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第283話 神奈の修行

 それから一週間、神奈は桔梗の家にほぼ泊まり込みで、修行の日々を過ごす事となった。


「いいか?神通力は神の力で起こすもんじゃねぇ、霊力で再現する神の力だ。だからまずはしっかり、自分の霊力をコントロールする所から始めるんだ。…おい、狛、手伝ってやんな」


「うん、任せて。…神奈ちゃん、ちょっと寒いけど頑張ろうね!」


「あ、ああ…」


 そう言って連れて来られたのは、犬神家の裏山にある小さな滝である。それ自体は大きな滝ではないが、非常に水量が多く滝行にはピッタリな場所と言える。犬神家の退魔士達は、皆ここで幼い頃から精神修練の行を積むのだ。もう6月ともなれば気温がそこそこ高くなっているのでまだマシだが、滝のある山中は平地よりも気温が低い。しかも、これを早朝から行う為、二日目以降は深夜の内に起きて桔梗の家から山まで移動し、滝行をしてから学校へ行くことになった。その労力はかなりのものだろう。


「ううぅ…さ、寒い…!」


「あはは、この時期なら山から降りる間に身体が温まるよ。あとはご飯もしっかり食べないとだね」


 早朝に滝の水を全身から浴びて経文を唱えていると、身体の芯から冷え込んでいくのが解る。だが、泣き言は言っていられない。狛は慣れっこになっているので笑い飛ばしているが、神奈には相当厳しい修行のようだ。とても朝食を食べる余裕などなかった。しかし、修行はこれだけでは終わらない。


 昼休みには、学校の屋上で座禅を組んで再び精神修練である。そもそも一週間やそこらでは体力や筋肉が簡単につくはずもない、今回の修行は主として神奈が自身の霊力を高めたり、効率よく扱う為のものなのだ。

 朝とは違い、この時期の屋上はかなり暑い。今年は梅雨が遅いこともあって天気がよく、日差しが強かった。狛と神奈、それにメイリーが屋上に行くと、コッソリと学園に侵入していた猫田が待機していた。警策を片手に準備万端といった様子だ。

 狛は一緒に付き合ってくれるが、メイリーはその真面目な様子に即行でサポート役を買って出ていた。どっち道、メイリーが修行をしても意味はないので構わないが、一人だけ日陰で涼んでいるのは友達とはいえ腹立たしい。そんな思いを見抜かれて、神奈は散々肩を叩かれる羽目になったのだった。


 そして、夜も修行は続く。初日から三日ほどは疲れてろくに食事も摂れなかったが、風呂に入って身を清めた後に行うのは霊符の作成である。本来、霊符を作るのは早朝、水垢離をして身を清めた後にやるものなのだが、今回は修行が目的なので正式な作法に則る必要はない。それでも、きちんと正装をし、刃を口に咥えて霊符を作るのは精神集中にはうってつけだ。また作成する際にはちゃんと霊力を込めなければ霊符として機能しないので、繊細なコントロールも要求される。一石二鳥の修行である。


「む……」


「コラ、手が止まってるぞ」


「あ、ああ。すまない…しかし、眠気が……」


 流石に、食事も摂らずに朝から修行と日常生活を両立させようとするのは無理があるのだろう。三日目の夜、ついに神奈は体力の限界を迎えたのか眠気に勝てず、舟を漕ぎ始めていた。刃物を口にしているので寝落ちするのは非常に危ない。狛が慌てて止めようとすると、猫田がそれを制して、尻尾で神奈の頭を叩いた。刃物を落とさなかったのは良かったが、口の端がほんの少しだけ切れてしまっている。


「あいたっ!?」


「真面目にやれ!次いつまた鬼が襲って来るか解んねーんだろ。しっかりしねぇと、今度は死ぬかもしれねぇぞ!」


「ちょっと猫田さんっ!あんまりだよ!?」


「いや、いいんだ、狛…ありがとう」


 力無く頭を下げて、神奈は再び霊符作成に取り掛かる。狛はそんな神奈の姿に胸を痛めて、猫田を睨みつけている。その後、神奈が既定の枚数の霊符を作り終えたのは、就寝予定の時刻を二時間程過ぎてからであった。


 その日の深夜、灯りを消したリビングで猫田が一人ジュースを飲んでいた。すると、いつもは狛と一緒に寝ているはずのルルドゥがやってきて、ぴょこんとテーブルの上に飛び乗った。


「……行儀悪ぎょうぎわりぃぞ」


「ふん、我はペットじゃないのだから机の上に載ってもいいのだ。それより、ずいぶん暗いではないか。駄猫だびょうらしくない」


「誰が駄猫だ、この野郎!……ったく、暇ならさっさと寝ろ。お前に構ってる暇はねーんだ」


「…だったら殴るな!頭の形が変わってしまうだろうが。……聞いたぞ、狛を怒らせたそうだな?」


 若干涙目になりながら、ルルドゥは横目で猫田の顔を流し見ている。猫田は苦い顔をして、その視線を避けるようにそっぽを向いてしまった。


「…あんのへそ曲がりが。あいつは甘いんだよ、ありゃぁ人を育てるのに向いてねーな」


「へそ曲がりはお前だろう、さっさと謝ればいいものを。…しかし、ずいぶん気に掛けるのだな、あの神奈とか言う娘を。どういう心境だ?」


「別に。…まぁ、世話になった古い馴染みの子孫だからな。狛ほどじゃねぇが、一人前になる手助けくらいはしてやろうと思っただけだ」


 猫田はちびちびとジュースを飲み、コップの中身が空になると注ぎ足す。まるで酒飲みのようである。よほど狛が怒ったのを気にしているのだろう。素直に謝れない所を見て、ルルドゥは面白そうに笑っていた。


「なんだよ?」


「いや、別に?…ふふ、お前と狛は真逆だなぁ。狛はあんなに素直なのにお前は実に意地っ張りだ、見ていて面白い」


「…俺を見世物扱いとは良い度胸じゃねーか。その頭を捻じ曲げてトカゲにしてやろうか?」


「やめろっ!?……だが、いくらなんでも厳しすぎじゃあないのか?別にそんな鬼くらいお前と狛が退治してやれば済むだろうに」


「それじゃあ、解決にならねーからだよ。神奈を狙ってきた鬼は、アイツの持ってる剣が狙いらしい。そんで、その剣は鬼共の宝なんだと。…だったら、襲ってくるのが今回だけとは限らねぇだろう。俺や狛がずっとついていられるわけじゃねぇんだ。自分で撃退できるくらいの強さがなきゃ、本当の意味で解決にならねぇ」


 猫田はそう言って、コップに残っていたジュースを一気に呷った。その頭に浮かんでいるのは、先日、山本さんもとから聞かされた、神による槐達への討伐作戦である。山本さんもとも詳細は知らされておらず、いつ作戦が決行されるのかも定かではないが、ずっとそれが頭から離れない。そもそも、神が人間を討伐するというのは異例中の異例である。何故なら神の力の根源は人の信仰心であり、そんな彼らが人と敵対することなど、基本的にあり得ないからだ。神が人に仇なす存在と認識されれば、神ではいられなくなってしまう…普段は人間に力や加護を与えて傍観しているのもそれが理由だ。

 また、人を殺すということは穢れを呼び込む結果にも繋がるのだ。例え相手がどんな極悪人であろうとも、それは変わらない。日本の神は特に穢れを嫌うので、神使や使徒を使うのである。以前、神は腰が重いものと山本さんもとが揶揄していたのはそう言った事情を知っているからであった。


 それに加えて、先頃出会った化け猫の八花ヤハナと、八花が志多羅しだらと呼んだ謎の妖怪の事も気になっている。八花とは直接戦ったし、また彼女を助けにきた志多羅という妖怪とは戦っていないが、その力が尋常でないことは容易に推し量る事ができた。しかも、あの時の口振りからすると、彼らには従うべき上位の存在がいるらしい。槐達の事は神が何とかしてくれるにしても、頭の痛い問題である事に変わりはない。


 怪異や心霊現象に出会う事が当たり前になってしまったこの国で、そう言った脅威が存在する以上は、身を守る術は必要不可欠だ。ましてや、狙われる理由があるのなら猶の事である。猫田が神奈を鍛えようと考えたのは、それらの理由が絡み合っているからであった。



 それから四日後、神奈は修行に慣れたのと自身の霊力の扱いに慣れてきた事もあって、修行を一旦止めて自宅へ帰ることになった。これで修行が完全に終わるわけではなく、最後の仕上げをする前に、しっかり休んで体調を整えさせようと猫田が言い出したのである。


 猫田と狛の関係がギクシャクしている事に神奈も気付いていたので、一晩明けるのは都合が良かった。狛と一緒に暮らした時間はある意味天国のようであったというのに、修行が予想以上にきつく、ほとんど記憶にないのが残念でならない。神奈が自室に帰ってベッドで横になると、それまでずっと黙っていた小りんの声が、頭に響く。


――神奈、よく頑張ったね。たった一週間でここまで心を鍛えられるとは…まるで見違えるようだよ。流石だな、猫田は。


「小りんさんか…ずっと静かに黙っていたのに、どういう風の吹き回しだ?まぁ、自分でも驚くほど、落ち着いて集中できるようになったと思うよ。今なら、あの鬼にも……」


――それは無理だな。いくら君が精神を鍛え、神通力を身につけようとも、あの金剛業鬼こんごうごうきには敵わないだろう。…顕明連無しでは、ね。


 せっかくついた自信をバッサリと切り捨てられ、流石の神奈も頭に来たようだ。ムッとした表情になって起き上がり、紫鏡を睨みつけた。


「じゃあ、どうしろって言うんだ?私に出来るだけの事はしたというのに…」


――決まっているじゃないか、私が戦えばいいんだよ。ちょうどいい、はっきり言ってあげよう。……その為に、君の身体を明け渡してくれ。これからは私が神奈となって生きてあげるよ、そうすれば、この先何度顕明連を狙う敵が来ても問題なくなるだろう?


「なっ!?何を言ってるんだ?そんなこと、出来るはずがないだろうっ…!」


 動揺し、激昂する神奈だったが、気付けば自分が見た事もない場所で立っている事に気付く。さっきまで自室のベッドの上に座っていたはずなのに、一体どうなっているのか訳が解らないことだらけだ。すると、戸惑う神奈の目の前に狩衣を纏った一人の女性が現れた。手には刀を持ち、信じられない程の殺気を纏っている。


「…ようこそ、神奈。さぁ、君の身体を賭けて勝負と行こうじゃないか」


 その女性――小りんはそう言うと、ニヤリと口の端を持ち上げて笑っていた。避けられぬ戦いの幕が、開こうとしている。

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