目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第265話 妖怪の姫、音霧

 猫田は、山本さんもとの言葉が理解できなかった。マゴムスメとは、あの孫娘のことだろうか?魔王である山本さんもとに家族がいたとは初耳である。そう言えば、神野も後継ぎを用意しろとうるさく言われていると話していた気がする。そうして、猫田は子妖怪を指差してやっとのことで言葉を捻りだした。


「孫……娘?じゃあ、そいつは…」


「そうだ。名を音霧おとぎりという。これでもれっきとした、血を分けし我が孫よ。少々お転婆が過ぎるがな」


 山本さんもとはそう言うと、音霧と呼ぶ子妖怪を睨みつけて、その頭に拳骨を落とした。鬼に肉体の主導権を握られ半分眠っていたようになっていた子妖怪は、落とされた雷の強さに七転八倒して苦しんでいる。


(音霧…なるほど、さっき俺の足を掴んだ霧みたいな妖気の正体はそれか。名は体を表すって言うが、解りやすいな)


「い、痛いいいっ!お爺ちゃんがぶった!私悪い事してないのにいっ!痛いよお!」


「…馬鹿者め。お前が儂の取次ぎ役を称して、不当に他の妖怪達を締め上げていたのは知っておるぞ。お陰で儂が受け取るべき情報がちっとも上がって来なかったではないか。今日もお前が先走った所を見ていたものが連絡してきたから良かったものの……孫でなければその首を刎ねておる所だ、まったく」


「だって、お爺ちゃんいつも忙しくて遊んでくれないじゃん…お爺ちゃんを呼び出すヤツが少なくなればいいと思ったのに……」


「この馬鹿者が!儂は妖怪達を統べる元締めの一人なのだぞ!話を聞いてやらなくてどうするというのだ?嘆かわしい、これが儂の孫とは……」


 目の前で山本さんもとが罰を下した手前、猫田がそれ以上何かを言うこともない。猫田は心を落ち着かせ、二人の様子を眺めることにした。それにしても、こうして嘆く山本さんもとの姿を見ているとまるで人間の家族のようである。猫田は人間の家族が団欒しているのを見るのが好きなので、妖怪でもこんな家族の形を持つ者もいるのだと何だか不思議な気分になっていた。


(そういや、狛がこんな風にハル爺を困らせたとこはあんまり見なかったな。狛の奴は聞き分けが良すぎるんだろうなぁ…)


 狛の笑った顔を思い出すと、凍らせていた猫田の心が少し軽くなり、また温かくなった気がする。先程まで見せていた険のある顔は、いつもの人好きそうな表情に戻っていた。それに気付いた山本さんもとは、ふっと笑って猫田の顔を見つめている。


「…何だよ?」


「いや、良い顔をするものだと思ってな。お主はそうしている方が猫らしくてよい」


「猫相手に何言ってやがる。……まぁ、今更化け猫にゃあ戻れねーがよ」


 そうだ。どんなに心を殺し凍らせたとしても、猫田はもう猫又だ、怨みと憎しみで身を形作る化け猫には戻れない。化け猫から猫又に変わる事は出来ても、その逆には出来ないだろう。何故なら心の在り様が変わったから……あの時のように全てを憎んで世を燃やし尽くすような激しい怨嗟を抱く事は、もうないだろう。今の猫田にはくりぃちゃぁの面々を始めとした友がいて、かつては妖怪である自分を救う為に命を張ってくれたささえの仲間もいた。そして何よりも狛がいるのだ。猫田にとっての狛は娘のような、妹のような不思議な気持ちだが、狛が家族であることに間違いない。ならば、狛が悲しむようなことだけは、絶対に避けたいと思う。それでいい。


 そう思いついて、猫田は改めて笑った。今は大型の猫の姿なので解りにくいが、晴れ晴れとした気分が見て取れるいい笑顔である。山本さんもとが言いたかったのは、そういうことなのだろう。


「それで、お主は何の用事だったのだ?儂を呼び出そうとしていたのだろう?」


 そう言われて、ハッとした。そうだ、わざわざしたくもない喧嘩をしていたのは、山本さんもとに会う為だった。猫田は急に話を振られて、少し動揺しつつも神野に話すつもりであった内容を話す事にした。


「あ、ああ…そうだった。実は神野の奴に話しておきたい事があったんだが、あの野郎出てこねーんだ。どこで何してんだか知らねーが、ちょっと早めに相談しときたくてよ。そんでどうせなら、アンタにも話しておくべきかと思ってな。実は――」


 猫田が話し終えると、山本さんもとは予想以上に重々しい顔になっていた。猫田から聞いた話について、思う所があるのだろう。


「そうか、異国の神がこの国で……な。それは確かに由々しき事態よ。神共が増えることもそうだが、儂らの管理の届かぬ妖共が増えるのもまた厄介だ。しかし、こう言う話は神野にしても意味は薄かろう。あ奴でなくて、先に儂の方に話をしてくれて正解だったやもしれぬ。全くこの愚かな孫めが、こんな調子で儂の後など継がせられるのか……とにかく、礼を言うぞ、猫又よ」


 山本さんもとはそう言うと、猫田に対して頭を下げた。猫田はギョッとしてそれを見たあと、慌てて取り成すように口を開く。


「お、おいおい、止してくれ。アンタに頭を下げさせたなんて知られたら、アンタの子分共に何を言われるか解ったもんじゃねぇ…!俺は神野に話をしておけば、アンタの耳にも入るだろうと思ってただけなんだ」


 そこで改めて、音霧を殺さなくてよかったと猫田は思った。人間のように猫可愛がりはしないが、妖怪とて血筋は気にするものだ。その場合、特に我が子や孫は大事にするし、血統を何よりも重んじるタイプも存在する。山本さんもとの場合は、自身の力と魔王という課せられた使命に重きを置いているので、その孫が後継ぎともなればかなり大事にしているはずだ。いくら喧嘩を売られた側とはいえ、万が一猫田が彼女を手にかけてしまっていたら、山本さんもとは黙っていなかっただろう。十中八九、血で血を洗う決闘に発展していたに違いない。


 いくら猫田であっても、山本さんもとや神野が本気で殺しにかかってくれば、一溜りもない。過去に猫田が神野といい勝負をしたというのも、あれは神野が本気ではなく、猫田を試そうとしたり遊び半分であったから、そこそこの戦いに持ち込めただけだ。山本さんもとも神野も、日本の妖怪達を従える紛れもない魔王であり、大妖怪なのだから、猫田一人で立ち向かって敵う相手ではないのである。

 そこらの妖怪と違って、一方的に嬲られるだけの戦いにはならない自負こそあるが、勝ち負けを考えれば、まず勝てないというのが猫田の見込みであった。


「あー…改めて言うが、悪かったよ。まさか、アンタに孫がいるなんて思ってなくてな…」


「ああ、気にしなくてよい。一度しっかり痛い目を見なければ解らんのだ。我らは人間ほど、物分かりが良くないからな」


「そ、そうか……」


「お爺ちゃん、そいつ私の事殺そうとしたっ!悪い奴だ!」


 半べそで黙って話を聞いていた音霧が、猫田を指差して猛抗議している。猫田は一瞬冷や汗を搔いたが、流石は山本さんもとである。彼女の抗議には耳を貸さず、再び拳骨を温めて、音霧を黙らせた。


「いい加減にせい。そもそもお前のろくでもない行動が原因であろう、もう一度雷を落とされたいか?」


「ひぃっ!?ご、ごめんなさいーーー!」


「はは…今時にゃ厳しい躾けだな。妖怪らしいが。しかし、こいつ、何かルルドゥに似てんな」


 猫田はテレビをよく見ているので、人間の世相にもそれなりに厳しい。どちらかと言えば甘やかすタイプな猫田にしてみれば、今の人間達の考えも嫌いではないのだが、猫という動物的に言えば、実力行使は当たり前の躾でもある。そして、妖怪は動物寄りの生物だ。言って聞かない相手には力で解らせるのが常であろう。一歩間違えれば、猫田は彼女を殺すつもりでいたのだから拳骨で済めばむしろ御の字と言える。猫田は乾いた笑いをしつつ、二人のやり取りを眺めるのだった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?