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第279話 猫田と山本、再び

 鍋縞親子の騒動が終わってから、一週間ほどが経過した。あの後、無事に新月も過ぎて狛の体調は元通りである。ルルドゥは狛に助けられてから、すっかり狛に懐ききっていて、狛が家にいる間はアスラと一緒になってずっと傍から離れなくなっていた。当初はあれだけ恋音に固執していたのに、現金なものである。


 光重の父、直繁は出血こそ酷かったが、怪我自体はさほどでもなく現在は快方に向かっているらしい。もっとも、高齢なのでどこまで元通りになれるかは怪しいだからか意気消沈しており、噂では会社を部下に譲る方向で考えているらしい。息子の光重が廃人同様になってしまったのも、相当ショックだったのだろう。

 槐達との関係を話してくれはしたが、特にこれと言って使えるものは無かった。槐達にとっての彼らは、便利に金を引っ張れる相手でしかなかったということだ。せめて、槐達の根城だけでも解ればよかったのだが。


 それでも、槐達のパトロンを一つでも潰せた事は大きな一歩である。当初、槐の目論見では、長老達を排して犬神家の莫大な財産を手にするはずだったのだろうが、長老達は隠れて生きていてそちらをしっかりとロックしている。槐も人間である以上、生きていくのに金は必要だ。いくら妖怪が混じっていても、組織ともなれば余計に金がかかるのだから、資金源を潰すのは有用である。


 目下、狛達の目標は槐の暴走を止めることにあり、その為にはやはりトップである槐の身柄を押さえる事が一番である。仮に居場所を突き止める事が出来れば、山本さんもと率いる妖怪軍団が襲撃をする手筈になっている。現在、行方の分からない神野もそこに合流すれば向かうところ敵なしだ。とはいえ、槐達が狂華種と呼ぶ妖怪を狂わす石の存在がある以上、妖怪達だけに任せるわけにもいかない。自ずと、狛も決戦へ参加することになるだろう。仮に槐が妖怪達の手に落ちれば、どういう末路を迎えるかは想像に難くない。あまり考えたくない話だが、これだけの事をしでかしたのだから、仕方のないことだろう。

 出来れば、犬神家の手で終わらせるべきだと、長老達の意見は一致しているが、どちらにしても優しい狛には少々荷が重い話である。


 そして、騒動以来、猫田は日向ぼっこをしながら、何かを考え込む様子が増えていた。狛が心配して声をかけても生返事ばかりで、いまいち要領を得ない。きっとその内話してくれるだろうと思っているが、何をそんなに悩んでいるのか、気になる所でもあった。


「ん?どうした?どこかへ行くのか?」


「ああ、ちょっと出て来る。夜までには戻るぜ、狛にも伝えておいてくれ」


 そんなある日の昼下がりのことだ。アスラとルルドゥ、そして猫田は集まって日向ぼっこをしていたが、やがておもむろに猫田が立ち上がり、人の姿になって出かけていった。恐らく、くりぃちゃぁに行くのだろう。ルルドゥは着いて行きたいとは言わず、そのまま見送ることにした。くりぃちゃぁの妖怪達は、神であるルルドゥを温かく迎えてくれはしたが、やはり神を苦手とする妖怪も多いのだ。無理に顔を出せば良くないことになると、ルルドゥは理解していた。


 一人で桔梗の家を出た猫田は、物憂げな表情を浮かべつつ、犬神家本邸の跡地へ向かった。目的は、山本さんもとに会う為である。ちなみに、数日前から犬神家跡地には業者が入って、新たな本邸を建てるべく準備が始まっている。早いもので、槐達の襲撃によって犬神家の本邸が破壊されてからもう半年が過ぎようとしている。

 未だ当主である拍は意識を取り戻していないので、槐達の追撃を恐れて、長老達を含めた犬神家の一族はそのほとんどが人狼の里に隠れているが、先述の通り槐との決戦はそう遠くない時期に訪れるだろう。それに備えて、新たな犬神家の本邸を作るのだと言い出したのは長老達の一人であるまみだったらしい。

 とはいえ、他の長老達も特に反対はしなかったようだ。さいが社長を務めるペットショップ関連の会社に業者を呼び、リモートで相談をして新たな家の設計をしたのだという。工事は急ピッチで行われ、かなり短い工期で建築が済むようだ。元の本邸よりも遥かに良いものにしてやる!とさいは息巻いていた。


 猫田が本邸跡地…現在は建設予定地に着くと、既に何人もの業者がひっきりなしに出入りをしていて、新たな家の基礎を作り始めているところだった。とてつもなく迅速な流れである。こうなってくると、ここはもう山本さんもとを呼び出すのには使えそうにない。猫田は仕方なく裏山に入り、人目のつかない沢の近くで、山本さんもとを呼び出すことにした。


「あーっと、確か…『かしこみかしこみ、我らが山本五郎左衛門さんもとごろうざえもんに願い奉る』……あの爺さん、神にでもなるつもりかね?」


 柏手を打ち、そう呟くとざわざわと木々が音を立て、やがて空気が振動し始めた。以前、山本さんもとを呼び出そうとして音霧とやり合った際、猫田は山本さんもとを呼び出す為のことばを与えられた。これを唱えれば、ややこしい召喚陣など描かなくても山本さんもとを呼び出す事が出来るらしい。言わば、秘密の合言葉である。

 若干、神への祝詞染みた内容なのがおかしいが、魔王である山本さんもとや神野は、妖怪にとっての神のようなものだ。そう言う意味では、そう間違ったものでもないのかもしれない。


 振動が収まると、猫田の目の前にはぽっかりと空間に穴が開いていた。穴の向こうには全く違う場所が見えている。山本さんもとが済む、異空間の屋敷に繋がっているのだ。猫田はその穴を、まるで飲み屋の暖簾をくぐるような気軽さでヒョイと通り抜けた。その先にあるのは、犬神家の屋敷に負けずとも劣らない大きな日本家屋である。


「デケェ家だな、相変わらず。…おーい、山本さんもとさんよ。俺だ、猫田だ!居るか?」


 玄関前まで移動して、猫田は大声をかけてみた。神野と違い、山本さんもとは妖怪達を取り纏める役目をしっかりと果たしている。故に当然ながら忙しいようで、家を留守にしている事も多いらしい。

 黙って家に入るわけにもいかないので呼びかけてみたが、どうやら今日は在宅だったようだ。中で誰かの気配がしてしばらくすると、音霧が顔を出した。


「あ、この間の猫田だ!」


「よう、ガキ。山本さんもとの爺さんはいるか?」


「いるよ!奥でししゃと話してる!」


「死者?…あー、もしかして使者か?客が来てるってことか?」


「そう!でも、もう終わるから上がってもらえって」


 そう言うと、音霧はトトトと軽い足取りで廊下を走って行ってしまった。何とも自由な娘である。初めて会ったばかりの時は、もう少ししっかりしていたような気もするが、恐らく今の状態が素なのだ。ルルドゥと引き合わせたらどんな反応をするだろうか?と思いつつ、猫田は誘われるままに屋敷の中へと入って行った。使者が来ていると言うだけあって、屋敷の中はとても静かだ。前回来た時には、山本さんもとの世話をする妖怪達が何体もいたのだが、今日は全く姿を見かけない。どうやら、よほどの大物が来ているらしい。


 猫田は少し気を引き締めて廊下を進んでいく。妖怪の世界は基本的に、強いものが正義な世界である。人間と違って下手に出ると、調子に乗って舐められるのが妖怪同士の常なのだ。なので、妖怪を相手にするときはまず格下に見られないよう、気をつけるのがお約束なのである。


 音霧の後を追いかけていくと、大きな和室に辿り着いた。応接間なのは解るが、中から山本さんもと以外の妖気は感じられない。むしろ、そこから感じられるのは神の力、神気である。


(なんでこんな所で神気が…?最近、神の連中に縁があるな……)


 猫田は訝しみながらも、音霧の後ろに着く。すると、音霧は大きな声で山本さんもとに呼びかけた。


「爺ちゃん!猫田連れてきたよ!」


「…おお、そうか。入ってよいぞ」


 「はーい」と威勢のいい声をあげて音霧が襖を開けると、大きな机の奥に山本さんもとが座っていた。腕を組み、目を瞑って、何やら難しい事を考えている風である。

 猫田が音霧の後に続いて部屋に入るが、来客の姿は無かった。それどころか、さっきまで感じていた神気も消えている。一体どう言う事なのか。


「良く来たな、猫田。楽にしてくれ」


「ああ、それはありがてぇが…来客中じゃなかったのか?」


「ん。話は終わったので、帰っていったわ。神の連中は本当に忙しないものだな…使者というのも神本人ではなく、式神のようなものを寄越してきおった」


 やはり、来客は神の使者であったようだ。言われてみれば畳の上に、人形ひとがたの式符が落ちている。神が妖怪と連絡を取る事自体が稀なことではあるが、一体何の用だったのかは解らない。


「神の使者たぁ、穏やかじゃねーな。しかも、相手がアンタじゃな。…何かあったのか?」


「丁度良い。お前にも話しておくべきだろう。……近々、神の連中が槐とやらの元に手勢を送り込む事にしたようだ。流石にこれ以上の狼藉は看過できぬと言っておった」


「何だと…?!槐の居場所が解ったのか?」


「神の手にかかれば、人間の隠れる場所などすぐ解ろうよ。ただ、こちらにその情報を渡すつもりはないらしい。あくまで先に手を打つから譲れと言いたいようだ。全く、傲慢な連中よ」


 忌々しいと吐き捨てるように付け加えて、山本さんもとは湯呑の中身を飲み干した。基本的に、日本の神々は妖怪達に対して不可侵を貫いている。それには様々な事情があるのだが、今回のように先触れを出す事が異例なのだ。山本さんもとの顔を立てようという意志はあるらしい。


 猫田は感心しつつも、胸の内に広がる嫌な予感を拭い去る事が出来なかった。その予感が現実のものになるとは思いもよらずに…である。

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