あの後、合流したショウコを加えて、狛と猫田とショウコの三人は、一路、
「しかし、神の花嫁か…今時人間を見初める
猫田は走りながらボヤいている。猫田の言う通り、大昔において神と人の婚姻は決して珍しいものではなかった。特に山間の小さな集落などに住む者達にとって、山の神は自らの生命を守る大事な存在である。命も同然であろう大切な我が子を差し出すことは、人が神に出来る最上級の感謝の形というわけだ。
それは生贄であったり、実際に生きたまま神の社に奉納されたりと、人身御供を納める形は様々であったようだが、時に神は気に入った人間を自ら見初めることもあったらしい。今回はそのケースだ、現代では極々稀なレアケースと言えるだろう。或いは、心霊現象が日常となりつつあるここ最近の情勢のせいで、眠っていた旧い時代しか知らぬ神が目を覚ました可能性もある。そうであるとしたら、今回のこれは今後、レアケースではなくなってしまうのだが。
「あら、今の時代でも神が人間を気に入ることもあるわよぉ?狛ちゃんみたいにね。…まぁ婚姻を結ぼうというのは、少し時代錯誤だけどねぇ」
長い髪をなびかせて、ショウコは微笑みを浮かべている。狛がショウコに助けを求めたのは、ショウコが沼御前という神として祀られている存在だったからだ。彼女は間違いなく妖怪ではあるのだが、その強い力と逸話から、人間に退治された後に人を守護する神として祀られた経緯がある。地元では信仰の対象であるものの信徒はおらず、また一般的な神としての神話もほとんど持ち合わせていない為、神という側面は薄いのだが、妖怪でありながら神の末席にいるというのは稀有な存在と言っていい。
そんな彼女に、神への対処法とアドバイスを貰いたかったというのが、ショウコを呼んだ理由である。
「あの腕に残った痕を見た感じ、かなり強い執着があるみたいだったの。正直、神様と揉めるのって初めてだから、どうすればいいのか解らなくて……来てくれてありがとう、ショウコさん。本当に助かるよ」
狛がそう言うと、ショウコはあらあらと口癖を呟きながら、狛の身体を抱き締めた。狛も女性にしては大柄だが、ショウコはそれを大きく超える巨体の持ち主だ。猫田の背で姿を隠しているからいいものの、普通に見られればかなり目立つし、シュールな絵面だろう。
狛が気にしていた神とのいざこざは、実はかなり厄介な事案である。
悪霊や妖怪のような存在とは違って、神は元来、強い力を持った存在だ。神というものは人の信仰心を力の源として存在するものだが、消えかけて消滅寸前でもない限り、単体でもそれなりの力を持っている。そうでなければ、人の信仰心を集めて力を高める事など出来ないからだ。だが、それ以上に問題なのは、神が人の力に親和性を持っているという点にある。簡単に言えば、人の持つ霊的な力…霊気や霊力は、神の力である神気に近いのである。要は、元々敵対する相手ではない為に、人の力は神に届きにくいのだ。
「しかし、どうすんだ?神と喧嘩するのは初めてじゃねーが、正直、あいつらはしつこい上にしぶといぞ。その上、俺達の話なんざほとんど聞きやしねぇ…!揉めると損しかしねーんだが」
「あらあら、まぁ、確かに一番いいのは説得よねぇ。私はこれでも神の端くれでもあるし、話ぐらいは聞いてくれると思うけど」
「私も本音を言えば、戦いたくなんかないよ。たぶん、ちゃんと話せば解ってくれると思う。
そこまで言いかけた所で、目的の家の前に着いたようだ。表札には掛尾という苗字と、続けて三つの名前が書かれている。どうやら掛尾家は恋音を入れて三人家族らしい。名前に間違いがない事を確認したものの、実際にはそんな確認など必要なかった。何故なら、掛尾家は家の前に居ても解るほどに、強いプレッシャーに包まれていたからだ。
「あらあら……ずいぶんと怒ってるみたいねぇ。私と猫さんが来たのが気に入らないみたいだわ、力づくで排除されると思ってるのかしらぁ」
「けっ、神ってのは融通が利かねーからな。俺達みたいな妖怪は問答無用で敵ってこったろ」
「この感じだと、私も受け入れてもらえそうにないかも。……あっ、来るよ!」
狛が言うが早いか、じわじわと二階の窓辺りの空間が歪んで、そこから金色の衣に身を包んだ背の高い美丈夫が現れた。右手に槍を持ち、鋭い視線は明らかに狛達を敵と認識しているようだ。
「…コイツ、異国の神か?」
「あら、なるほどねぇ。それじゃ私が来てもダメね。とりあえず、目立たないようにしましょうか」
ショウコはおもむろに両手で印を組んで呪文を唱えつつ柏手を打った。すると、一瞬にして周囲の景色が荒涼とした平野に変わる。神域ではなく、異界化だ。やや寂しさを感じさせるその風景は、ショウコの心象風景なのだろうか?狛はほんのわずかに胸が痛むようだった。
それを皮切りに、美丈夫の神は大きな身振り手振りをしつつ、尊大な言葉を言い放った。
「矮小な賊共が、我が妻となる人間を狙ってきたか!だが、貴様らなどに指一本触れさせぬぞ!アレは、我のモノだ!」
「ちょ、ちょっと!アレだのモノだの、恋音ちゃんはそんなのじゃないよ!失礼過ぎるでしょっ!」
「狛、お前が真っ先に挑発に乗るんじゃねーよ…戦いたくないんじゃなかったのか」
呆れる猫田の声を聞いて、槍の美丈夫は眉を吊り上げて猫田を睨みつけた。よく見ると怒りを堪えているのか、ふるふると身体が震えている。
「き、貴様ぁ!その声は散々我の邪魔をした猫の魔物だな!?遂にここまで来たのか、許さん…貴様だけはこの我、戦士の神ルルドゥが手ずから突き殺し、屠ってくれるわ!」
「…あ?なんだ、やんのかこの野郎!戦士の神だかなんだか知らねぇが、人間の小娘なんぞに現を抜かす余所者の低級神如きが調子に乗ってんじゃねーぞ!」
「な、なんだと…!?この愛玩魔物風情がっ!」
「あらあら、猫さんも挑発に乗りやすいタイプよねぇ……私だけ乗り切れなくてイヤだわぁ」
なんだか一人だけ置いて行かれたような気分になって、ショウコは思わず溜息を吐いていた。猫田は元々短気な所があり、挑発に乗りやすいタイプではある。とはいえ、ここまであからさまに怒気を露わにするのは珍しいことだ。どうも口振りからすると、過去、神に対していい思い出がないらしい。
何があったのかが気になる所ではあるが、今はそんな場合ではないと、ショウコは冷静にルルドゥと名乗る神の様子を見た。
(ふぅん…戦士の神って言うくらいだし、確かに力は強そうねぇ。でも、何でかしら?どこか隙だらけのような……ううん、よく解らないコね)
ジロジロと見つめるショウコの視線にも、ルルドゥは反応しない。どうやら気付いてもいないらしい、ショウコが隙だらけだと感じたのはまさにそこである。歴戦の戦士であれば、敵の視線を感知する事など造作もないことだ。そうやって周囲の危険に気を配るからこそ、危機に対応出来る訳だし、敵の先手を打つこともできるのだから。
しかし、どういうわけかこのルルドゥはそれが全く出来ているようには見えなかった。戦いの神を自称する割に、戦いに関してはズブの素人そのものだ。ただ一点、ショウコが気になっているのは、彼が手にしている槍である。その槍は常軌を逸した存在感を放ち、先端に着いた刃の下部は醜く歪に曲がっている。
槍なのに深く突き込むにはとても適さない形状だが、その癖、恐ろしく強い力を感じるのだ。ショウコは奇妙なその槍に警戒をするべきだと判断して、舌戦を繰り広げる猫田とルルドゥを生暖かく見つめるのだった。