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第278話 近づく影

 狛が光重を恨みの念から解放したちょうどその頃、猫田は怒りを露わにしていた。


「恨みか…確かにな。俺だって昔は化け猫だったんだ、恨みも復讐も、必ずしも悪だとは思わねぇ。……だが、解ったぞ。テメェ、?」


 猫田の眼光が激しい怒りの炎を宿している。八花ヤハナはそれを、面白い舞台でも観ているかのように笑った。


「テメーは人間の恨みを力にすると言ったな?つまり、テメェがあの光重って奴に恨みを向けさせる為に、人間達を追い詰めたんだろう?…答えろ!」


「あら、解るのね。フフフ…そうよ、何人かの人間は私が恨みを遺して死ぬように仕向けたわ。昔は妖怪達を利用していたんだけど、人間は別格ね。複雑な精神をしている分、恨みや憎しみの強さが段違い……そう言う意味じゃ妖怪はダメね、憎悪そのものは持ち得ても彼らは根本が単純な分、感情が弱いわ。やっぱり、人間でなくちゃ…クスクスクス」


「ふざけんな!人間達はテメェの道具なんかじゃねぇぞ!そんな事の為に、あいつらを殺すなんざ…許さねぇ!」


 猫田のその怒りは、狛への思いだけではない。自らが化け猫へと変化するきっかけとなった最初の家族、妖怪でありながらも仲間として受け入れ、共に生死をかけて戦ったささえの仲間達、そして、現代で出会った人々……それら全てに対する感情だ。くりぃちゃぁの仲間達よりも、一歩引いて人間達と付き合っているつもりでも、実のところは他のどの妖怪達より、猫田は人間が好きなのだ。それは本人も気付いておらず、また指摘しても認めないだろうが、心根としてそうなのである。


「アハ…!そんなに人間に肩入れするなんて、あなた面白いのね。むしろ、あなたが人間みたいじゃない。クスクス」


「ぬかせっ!」


 猫田はその激しい怒りのままに身体を奮い立たせて、八花に飛び掛かった。対する八花は余裕の笑みを崩さず、同じ轍を踏もうとする猫田を愚かなものとして見下している。


「フフフ……その精神は立派だけど、頭は弱そう。学習しないのね、クスクス…」


 八花の挑発に乗った猫田は、猛然と突進し、ありったけの力を込めて


「な…!?」


「今度は手応えアリだぜ…!」


 そこは見た目には何もない、文字通りの空間だ。だが、猫田の爪がそれを切り裂いた途端、空間がパックリと割れて、夥しい量の血が流れ出た。同時に、八花は苦しみ、のたうち回ってその身体が崩れていく。そして、今度は血の流れ出た空中から、手傷を負った化け猫が姿を現した。こちらが本物の八花だ。


「な、何故解ったの…!?今まで、誰にも見破られたことなど無かったのに……!」


「よ~く聞いてみりゃあ、鈴の音とテメェの位置が微妙にズレてやがったからな。ご丁寧にそう離れた位置にいねぇから解り難かったが、気付いてみりゃあなんてこたぁねーや、猫の耳を舐めんなよ。……それで??」


 猫田が勝ち誇ったように挑発を返すと、八花は恐ろしい形相に変わっていった。今までは薄ら笑いを浮かべていたが、そんな余裕はもうないらしい。


「へっ!良い顔になったじゃねーか、そっちの方がよっぽど猫らしいぜ。さっきまでの不気味な笑顔と違ってよ!」


「おのれぇッ……!猫又風情がッ!」


 今度は八花が怒りを前面に押し出し、猫田に襲い掛かろうとする。しかし、その瞬間、猫田にも解るほどに光重に憑りついていたであろう恨みの念が霧散していくのが感じられた。これには八花も完全に想定外だったようで、激しく狼狽し、焦りをみせた。


「な、なに…?!バカな、私の…私の集めてきた恨みが…!あの小娘がやったのか!?そんな」


「へへっ、狛の奴を甘く見過ぎたな。人の感情がどうのこうのと偉そうに言ってやがったが、テメーは所詮そんなもんだ。人間の底力ってものをまるっきり理解しちゃいねぇんだよ。テメェなんぞに人の恨みは勿体ねーや」


「き、貴様ッ!」


 激昂する八花だったが、力の源である光重にたかっていた恨みの念を失い、八花自身の力も大きく弱体化している。そんな状態で向かっていこうとも、猫田の敵ではない。例え猫田が手痛いダメージを受けているとしてもだ。二匹の巨大な猫が互いに飛び掛かり、遂に雌雄を決しようとする。

 それはまさに一瞬の出来事であった。飛び上がった猫田と八花は、互いがすれ違うように着地するとまず先に猫田が膝を落として姿勢を崩す。


「くっ…!?」


「フフ……ウッ!?」


 しかし、更に激しく出血をしてみせたのは八花の方であった。先程受けた傷とは別に、更に深い爪痕がくっきりと残っている。この勝負が完全に猫田の勝利であることは、誰の目にも明らかだ。


「ぐ…やりやがる…!」


 もちろん猫田も無事で済んだわけではない。力の源を失っても尚、八花は驚くべきスピードと威力の一撃を持っていた。もしも、先程の攻撃で手傷を負っていなかったら、猫田は勝てたか解らない。それほどに、二人の実力が拮抗していたということだろう。

 猫田はふらつく身体をおして八花に向き直った。八花は強力な妖怪だ、今ここでトドメを刺さなければ危険である。


「復讐だけに生きるなら、退治されても文句は言えねぇだろう…テメェはここで仕留めさせてもらうぜ。悪く思うなよ」


「ッ!そこまで人間に肩入れするつもり?…お前だって、私と同じ存在のはずなのにッ!」


「…っ!」


 それは、猫田の心に深く刺さる言葉でもあった。いくら家族の仇討と言えど、化け猫として人を殺した過去は変わらない。猫田と八花が決定的に違うのは、復讐を遂げた後恨みを捨てたか、それでも尚、世を恨み続けたかの違いである。これまでに、人と長く深く接すれば接するほど、猫田は己の行いが罪となることを知っている。きっと自分もいつか、その罪を突き付けられる時が来るのだろう。八花の言う通り、彼女の姿はいつか来るであろう自分の姿かもしれないのだ。


「…それでも、俺は……」


 猫田が胸の内に詰まる言葉を漏らそうとした時、身体全体を押し包むような強い殺気が突然現れた。八花の創る異界が浸食され、ひび割れていく音がする。異界を外から上書きするなど、尋常ではない凄まじい力だ。


「なっ、なんだぁ!?」


「これは…あ、…」


「あの方だと…?そいつは一体……!?」


 猫田が問い終わる前に、冷たい視線が猫田に向けられた。凝視というべきそれは、妖怪である猫田でさえも、恐れに身が震えるような圧を伴っている。魔王である神野や山本さんもとに匹敵する、或いはそれ以上の力の持ち主であるようだった。


(バカな、そんなバケモノに覚えはねぇ…!それに、この国にそんなヤツがいるなら、神野達が黙っていねぇはず。いや、まさか…まさか!?)


 猫田の脳裏に浮かんだのは、あの日退治した八岐大蛇の姿である。だが、大蛇は間違いなくささえ隊の手で完全にした。魂の欠片さえ残さず、文字通り。復活の目など全くないはずだ。


 その一瞬の隙を突いて、何かが猫田の脇を通り抜けた。そして、素早く八花の身体を回収する。


「ここまでだ。帰るぞ、八花。これ以上、主の手を焼かせるな」


「何?!いつの間に…!」


 八花は小さな猫の姿に戻されていて、それを抱いているのは白髪の老人に見える男性である。


志多羅しだら…!?わ、私はまだ…ッ!」


「聞き分けろ、お前をここで喪うわけにはいかぬ。……しかし、妖がこうも人間に懐くとはな。主も興味を示したか」


 志多羅と呼ばれた男は、猫田を見据えて、感心したような口振りである。


(こ、コイツも強ぇぞ…!だが、コイツじゃねぇ。さっきから俺を見てやがるのは、誰だ!?)


 猫田を見つめる何かの視線、凶眼や邪視とも呼ぶべき強い気配は、尚も猫田を捕らえて放さない。やがて、外からの干渉に耐えられなくなったのか、八花の創った異界は完全に割れ砕けて消滅すると、周囲は元のビルに戻っていた。それと共に八花も、志多羅という男の姿も消え、猫田を見つめる視線も掻き消えたようだ。


「はぁっ…!な、なんだったんだ、今のは…!?」


 プレッシャーから解放された猫田は、深く息を吐いて、その場にへたり込んでしまった。槐達とは全く別の強敵が現れたことに、猫田は肝を冷やすのだった。

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