにも助けられたし、狛が助けに行くと言うなら一人で行かせるわけにはいかないものね」
「二人共…ありがとう……!」
狛はただただ深く頭を下げて、感謝の気持ちを表すのが精一杯だった。そんな狛の隣で、神奈は不安そうに呟く。
「しかし、それでも五人…アスラを入れても五人と一匹か。話を聞く限り、数の差は絶望的だな……」
「それについて少し考えてみたんだが、いっそ少数で動くなら、期日を待たずにこちらから潜入するというのはどうだろう?」
「え?」
京介の提案に狛は驚いて間の抜けた声しか出なかった。神奈や佐那も、その真意が掴めずに困惑しているようだ。ただ、ナツ婆だけは、ニヤリと笑って京介を見据えている。
「話を聞く限り、敵の目的は邪魔者となる狛ちゃんや、その仲間達を集めて一網打尽にすることだろう。わざわざ猫田さんを捕まえて伝言を寄越すくらいだ、それは疑いようがない。ならば、敢えて相手の策に乗る必要はないはずだ。こちらが少数であることは隠密行動に適しているからね、正面からぶつかるのではなく、まずは猫田さん達を救出して逃げることを優先するのがいいと思うんだ、どうかな?」
京介の言う通り、何も真っ向勝負に出る必要はない。今優先すべきは猫田と
「お
「ふふ、ありがとうございます」
二人は悪だくみをする悪戯っ子のように不敵な笑みを浮かべている。かたや狛は、レディからの伝言を聞いてからずっと、どうやって大軍を相手にして戦い、猫田達を助けるかという考えしか頭になかった。良くも悪くも若くて素直な狛には、老獪な戦術というものを考えるのが苦手なのであった。
ただ、そうなると問題なのは、槐達の拠点がどこにあるのかだ。レディが指定してきたのは
「ち、ちょっと待って!私達、槐叔父さん達がどこに居るのか、知らないよ?潜入するって言ってもどこへ行けばいいのか…」
狛が狼狽えながらそう言うと、ナツ婆はまた笑って胸を張った。
「へっ、安心しろ、あのバカ息子の居場所くれぇ、もう知っとる」
「え!?そうだったの?」
ナツ婆の言うバカ息子、とは槐の事だ。槐は狛達の父、真の弟であり、れっきとしたハル爺とナツ婆の息子なのである。子どものいなかった他の分家へ養子に出したとはいえ、ナツ婆にとっては息子であることに変わりはない。それ故、ハル爺を手にかけた槐に対しては、誰よりも愛憎渦巻いているのだった。
「当たり前じゃろ、儂を誰だと思うとる。儂は昔、猟犬と呼ばれた女だぞ?そんぐれぇ朝飯前だ。佐那の隠れ家もすぐ解ったわ」
「ええ~……そ、そうだったんだ…佐那姉、知ってた?」
「ううん…私も初耳。確かに昔から、ナツ婆は鼻が利くって言われてたけど……」
鼻の利き具合なら狛も負けてはいないはずだが、流石に佐那の隠れ家を探し当てたり、槐の拠点の場所を突きとめたりは出来そうにない。実際には嗅覚だけでなく、直感など様々な物を駆使しているのだろうが、それにしても恐ろしい技術である。
「敵の居場所が解っているなら、出来るだけ早く動いた方がいいな。期日を指定しているなら、それより前に動けば相手の隙を突けるはずだ。何より、早ければ早い程、人質を助けられる確率は上がるだろうしね」
期日を指定してきた以上、それより前に人質を死なせてしまっては人質の意味が無くなってしまう。その意味でも、京介の提案した奇襲には大きな価値があると言えるだろう。ただ、槐達の拠点がどこか解らない為に今まで後手に回り続けていた事を考えれば、ナツ婆にはもう少し早くその特技を教えて欲しかったと狛は思った。
実を言えばハル爺が亡くなってから最近まで、ナツ婆は抜け殻のようになってしまっており、ろくに話も出来ない有り様であった。だが、ハル爺が夢枕に立った事でナツ婆は復活し、一人で人狼の里を抜け出してきたのだ。そうとは知らない里の者達は、ナツ婆が居なくなったと蜂の巣をつついたような大騒ぎになっているのだが、狛はそれを知る由もない。
「で、出来るだけ早くって、どうするんだ…?今から行くのか?」
ルルドゥは焦った様子で、身体をかすかに震えさせている。どうやら、ルルドゥも一緒に行くつもりらしい。ルルドゥが怖がりな事はよく解っているので、狛は連れて行くつもりはなかったのだが、ルルドゥからすれば一人で置いて行かれるのも嫌なのだろう。必死な姿がどこかおかしくて、狛は微笑みながらルルドゥの頭を撫でてやった。
「震えちゃって…恐かったら待っててもいいんだよ?」
「ふ、ふん!震えているのはむ、武者震いという奴だ!ここで
ルルドゥは強がりながらも、なんやかんやで猫田の事を嫌ってはいないようである。割と乱暴にいじられたりしているが、あれもスキンシップのようなものなのだろう。まだ神としては子どもであるルルドゥには、猫田が兄のような存在なのかもしれない。狛はルルドゥと猫田の間に絆があるのだと感じて、嬉しさを覚えている。
「…相手が妖怪ばかりなら、夜は逆に彼らの時間だ。行くなら朝がいいな、明け方に動き出そう」
京介がそう言うと、全員が頷いて作戦は決まった。狛達は一時の休息を取って、思い思いに出発の刻を待つのだった。