龍点穴での騒動から、一ヵ月ほどの時間が経過した。
あの日現れた光の龍は、日本中の全ての人々が目にしたらしい。遠く北海道から南は沖縄まで、普通に考えれば視認することなど不可能であるはずなのに、それを見ていないと言う人間はいなかった。何せその時眠っていた人々の夢の中にまで出てきたというから、その影響力は凄まじいものである。
現時点では世界中には影響しなかったようだが、その光景は映像として記録され、ネットを通じて全世界に拡散されており、一部の人々からは神の出現と噂されているようだ。龍はその後、光の粒となって消えてしまったのだが、あまりにもその存在を信じる人々が多くなると噂が現実になりかねない。神を形作り、神たらしめるのは、人が信じる心…即ち信仰心だからだ。
それよりも問題なのは、日本国内で、超常現象の類いが大幅に増えたことだ。これまでは、霊感のあるごく一部の人々にしか見えなかったはずの霊や妖怪達が白日の下にさらされ、それらの存在を疑う数よりも、それが存在すると信じる人達の方が圧倒的に多くなった。それはまさに槐が望んでいた、日本を呪術国家へと生まれ変わらせる為の重要な布石である。
何故ならば、仮に世界の常識がひっくり返ったとしても、そこに住む人々が突如として力を得るわけではないからだ。本来であればそれを視る力がない為に、関わる事なく平穏に生きていけるはずの人々が、彼ら幽霊や妖怪といった闇の住人達を
「ねぇねぇ、聞いた?三丁目の裏路地…
「えー?また幽霊…?勘弁してよー、そこら中に居るって言うじゃん。またお守り買いに行かなきゃ…」
別のクラスの女子生徒達が溜め息交じりに話しているのを聞いて、狛は何とも言えない気持ちになっていた。
(私があの時、槐叔父さんを止められていれば……)
雷獣と戦い、撃破した所までは良かったが、狛はそれで力を使い果たしてしまい槐の目論見を止める事が出来なかった。その槐達は光の龍が出現した後に忽然と姿を消しており、狛や猫田達は大風穴の崩落に巻き込まれる一歩手前で神奈達が助け出してくれたのだった。そして今のこの状況…槐は痛み分けと言っていたが、どう見ても狛達の敗北といった方が正しいだろう。
現在、日本各地で幽霊や妖怪の目撃情報が後を絶たない。中には見てしまっただけでも祟られる悪霊なども存在するので、退魔士や霊能者達は日々対策に大忙しである。そんな状況下である為か、神に救いを求める人達の声は日に日に高まっていて、新興宗教にのめり込む人々も増加しているらしい。様々な問題が複雑に絡み合い、日本社会は混沌の渦の真っ只中に追い込まれていた。
「コマチー!ちょっとこの子が相談あるんだってーー!」
「あ、うん。待ってて、今行くから」
狛は結局、自分の力のことや、家業の事をメイリーに打ち明けることにした。社会がこうなってしまった以上、物見高いメイリーを危険から遠ざける為には理由を打ち明けるしかないと踏んでの事だ。ついでだからと、神奈の前世が鬼であり、そういった力があることも打ち明けている。またその流れで、猫田が猫又であることも話さざるを得なかった。メイリーはショックを受けたようだが、社会科大きく変わりつつあると持ち前のプラス思考で受け入れた為に、そこまでのショックは受けなかったようだ。ただし、玖歌は学校を辞めてしまったのだが。
理由を聞けば狛達はともかく、いつ他の一般生徒に自分がトイレの花子さんであるか知られるかと思うと、とてもおちおち生活していられないからだという。結局、行き場を無くしてしまった玖歌は、現在くりぃちゃぁのトイレを間借りしている。
そして今、狛はひっそりと生徒達の心霊悩み相談を引き受けるようになっていた。あくまで相談を引き受けるだけで、事態を解決できるとは言っていない。そう言う事にしておかないと、一人で全生徒からの相談を引き受ける事になりかねない。そうなってはもう生活すらままならないだろう。
表向きは相談のみという形にして、緊急を要する内容であれば後から内々に処理する。そうでもしないと、業界の人手が足りず、早晩社会が成り立たなくなってしまうからだ。警察や行政に対応する能力がない以上、狛達のような民間業者である退魔士や、霊能者達が対応しなければならないのである。
その日、狛の元へ相談に訪れたのは、一人の女子生徒であった。名前は
放課後、空き教室を一つ借り受け、狛は恋音に会って話を聞く事になったのだった。
「こんにちは。待たせちゃってごめんね、私は二年の犬神狛。よろしくね」
「あ、はい
恋音はとても自信なさげに俯いたまま喋っている。こういった態度の人間は、時として霊や妖怪のいいカモにされてしまうものだ。人に危害を及ぼすような存在は、やはり陰に近い気配を纏っているものに近づいてくる性質がある。狛は恋音が真っ直ぐ前を向いて歩けるようになってほしいと思っていた。
「いいんだよ、私、
まるっきり嘘は吐いていないが、半分くらいは嘘である。ちなみに、紹介できる僧侶がいるのは本当だ。恋音はしばらく黙った後、酷く躊躇いがちに言葉を絞り出した。狛を信用していないと言うよりも、自分が体験していることが現実なのか、まだ理解しきれていないのだろう。狛が見た所、恋音には霊感や霊媒としての才能や能力は無さそうだ。今までの人生でも、そう言った事にはほとんど接触せずに暮らしてきたのかもしれない。ほとんどの人間は、それが当たり前なので、狛はそれについてとやかく言うつもりはなかった。辛抱強く恋音が話をしてくれるのを待っている。
「あの……な、何を言っているんだって思われると思うんですけど…その…」
「うん、大丈夫。ちゃんと聞くから、安心して?」
狛がそう言って、急かさずに黙っている様子を見て、恋音は段々と落ち着いて話せるようになってきたようだ。その後、数回深く呼吸をして意を決したように話を始めた。
「最近、変な夢を見るんです」
「夢?」
「はい、真っ暗な闇の中で私は一人だけなんですけど。どこからか男の人の声で、『見つけた、見つけた!』って聞こえてくるんです」
「そっか……それは、怖いね」
「…はい。その夢を見るのは週に一回くらいなんですけど……その夢が、進んでいるんです」
「進んでる?」
狛が聞き返すと、恋音は自分の身体を抱いて震えてみせた。夢とはいえ、よほど恐ろしい目にあったのだろう。やや時間を空けて、恋音は再び口を開く。
「声が、近づいてきているんです。初めは遠くから聞こえていたのに、段々と近づいてきていて……この間は息遣いが聞こえてくるくらい近くなっていて。私、もう怖くて…!」
そう言って、恋音は涙を流していた。狛はその姿に胸を痛め、事態の解決を必死に考え始めるのだった。