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第277話 神槍の威力

「せっ、セクハラだぁーーーーッ!!こ、このおと…モガモガ!」


「うるさい、静かに。…すまない、狛。許してくれとは言わない、しかし、他に手段が無かった。……後は、君に任せる」


「え、えっ!?ま、待ってっ!ちょっと待って!?」


 男は狛が覚醒したのを確認すると、謝ってから溶けるように。以前会った時もいつの間にか姿を消していたが、こういうことだったのかと、狛は混乱しつつもどこか腑に落ちたようである。


「グ、ググググ…ガガガガガッ!オ、おンなぁァぁっ!」


 その間に、蹴り飛ばされて壁にぶつかり倒れ込んでいた光重が起き上がって来た。大きなダメージを受けたようだが、まだ健在だ。キスで分け与えられた霊力だけでは、イツを呼び起こして人狼化するほどの余裕はない。ルルドゥを連れて一度撤退する事も頭に過ったが、視界の隅で倒れている直繁の姿が目に留まって、撤退の二文字は消えた。

 直繁も見た所、まだ息はあるようだが、時間をかければ助かるかは解らない。一刻も早く光重をなんとかして、救急車を呼ばなくては。


 狛が逆転の手段を探す中、キラリと光を反射するものが視えた。それは光重の首元に埋め込まれた、黒い宝石である。狛は知らないことだが、黒萩こはぎから与えられたこれは、狂華種の派生品であり、妖怪を狂わすのではなく人に悪しき力をもたらす物であった。黒萩こはぎは初めから、光重を捨て石にして、彼が怪物化する事を目論んでいたのだ。


「あれだ…!きっと、あれが…!」


 狛は何も知らないままに、直感でそれが元凶であると見抜いたようだ。しかし、今の狛に残された力では、すぐにそれを打ち砕くことは出来そうにない。そうしている間に、光重の身体から大量の妖気が溢れ出し、彼の身体から無数の腕が伸び出した。


「わわっ!?」


 ルルドゥを片手に抱えて、狛は伸びてきたその腕を走って躱す。恨みの念が具現化した腕が伸びる毎に、歪に肥大化していた光重の身体が崩れていく。彼は元々人間である為に、妖力に肉体が耐えきれなくなっているのだった。もはや、一刻の猶予も無いだろう。


「こ、狛!これを使え!我の槍なら、あの禍々しい石を一発で砕けるはずだっ!?ぁひえっ!?こ、コワイッ!ははは…早くなんとかしてっ!」


 走り回る狛を捕まえようと伸びる腕がルルドゥの目の前をかすめ、ルルドゥはすっかり怯えながら、神槍を異空間から取り出した。狛はそれを受け取ると、自らに流れ込む膨大な神気を制御する。


(な、なにこれ!?凄いパワーが流れ込んでくる!こんなの、長時間は抑えきれないっ!)


 慣れない神気の影響は、暴れ馬のようなものだ。本来なら、とても常人に扱える代物ではない。神が人に与えた武器ではなく、神自身が使う為の武器なのだから当然だろう。そのあまりのパワーを無理に抑えようとすると、全身が引き千切られそうになる。このままでは危険と判断した狛は、その力を御するのではなく、ギリギリの部分だけを使ってあとは受け流す事に決めた。そして、その流れ込む力に身を任せた時、視界が一気に開けた。


(わ、ぁ……これ、ヤバイかも…!)


 自分の手足や身体が、どこまでも続いてどんな遠くまでも届くような感覚…その気になれば何もかもを見通せるような、強い万能感と全能感。これが神の力の一端ならば、これに慣れてしまったら、人の感覚には戻れなくなるだろう。一瞬、自我すらも流されてしまいそうになった狛の頭をそんな恐怖が過った。これは麻薬のようなものだ、決してこの力に溺れてはいけない。

 狛は自分を無くさない為に、心を強く保つ。先程の恐怖でも、怒りでも悲しみでもいい…自分だけの想いをイメージして、自我を確立させるのだ。まるで走馬灯のように様々な記憶が瞬く間に蘇る。そこで、最も強く感じたのは先程のキスだった。


(あああああっ!そう言えば、私、キスされちゃったんだ!?あの人、悪い人じゃなさそうだったけど…いや、私を起こして助ける為だし、別に変なイミがあったわけじゃ…っていうか、よく考えたら私キスする時、いっつも記憶無くない?おかしいでしょ!?)


 今この時に考える事ではないような気もするが、一度でも意識してしまうともう頭から離れなくなる問題でもある、やはり狛も年頃の女子なのだ。と言っても、京介からのファーストキスは人工呼吸だったし、今回も似たようなもののはずなのだが……そこは狛の名誉とプライドがかかっている、ツッコむのは野暮だろう。


「まぁ、色々後で考えるとして……よしっ!いける!」


 力の暴風を乗り切るだけの己をしっかりと握り締めた狛は、改めて、光重の身体で怪しく光る黒い石に狙いを定めた。チャンスは一度きり、失敗は許されない。だが、不思議と恐れはなかった。確実に仕留められる、根拠のない自信だが、何故かそう断言できる確信があった。


「いっ…けぇぇぇぇっ!!」


 右手に持った槍を構え、一足飛びに刺し貫く。ルルドゥは以前、この槍からビームを放っていたが、あんな器用な芸当は狛には不可能だ。あれは本来の持ち主であるルルドゥだから出来る攻撃なのである。故に、狛は己の足を使って飛び込んだ。強く、強く一歩を踏みしめて槍を突き出せば、あれほど狛を困らせた神の力がバリアのようになって狛を守ってくれる。掴み取ろうと伸びて来る恨みの念は次々とそれに弾かれ、光重に宿った黒い石は成す術もなく槍の一撃を受けて完全に砕け散っていった。


「ガッ!?ア、アアアアアアッッ!!」


 一気に霧散していく大量の妖気と恨みの念は、嵐のような勢いで社長室の中に荒れ狂った後、完全に消滅した。狛はすぐに槍を手放して、深く息を吐いている。


「はぁぁぁぁっ…な、なんとか、なったぁ…」


 狛は脱力して、その場にへたり込んでしまった。ほんの一瞬だったはずだが、神の力による影響は凄まじいものだった。ルルドゥが自分は神で凄い存在なのだと威張る理由も解る気がする。あれほどの力を普段から感じているなら、やはり神というものは人とは一線を画す存在なのだ。


(それでもルルドゥは、なんか可愛いんだけどね)


 狛の左腕に捕まって震えているルルドゥを見て、狛は苦笑していた。あんなに強い力を持っていても、ルルドゥは弱気である。また不敬だと怒られるかもしれないが、狛にとってのルルドゥは手の掛かる弟のようなものになり始めていた。


「そうだ、アスラ…っ!」


 狛はハッとしてアスラの元に近寄ると、その息を確かめた。幸い呼吸に問題は無く、大きな怪我も無い。衝撃で意識を失っているだけのようだ。身代わりの勾玉がまた一つ砕けてしまっているので、そのお陰だろう。


「良かった…」


 狛は安堵の息を吐いて、アスラを抱きしめた。新月を前してとんだ騒動に巻き込まれてしまったが、無事で済んで何よりだ。


「あ、う……」


 直繁の出血と怪我は見た目ほど酷くなく、すぐに救急車を呼べば問題なさそうだ。一方の光重は、目の焦点が合わず、ただただ力無く笑うだけの状態である。


「ふへ…あはへえははは」


「光重さん…」


 こうなってしまっては、もはや狛には何も出来ない。恐らく、大量の妖気に中てられて精神や脳にダメージを負ってしまっているのだろう。回復は見込めないか、回復出来たとしても元通りになれるとは思えなかった。これまでに多くの人間を苦しめてきた報いとしては軽いものかもしれないが、彼はまだ30代と若い、残ったこの先の人生を考えれば決して楽なものではない。むしろ、これからが苦痛に満ちた人生となるだろう。


 同時に、狛は黙祷し、彼の手によって人生を歪められた人々の魂に祈りを捧げた。もうこれ以上光重の為に不幸になる人が現れないようにと、そう願うばかりであった。

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