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第250話 変革の波濤

 高まって満ちていく緊張感を払拭するように、狛は静かに構えを取った。左手を軽く曲げて前に出し、右手は腰だめにして少しだけ腰を落とす。どんな攻撃がきても即座に対応できる構えだ。雷獣・アズマと狛の間は、拳や武器があっても届くような距離ではないが、油断せずに対処できるように構えた…はずだった。


「えっ…!?く、うぅ…!」


 次の瞬間、アズマの身体がブレたように見えたとほぼ同時に、その鋭い爪が、狛の右肩に突き刺さっていた。とにかく途轍もない速さだ。万全の対処が出来るように構えていたはずなのに全く反応する事ができなかった。まるで瞬間移動のようだが、ザッハークが使っていた技や、京介の空間転移とは全く違う感覚がする。これはまさになのだ。


 これこそが雷獣という妖怪が持つ、もう一つの力だ。雷獣は稲妻を操るだけでなく、のである。


「く、このっ!?」


 左の手刀で反撃を試みた狛だったが、その動きを察知したアズマはあっという間に狛から離れて距離を取った。その速さは雷光そのもの、到底人の追い付けるスピードではない。空振った腕と離れた場所に立つアズマを交互に見て、狛はその余りの速さに驚きを隠せずにいる。


「雷獣は、稲妻そのものが妖怪として恐れられた、かみなりの化身みてーなもんだ。…ヤベェな、いくら狛でも……!」


 猫田は呟きながら、狛の劣勢を悟っていた。せめて加勢をしたい所だが、身体が麻痺していて動くのは難しい。先程は不意打ちに近かったとはいえ、電撃を纏った一撃を浴び、それが体内の焼いたのが効いてしまっている。せめて反撃の糸口を作ってやりたいというのに、動けない身体がもどかしい。とはいえ、仮に猫田が万全であっても雷獣とやり合って勝つのは難しいと言わざるを得ない相手だ。槐らがアズマと呼ぶこの雷獣こそが、彼らの軍団最大の戦力であり、切り札なのだろう。アズマはこれまでに犬神家の襲撃時や、七首市でレディを救けに来た時など要所要所で姿を見せていたが、直接まともに戦うのは初めてである。


 そもそも、雷獣は非常に強力な妖怪だが、その数が極めて少ない妖怪だ。猫田が言ったように、古い時代の人々はかみなりというものを、神の怒りや妖怪の仕業であるとして恐れてきた。だが一方で、かみなりそのものはそう頻繁に起こる気象状態ではない。山に住む人々ならまだしも、基本的に人里のあるような場所ではレアなものだったのだろう。そう言った事情も相まって、雷獣は数が少なく、また他の妖怪とつるむ事もしない孤高の存在として、他の妖怪からも認識されていた。


 実のところ、600年以上を生きてきた猫田でも、その姿をこれほど近くで目の当たりにするのは久し振りである。黒雲を塗り固めたようなその黒い肢体は、かつて猫田が出会った雷獣と同じで、獰猛な妖気に満ち溢れているようだ。だが、狛達がここに踏み込んだ時、アズマは間違いなくこの場にはいなかった。恐らくはその素早さで外から救援にきたのだろう。稲妻を呼び落とすことが出来ない地下は、雷獣が戦うには不利な場所だ、つまりここでの戦いは槐達にとってもイレギュラーなものに違いない。

 この先、槐達と戦う以上、アズマとの戦いは避けて通れないものである。それを考えれば、今ここで戦えるのはある意味幸運なのかもしれない。


「だが、勝てなきゃ意味がねぇ…っ。くそ、こんな時に……俺は…!」


 猫田は悔しさを滲ませながら、己の無力さを噛み締めている。そんな中、狛はアズマの恐るべきスピードを前に防戦一方であった。


「は、はやっ…い…!っぐ、うぅ……!」


 右に左に、時に前後も交えて凄まじいスピードで攻撃が繰り返されている。何らかの魔法や技としての瞬間移動、もしくは空間転移であればまだ防ぎようはあるだろう。それらはあくまで移動のみの技術である為、移動から攻撃までの間にラグが発生するからだ。また、例えば京介の空間転移魔法で言えば、それは魔法であるが故に魔力が尽きれば使えなくなるのは自明の理である。しかし、アズマの超高速移動は、単純に生まれ持った素早い動きなのだ。とてもではないが、スタミナ切れなど期待は出来ない。辛うじて、致命傷となる場所への攻撃を防げているのが不思議なほどである。


「ど、どうして狛は生きていられる?アズマが手加減しているというの?……いや、そんなことはあり得ない、では、なぜ?」


 アズマに敵の排除を命じたにも関わらず、狛がまだ生きて立っていられることに黒萩こはぎは少なからず動揺していた。雷獣・アズマは、槐達の中で最大の攻撃力を持っている妖怪だ。ほぼ獣に近い性質のせいで完全にコントロールは出来ないのが欠点であるが、槐の命令には確実に従う約定を結んでいる。ここが地下で、その能力をフルに活かせないことを抜きにしても、狛ごときを相手に手こずるはずがないと自信を持って言える。槐も黒萩こはぎも、それだけアズマの戦闘力には絶対の信頼を置いているのだ。


 しかし、既に全身を血で紅く染めているが、それでも狛は倒れない。身体を守っている九十九つづらもボロボロになってしまっていて、見るも無残な姿である。せめてザッハークと戦った時のようにイツと完全に同調出来ればいいのだが、あの状態を自由自在に再現できるほど、狛はまだあの力に慣れていない。それでも、狛は諦めてはいなかった。


(も、もう、ちょっと……あと、少し…!)


 更なる攻撃を受けながらも、狛の瞳には強い意思が漲っている。狛が何かを狙っている事に黒萩こはぎは気付いていないようだが、このまま戦いが長引けば危険だという予感だけがどんどんと胸の内に広がっていった。それは、徐々に気圧され始めているアズマも同様である。


アズマッ!何をしているの!早くトドメを刺しなさいっ!」


 黒萩こはぎの悲鳴にも似た叫びが、洞窟内に響いた。このまま放っておけば狛が何をしでかすか解らない、そう直感したのだ。すると、アズマは四肢を曲げて、全身をグッと低く落とし構えた。確実に仕留められるように、渾身の力で襲い掛かるつもりだ。


(ここっ!)


 それと同じくして、退路を断つかの如く狛の背後に氷の壁が出来上がっていた。狛の思考がカイリの呪血縁じゅけつえんを介して、猫田に伝えられていたのだ。それは狛の思い描いた通りである。

 そして、アズマの身体が視界から消えたように見えたまさに刹那と言える瞬間、狛は予め練り上げていた全霊力を鋭い爪へと変え、己の正面の空間に突き立てた。その次の瞬間、そこには鋭い爪で引き裂かれたアズマの姿があった。その場の誰もが、思ってもみなかった展開に瞠目し、一瞬、言葉を失っている。


「っ…狛の奴、やりやがった…っ!」


 猫田はその結果に身震いしながら、狛の勝利に目を見張った。狛から背後に氷の壁を立てて欲しいとカイリを通じて頼まれた時、猫田にはその理由が解らなかった。攻撃を防ぐ為の防壁なら、正面に作った方がいいはずだ。だが、そんな問答をしている余裕はない。猫田は狛を信じて、頼まれた通りに壁を作っただけである。

 狛の狙いは、少しずつアズマの動きに自分を慣らす一方で、攻撃される方向を絞る事にあった。まさに雷鳴そのものの動きを見せるアズマだが、その動きは直線だ。如何に稲妻そのものの雷獣といえど、実際の雷のように途中で方向を変える事は出来ない。そもそも、落雷が地上までの間に折れ曲がったように見えるのも、空から落ちるまでの間に相当な距離があるからである。

 今のような短い戦いの距離では、どうしても直線でしか動けないのは当然だ。狛は戦いの中でそう理解して、ずっとタイミングを窺っていた。その中で最も厄介だったのは、様々な角度や方向から攻撃を受けることだった。それを防ぐ為に、アズマが正面から攻撃を仕掛けてくるよう、背後に氷の壁を作らせたのだ。


「そ、そんな……」


 予想外の結果を前に、黒萩こはぎは我を忘れそうなほどに呆然としていた。或いは、彼女が勝負を急がせなければ、アズマは狛を殺せていたかもしれない。現実に、狛はかなりの出血をしており、これ以上の戦いに耐えられそうもないのは誰の目にも明らかだ。


「ぐっ……退くぞ、黒萩こはぎ


「え、槐様…?」


 その時、錯乱していたはずの槐が我を取り戻し、そう呟いた。続けて槐がごそごそと自分を懐を探ると、その手にはあの霊石の核が握られていた。狛は槐の行動を止めたくとも、力を使い果たしてしまって、一歩も動けそうにない。


「え、槐叔父さん…ううっ」


「まさかお前がアズマを倒せるとは思わなかったが、痛み分けだ。俺達のここでの目的は果たさせてもらう。そして、もはやお前を小娘と侮るのは止めだ。次に会う時は必ず殺す、どんなことをしても、絶対にな……!」


 槐がそう宣言すると、彼らの足元で鈍く光っていた龍点穴が一際怪しく光りを放った。硬い地面であるはずなのに、そこだけがまるで水面のようにゆらゆらと不思議な輝きを湛えている。そして、大きく口を開けた龍点穴に、槐は霊石の核を投げ入れた。


「ま、待って…!きゃあっ!」


 狛の言葉も空しく、霊石を飲み込んだ龍点穴を基点として大地が大きく鳴動を始めた。次第に揺れが大きくなるにつれ、パラパラと天井から石が降ってきて、このままでは大風穴そのものが崩れ落ちるのではないかと思うほどに、激しい揺れへと変わっていく。


 そして、もはや狛が立っていられないほどの揺れになった時だ。龍点穴から巨大な何かが溢れるように飛び出して、その空間全てを飲み込んだ。それは怪しい光が形を持った龍である。光の龍は大風穴を逆走し、一気に地上を目指す光の奔流となっていた。


「な、なんだ!?うわっ!」


 ようやく動けるようになった神奈達は、地底へ向かう途中で、光の龍に飲み込まれていた。全身を貫くような光の中で、まるで身体を溶かしていくような感覚に陥ってしまう。そこに恐怖はないが何かが変わってしまうという、確信めいた予感だけが胸に残っていた。


 そうして、瞬く間に光の龍は地上へと到達し、勢いよく空へ舞い上がって大きく咆哮した。太陽の光さえも取り込んだ龍のいななきは、波となって文字通り日本全土へ波及していく。その日、この国に住む全ての人々が例外なくその光を浴びたという。そして、ただひたすらに変革を理解した。


 そう、この世の常識が大きく変わってしまったのだと言う事を。

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