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第272話 ルルドゥの冒険

 すっかり陽も暮れた頃、病院から出てきた狛の顔はとても落ち込んでおり、その瞳に暗い陰を落としていた。医師の診断によると、竜造寺七郎の母、香耶は急性心不全による突然死であるとのことだ。しかし、死の直前まで会話をしていた狛には、それはどうしても納得の行かない話であった。確かに突然死というものはあるが、苦しむ素振りはおろか、何ら体調の変化を感じさせず眠るように息を引き取るなどと言う事があるのだろうか?せめて何かの兆候があるのではないかと、そう思う。だが、医師の診断を覆せるほどの医療知識は、狛にはない。

 結局、無力感だけが狛の心を覆うようにして溢れ、気持ちが深く沈んでいくばかりである。病院の外では、猫田と病院に入れなかったアスラが狛を待っていて、狛を見つけるとすぐに駆け寄ってきて、狛を気遣ってくれた。


「狛!……大丈夫、じゃなさそうだな」


「猫田さん…私、悔しいよ。もっと他に、何か出来る事があったんじゃないかって……さっきからそればっかり頭に浮かぶの…」


 人には、出来る事と出来ない事があり、そこには限界があるというのは大人になるにつれて学習していくものだ。最近はしっかりしてきたように見えても、狛はまだ若干16歳になったばかりである。なまじ優れた力を持っているだけに、狛の無力感は大きなものだろう。ましてや、今年に入ってから、狛はたくさんのものを失ってきた。出会ったばかりとはいえ、親戚に歳の近い者達が多い狛には、想像以上にリアリティとダメージがあったようだ。


 猫田が黙って狛の頭を撫でてやると、狛はポロポロと涙を溢し始めた。今は気が晴れるまで泣かせてやるしかない、猫田は狛を近くのベンチに移動させてから静かにその時を待った。


 しばらくして、その風貌から誤解された猫田が警察の相手を終えた頃、狛はようやく泣き止んで顔を上げた。いつまでも悔やんで泣いていても始まらない。今やるべき事は、香耶の冥福を祈る事と、恨みに囚われた七郎の魂をどうにかすることだ。家族でもなく、出会ったばかりの狛が出来るのはそれだけしかない。そう踏んぎりがついたのだろう。


「よし…!猫田さん、ごめん!私頑張るよ」


「おう……そりゃよかったな。しかし、お巡りってしつけぇんだなぁ…」


 幸いにも病院の目の前だった事で、狛が泣いている理由を猫田が説明すると、警察官は裏を取りに行ってくれた。その間、ずっと質問攻めに遭った猫田からは疲労の色が見えるようだ。狛はベンチの隣に設置された自販機から猫田の好きな甘いジュースを買って手渡し、アスラも撫でて労った。


「アスラもごめんね、心配かけて。……あれ?そう言えば、猫田さん、ルルドゥは?」


「あ?ルルドゥならアスラの背中に……って、いねーじゃねーか!?いつの間に…いや、どこ行きやがったんだ?!アイツは!」


 焦って二人で近くを探すが、ルルドゥは何処にもいない。そもそも何時からいなかったのか、まるで解らないのだ。一体、ルルドゥは何処に行ってしまったのか…時間は、ちょうど狛達は香耶と顔を合わせた時間まで遡る。




 狛と猫田、それにアスラが香耶と共にビルを出る頃…ルルドゥは一人、狛達が乗って来たエレベータの中にいた。


「ふっふっふ…見たか、我の隠形の術!誰も我が居なくなったことには気付いておらんぞ!流石は我だ。神の力は偉大だなぁ」


 一人胸を張って、自画自賛に勤しむルルドゥは、ここぞとばかりに自分の優秀さを噛み締めていた。狛達と出会ってから、特にくりぃちゃぁから桔梗の家に移ってからというもの、ルルドゥは猫田の玩具にされたり、ちょっと可愛いぬいるぐみ扱いをされたりと、個人的に不当な扱いばかりを受けてきたと感じている。神として誕生したばかりとはいえ、ルルドゥには自分が神であるという自負があるのだ。崇め奉れとまでは言わないにしても、もう少し何かあるだろうと常々考えていた。


「ククク、よぉし情報収集と行くか。…あの狛が気にしているものの正体を掴めば、きっと皆が我を見直して、神として扱ってくれるに違いない!そうだ、我だってやれば出来るんだ!」


 その微妙にズレた考えで突っ走る所が、神として尊敬されない最大の理由であるとルルドゥはまだ気付いていない。生まれたてだからなのか、彼はどこか子どものようなところがあって、そこを可愛がられているのだがそれでは不満なのである。


「さて、どこへ行くか……あれ?ぼ、ボタンに手が届かないっ!?」


 …どうやら前途多難のようだ。


 その後、しばらくエレベータ内で待っていると普通に社員が乗って来たので、ルルドゥはなんとか事なきを得た。心細さの余り少々涙がこぼれてしまったが、これは心の汗だと謎の言い訳をしている。ちなみに、乗って来た社員は社長室のある最上階へ用事のある人間ではなかったので、またエレベータ内に取り残されないよう、一緒に降りてみた。


「ふーむ…ここはどこだ?いつも狛達と一緒に来る時は、社長室とやらに直行だからなぁ……階段は無いのか、階段は」


 階段ならば閉じ込められる心配はないと思っているようだが、通常、非常階段には防火扉が必ず存在する事をルルドゥは知らない。エレベータのボタンすら押せない(身長的に)彼が、それをどうやって開けるつもりなのかは謎だ。可哀想だが、またすぐ絶望する羽目になりそうである。


 トコトコと廊下を歩いていると、すれ違う社員達に混じって奇妙な気配が感じられた。余り好ましくないもののような気がしたので、ルルドゥは怪訝な顔をして、その気配を目で追ってみた。すると空中に漂うそれは何かに引っ張られて集まって来た雑霊達ではないか。さきほどルルドゥ自身が言っていたように、これまで何度かこの会社に通ってきたが、いつも社長室に直行なので気付けなかった。ビルの中をよくよく見てみれば、弱い雑霊達がそこら中に漂っていたのだ。

 そもそも雑霊というものは、その辺にいる浮遊霊や、死んだばかりで力の弱い魂など全般を指す言葉であるが、それらがここまで一か所に集まることは珍しい。霊道のような彼らの通り道か、、わざわざ集まったりはしないのである。


「これは……あれだな、光重とかいう奴のせいだな。あれだけ恨みの念を身体に纏っている奴がいると、こうやって引っ張られてくるわけか。うーん、人間は愚かだなぁ」


 苦虫を嚙み潰したような顔をして、ルルドゥはしっしっと雑霊の気配を手で払った。彼は神だけあって、手で払ったその一点だけは空気が浄化されたが、如何せん背が低いので床近くにあるほんの数センチが綺麗になっただけである。恐らく誰も気付かないだろう。以前のように泥で作った義体があればいいのだが、あれは狛達に禁じられてしまったので、今は持っていないのだった。


 ルルドゥが階段を探して彷徨っていると、トイレの近くで人の声がした。どうやら噂話をしているようだ、情報収集が目的のルルドゥとしては見過ごせないチャンスである。彼はコッソリと壁際に立って聞き耳を立てた。


「あーあ、いやんなっちゃう。また今日も光重さんの機嫌が悪くて、皆ヒヤヒヤものよ。もう息が詰まりそう…!」


「あー、こないだあの人がイジメてた子が死んじゃったんだっけ?まだ次のサンドバッグ決まってないの?」


「そうなのよ。流石に社長に絞られたらしくって、今は大人しくしてるみたい。でも、また何かきっかけがあれば爆発して、誰かをイビり始めるでしょ。竜造寺君の時もそうだったし」


「その前の奏多かなたさんなんて、酷かったもんねー…昼間っからトイレに連れ込んでさ」


「そうそう、女としてはまだ男の子の竜造寺君がイジメられてる方がマシだったわ。…でも、竜造寺君も最後はアッチの方させられてたみたいだけど」


「ウソ!?最悪…なんであの人刺されないのかしら」


(…アッチ?なんだかよく解らんが、光重の話をしているようだな……アイツは同じ人間からも嫌われてるんじゃないか。迷惑なヤツだなぁ)


 まだ生まれて日も浅いルルドゥには、彼女達の会話が所々意味不明なようだ。しかし、求めていた貴重な情報源だと考え、更に注意深く話を聞いてみる。


「そう言えばさ、最近見かけるあの変な犬とホスト連れた女子高生はなんなの?」


「あー、あの背負った大きな犬でしょ?可愛いよね。なんか噂によると、お祓いとかしてるみたいよ、光重さんの」


(へ、変なぬいぐるみっ…!?我の事か?!ぐぬぬぬ…!この人間の女共め、不敬だぞっ!)


「お祓いって、大丈夫なの?よりによってあんな子どもに…」


「それがさ、受付の子に聞いたんだけど、あの子結構凄いんだって。あの子に睨まれたガードマン達がいたんだけど、その次の日から高熱出して寝込んでるらしいのよ」


「…なにそれ?お祓いする側なのに、逆じゃない?バケモノじゃん」


 彼女達が噂しているのは、狛達が初日に出会った、香耶を乱暴に突き飛ばしたガードマンの事である。彼らは霊的な防御力が低かったせいか、狛が怒って睨みつけた時にその影響をモロに受けてしまったようだ。


「たまに見かける、社長の愛人じゃないか?って言われてた超美人の女の人いたでしょ?あの人の親戚らしいのよね、あの子」


「へぇ~!じゃあ、あの美人も何か凄い力があるの?……そう言えば、最近会社で変な噂があるんだよね。女の人の泣き声がするとか」


「そうそう!ってのもあったよね。こないだなんか、猫の鳴き声を聞いたって子もいたわよ。その子も寝込んじゃってるみたいだけど」


「…なんか、ヤバくない?うちの会社……」


「…かもね」


(猫?駄猫猫田の事か?でも、アイツは鳴いたりしてないし…ふがっ!?)


 壁際に張り付いていたルルドゥを一人の女性が持ち上げた。彼の使う隠形の術は、認識阻害の術でもある。普通の人間にはそこにぬいぐるみが落ちているという認識すら持てないだろう。だが、女はそれをいとも容易く看破し、触れてみせた。並の人間では出来ない芸当である。


(な、なんだコイツは!?どうやって我を……ん?何か狛に似た匂いがするな、コイツ)


「神の気配がすると思ったら、ぬいぐるみ?こんなものまで入り込んでいるなんて、この会社ももう長くないわね……槐様に手を切るよう進言するべきかしら」


 黒髪の女は、ルルドゥを持ったままどこかへ歩いていく。ルルドゥは成す術もなく、そのまま連れ去られてしまうのだった。

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