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第263話 猫田と謎の妖怪

 狛達が天眼様とのやり取りをすることになったその日の朝、猫田は一人、旧犬神家本家の跡地に来ていた。


 いつものように狛を学校へ送り出し、普段ならば、アスラと一緒に桔梗の家でのんびりしているか、くりぃちゃぁに顔を出したり市内の猫達を集めて集会を開くのがお決まりのパターンである。しかし、今日はそのどれでもない。何故なら猫田には、やらなければならないことがあったからだ。


「しばらくぶりだな、ここも……だいぶサッパリしちまったが。ハル爺…すまねぇな」


 庭先に花を手向けて、しばし祈る。燃え落ちてしまった家の残骸などはほとんど撤去され、現在は辛うじて庭のあった場所に池や草木が残っているだけだ。いずれ本邸を再建するつもりのようで、長老達は密かに図案を考えているらしい。各所に結界を仕込んだり避難場所を設ける予定だと、人狼の里で試行錯誤していると言っていた。たくましいものである。


 やや時間をかけた後、猫田はおもむろに大きな声を上げた。


「神野!話がある、出てきてくれ!おい、神野っ!」


 呼んでいるのは猫田と悪縁深き魔王の一柱、神野悪五郎の事である。先日のルルドゥの一件で、猫田は神野達と今後の事について話し合う必要があると考えており、ここに来たのだ。


「……ダメか。あの野郎、どこに居ても自分の名前は聞いてるとかうそぶいてやがった癖に、どこほっつき歩いてんだ?…しょうがねぇ、山本さんもとの爺さんに話を持ってくかなぁ。あの爺さんも硬ぇから嫌なんだよな…えーと、呼び出しはどうやるんだったか」


 ぼやきながら溜め息交じりに、地面に陣を描いていく。何故猫田がわざわざ犬神家跡地に来たのかと言えば、ここが一番人目につかないからである。桔梗の家は敷地内に神社があって、基本的に氷雨のような邪気の無い妖怪しか立ち入る事は出来ない。ところが、神野は魔王を名乗る妖怪達の親玉の一人だ、祀られている神もいい気はしないだろうし、余計な揉め事になりかねない。かと言って、人の多い街中や力の弱い妖怪がいるくりぃちゃぁで呼び出すのも危うい。神野のように強力な妖怪の存在は、どちらにしても影響が強すぎるのだ。結局、現在は何もないこの犬神家の跡地が一番なのである。


 うろ覚えの召喚陣を描いていると、風に乗って知らない妖怪の匂いと、いくつかの気配が感じられた。どうやら、猫田を監視しているようだ。妖怪達の元締めと魔王を自称しながらも、単独で暴れ回っている神野とは違って、山本五郎左衛門さんもとごろうざえもんは正しく彼らの頭領である。彼を慕い、従う妖怪達は非常に多く、彼が直接導く眷属もかなりの数がいる。狛が戦った白い鴉天狗の白眉はくびもその中の一体だ。


(わざわざ監視たぁ、ご苦労なこった。…っつーか、見てるんだったら呼んできてくれりゃあいいのによ。まぁ、そんなホイホイ出て来られても困るんだが)


 山本さんもとのような、強大な妖怪を呼び出す為の陣は、それなりに複雑で力のいるものである。当然、それを描こうとすれば、山本さんもとを慕い従う者達にはその動きはすぐに伝わるのだ。ここで問題なのは、が自発的にそれをやっていて、山本さんもと本人は預かり知らぬことだという点だろう。大した用も無しに山本さんもとを呼び出すような輩は、その前に彼らが勝手に処分する。妖怪達の元締めとして忙しい主の手間を少しでも省こうという心意気なのだが、中には度を越して処罰されるものもたまにいて、山本さんもとにとっても頭の痛い問題だと聞いたことがあった。


 現在、猫田を遠巻きに監視している妖怪達はそうした先走る者達とは違うようで、少しの敵意を撒き散らしながらも注意深く猫田の行動を見守っているようだ。猫田が強い力を持っている事を見抜き、また彼自身が名の知れた妖怪である事が功を奏しているのだろう。猫田はあまり他の妖怪達と積極的に関わらない性質だが、600年を生きる猫又というのはそうそういないので、決して本意ではないがそれなりに妖怪達の中では一目置かれた存在だったりする。


「…待て!」


「ああ?」


 ああでもないこうでもないと頭を悩ませていた猫田の元に、一体の妖怪が近づいてきた。人間に近い身体だが見た目は若く、どこか幼さを感じさせる面立ちだ。それでも、顔つきそのものは整っていてそれなりの美少年に見える。妖怪にしては背もそこまで高くはなくて、猫田からすれば完全に子どもであった。


「なんだ?何か用か?ガキ」


「なっ!?私はガキではない!無礼なヤツめ、名を名乗れ!」


「お前から話しかけて来たくせに何言ってやがんだ、コイツ。もういい、うるせーからどっか行け、遊んでる場合じゃねーんだよ」


「遊びだと!?ふざけるな!私は真面目に話をしているんだ!言う事を聞かないと痛い目を見るぞ!」


 突然現れてがなり立てる子妖怪に、流石の猫田も辟易しているようだ。人間の子どもならば少しは遊んでやる気にもなるが、相手は妖怪である。しかも、賢しらに弁を立てて、敵意を丸出しにしているのだ。こういう手合いに優しくするほど、猫田は甘くはない。


「…ざけんな、ぶっ殺すぞ、ガキ。子どもみてーな見た目してるからって、俺が甘やかすと思ったら大違いだぞ?お前みたいなのはすぐ付け上がるからな。ぶん殴られないだけマシだと思えよ」


 そう言って、猫田はギロリと子妖怪を睨みつけ、強烈な殺気を放った。抵抗力の無い妖怪であれば、数日間は猫田の殺気が消えず、呪いのようについて回るだろう。弱い妖怪などそれだけで死んでいてもおかしくない、殴って済ませた方がマシかもしれないほどの圧だ。案の定、子妖怪は震え上がり、その場にペタンとへたり込んでしまった。


 猫田はその様子に満足すると、ふんと鼻を鳴らして再び召喚陣を描く作業に戻ったようだ。いつまでもそこに居られるのも鬱陶しいが、あの状態なら余計な邪魔もしないだろうと思っている。そのままの状態で作業を続けたが、どうにも細かい所が思い出せず、中々しっくりこない。


「ここ、どう描くんだったっけなぁ……久し振り過ぎて思い出せねぇや。いっそ、狛が帰ってくるのを待つか?でもなぁ…」


 狛は以前、山本さんもとと会った時に気に入られて、どこに居ても話が通じるようになっている。神野が猫田に対し、呼びかければいつでも応じてやると言ったのと同じである。ただ、神野や山本さんもとは他の妖怪達とは一線を画す存在でもあるので、出来れば狛には接触をさせたくないというのが、猫田の本音であった。だからこそ、狛の居ない時間にわざわざ人気ひとけのないここへ来たのだ。


 そこでふと気づいた事がある。遠巻きにこちらを監視している妖怪達ならば、正しい召喚陣の書き方を知っているのではないか?流石に下っ端もいいところな彼らに、親分を呼んで来いというのは酷だろうが、召喚陣の描き方くらいは知っているだろう。そう思い立った猫田は、周囲の森の中で潜んでいる妖怪達を捕まえるべく舌なめずりをして視線を向けた。


「さて、どいつにするか…ん?」


「…………」


 すっかり頭から忘れていたさっきの子妖怪が、いつの間にか立ち上がっていた。少し俯いているせいか、前髪で影が出来て目が隠れてしまい、表情が見えない。


「なんだお前、まだ何か文句でもあるのか?いい根性してるじゃねーか。見直したぜ」


 てっきり猫田の圧力に負けて、そのままどこかへ逃げていくと思っていたのだが、そうならずに立ち向かおうとしている所には好感が持てる。妖怪達にとって、身の安全は第一だ。次いで食事と享楽が、ほとんどの妖怪達の生きる上での全てである。なので、格上相手には下手に出るのは当たり前だし、卑屈に徹して強い者におもねろうとするのも当然の処世術なのだ。

 猫田のように実力を兼ね備えた妖怪達の中には、そう言った生き方を忌避する者も少なくない。例え弱かろうとも、プライドを持って生きる事を信条にするタイプだ。猫田はそこまでではないにしろ、やはり、それなりに自分を持っている相手を好む性質である。そう言う意味では、子妖怪が立ち上がってなお媚びへつらおうとしない姿には好感が持てた。


「う」


「う?」


「うわああああああああああんっ!いじめられたあああっ!わたしなんにもわるいことしてないのにぃぃぃぃっ!!」


「はっ!?う、うるせぇっ!なんだコイツ!?」


 突如大声で泣きだした子妖怪の凄まじい泣きっぷりに、猫田は思わず耳を塞いだ。余談だが、傍目には自分の頭を抑えているように見えても、猫田の本当の耳は頭の上についている。少し不格好な姿は、狛が居たら大笑いをしていただろう。

 そして、その大きな泣き声は、次第に周辺の空気まで一変させていく。


「わあああーんあんあんあん!うわああああーーーん!」


「うるっせぇな、このガキ…!前にもあったぞこんな、の……何っ!?」


 子妖怪の影から、数メートルはあろうかという大きな鬼が浮かび上がってきた。鬼は子妖怪を守るように、ギロリと猫田を睨みつけている。


「お、鬼だと?コイツ、鬼の守護がついてやがるのか!?」


 猫田は驚きつつも、鬼と対峙する。鬼の放つ強大な妖気は一筋縄ではいかぬ相手であると、猫田に知らしめているようだった。

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