鋭い切っ先が、神奈の鼻先をかすめていった。
「くっ!?」
咄嗟に反応して直撃を避けたが、ぼけっとしていれば首が飛ぶ。今のは顔の皮でも剥ぎ取るつもりの一撃だったようだが、どちらにしても命取りだ。
「良い反応だ、ここ数日の修練が活きているね。やはり、精神が君の
にこやかに微笑んでいるが、小りんの殺気は欠片も消えていない。それが逆に、恐ろしさを増加させていた。金剛業鬼と相対した時、いや、それ以上の圧が小りんから感じられる。それでも、恐怖に呑まれることなく襲い来る刀を避けながら、神奈は小りんから距離を取った。
「何故だ!?どうして私の命…いや、私の身体を!?」
「決まってるだろう、敵の狙いは私の顕明連だ。しかし、現在の持ち手は存在していないも同然…何しろ、私が魂の中に抱え込んでいるからね。本来であれば、私が母・鈴鹿様から継承したように、所有者の代替わりをせねばならなかった。それが叶わなかったのは、実に残念だよ」
手にした刀を弄ぶように、小りんは手当たり次第に振るう。刃風が周囲の草花や大地を斬り削っていく様は、あの鴉天狗の頭領、
「ああ、言っておくが、これは顕明連じゃあない。君の手に握られているものも…まぁ、数打ちのありふれたものだ。生憎と顕明連は一つしかないのでね、私だけが使っていたら、勝負にならないだろう?」
「な、なんだって…?」
先程目覚めてから、確かに神奈の右手に一振りの太刀が握られていた。小りんの言う通り、顕明連とは違う、何の力も感じられないただの刀だ。先程感じた違和感はそれだ、小りんの手にある刀からも何ら力が感じられない。彼女の言う通りならば、得物は同格…ただの量産品の刀でしかない。息を呑む神奈に対し、小りんがその狙いを叩きつけた。
「さっきの質問に答えようか。君の身体を私が使えば、これからもまた来るであろう刺客に対処しやすい…それだけのことだよ。このまま君を鍛えた所でこれから先も続くであろう鬼共の襲撃には耐えられまい。ならば、唯一正当なる顕明連の継承者であるこの私が、矢面に立つべきだ。安心していい、君の魂の中で目覚めてから、十分この時代の事は学習してきた。君以上に完璧な蘿蔔神奈として、これからを生きてあげよう。……君は、戦いに苦しむ必要などないようにね」
小りんの言葉に、ウソはないように思えた。当初、神奈の頭の中で会話をしてきた時よりも小りんの言葉は砕けて、英語を取り入れたりして現代人らしい喋り方になっている。魂だけだというのに、信じられない学習能力だ。恐らく、神奈の身体に蓄積された記憶や知識を共有しているに違いない。前世と来世という、魂の上では同一人物だからなせる業なのだろう。
付け加えれば、確かに小りんの言い分は理に適っていると言ってもいい。ポンポンと身体の主導権を切り替えられないのであれば確かにその方が効率的だ。猫田も危惧していた、今回だけに限らない襲撃にも対応は容易になるだろう。だが、いくらなんでもはいそうですかと飲める申し出でもない。それならば、顕明連の持ち主として神奈を選ぶか、今までのように貸与してくれれば済むはずだ。例え鬼の宝である神剣の為であっても、自分の身体を明け渡す気にはなれなかった。
「そんなもの…!飲めるわけがない!」
「…だろうね。だから、勝負なんだよ。神奈が勝てばそれでよし、そうでないなら…私が守り抜くしかないのさ。顕明連の力は君も体験した通りだ、これをどこの馬の骨とも解らぬ鬼にくれてやるわけにはいかない。何をしでかすか、解ったものじゃないからね。我らの母、鈴鹿御前の逸話を知れば猶更だ」
神奈自身、自分が小りんという人物の来世であると知った時、その母である鈴鹿御前について調べてみたのである程度の逸話は知っている。坂上田村麻呂に出会う前の鈴鹿御前は、まさに鬼姫と呼ぶに相応しい乱暴狼藉者であったようだ。それをなし得たのは、父である第六天の魔王から受け継いだ鬼の力と大通連、小通連そして顕明連という三本の神剣――通称、三明の剣と呼ばれる剣があってこそである。
鈴鹿御前が逝去する際、三明の剣の内、大通連と小通連は夫である田村丸俊宗に与えられ、残った顕明連だけが小りんに継承された。残り二つの神剣は、今となっては行方知れずだが、顕明連だけが今も残っているのは半鬼であった小りんが己の魂に紐づけて所有していたからに他ならない。
確かに、顕明連がもたらす神通力は強力で、たった一本だけでも力のある鬼や妖怪の手に渡れば悪用される恐れがある。それを避けねばならないという小りんの使命感に似た考えは理解できるものだ。しかし、神奈にしてみれば、半ば勝手に押し付けられたようなものに人生を賭けろというのは到底納得できない話だった。
「……どうあっても、私と戦うつもりなのか?」
「もちろんだ。そもそも、私に勝たなければこの空間から出る事も出来ないよ。残念だが、君に選択肢はないのさ」
「解った。…今まで何度も助けられたあなたに刃を向けたくなかったが、ここで身体を明け渡すわけにもいかない。勝負を受けよう」
「ふ、度胸がついたね。本当に、この数日の成果が出ているよ。…では、改めて始めようか」
そうして、覚悟を決めた神奈と小りんは、向かい合って対峙する。どちらも鬼の血を引く肉体を持ち、魂も同じである存在だ。経験の差による実力の違いがどこまで出るのか、勝負は読めない。
神奈はまず正眼に構え、小りんのどんな攻撃に対応できるようにした。これまでに剣道で培ってきた技術が、小りんにどこまで通用するのかは解らない。だからこそ、受けに回ることにしたのである。対する小りんは、構えらしい構えを取っておらず自然体と言える形だ。そんな対照的な互いの緊張感が張り詰めてピークに達した時、神奈の狙い通り、まず先に動いたのは小りんだった。
「はぁっ!」
真っ直ぐに飛びこんで右手だけで袈裟懸けに刀を振るう。特に神通力を使った様子はないが、その動きは途轍もなく早かった。それでも、神奈は敏感にその動きに対応して一歩踏み込み、肩への一撃を受け止める。
「えぇいっ!!」
「っ!?」
受け止めた刀を、全力でかち上げて態勢を崩す。防がれることはともかく、神奈が一歩踏み込んでくると思っていなかった小りんは、その勢いに押されて思惑通りに姿勢を維持できなくなった。そこを狙って、神奈は素早く唐竹割りに脳天への一撃を放つ。しかし、当たると思われていたその一撃は虚しく空を切るばかりであった。
「危ない、危ない。もう少し反応が遅れたら一刀両断だったな」
「ちっ、神通力か…!」
神奈のそれは剣道や剣術における技術の戦法だ。対する小りんは我流の剣法であり、鬼としての力をフルに活用したものである。小りんが生きたとされる平安時代末期には、既に現在の剣術の源流となる古代剣術は生まれていたようだが、小りんは半鬼としての力に頼ったのか、我流で剣の腕を磨いたらしい。なので、当然、神通力の使用も当たり前のようだ。
神奈は舌打ちをしながらも、剣で戦う上での
それを目の当たりにして、神奈はこの一週間の内に猫田から聞かされた、先祖義隆の話を思い出す。
『あいつが得意としてたのは、神速と怪力、それに空中歩行だな。他にもいくつか使ってるのを見た事はあるが、ほとんどがその三つだ。だから、まずはその三つを完璧に仕込んでやる――』
(今のは神速…縮地というものか。以前、顕明連を借り受けた時に使ったことがあるな…!)
神奈は小りんの動きを冷静に分析して、自らの両足に霊力を集中させた。そして、勢いよく踏み込んで小りんに向かって走る。
「むっ!?」
「くっ!?早すぎる…!」
霊力を強く込め過ぎたのか、自分の動きだと言うのに、まるでコントロールが効かず神奈は小りんを追い越してしまっていた。神通力を使っての戦いで難しいのは、自分の能力を正確に見極めてコントロールしなければならない点である。神速の扱いに集中するあまり、今のように攻撃を忘れてしまっては本末転倒だ。その代わり、しっかりと扱いが習熟出来れば、その効果は身のこなし全体に機能する。ただ走るのが早くなるだけではないのである。
一方、小りんは、知らぬ間に自分を置き去りにした神奈の動きに苦笑しながらも、内心で感嘆の声を上げていた。
(未熟とはいえ、大したものだ。私でさえ、今の動きは見切れなかった…やはり、魂は磨きがかかるものだな。だが……!)
何かを決意した小りんの瞳が怪しく光る。どちらに軍配が上がるのか?それはまだ、誰にも解らない。