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第249話 更なる窮地

 次に動き出したのは、猫田であった。先程の動きから、黒萩こはぎがどうやって身を隠しているのかは解っている。光芒刃という光の刃を操る術といい、恐らく黒萩こはぎが得意としているのは光を操る術である。姿を消してみせたのも、光学迷彩のように光の反射を操作したのだ。


「おっかねぇ術を使うようだが、戦い様はあるんだぜ!」


 猫田はそう言うと、自身を中心とした周囲に白く輝く風を吹かせ始めた。吹雪というほどではないが、キラキラと氷の粒が混じった、冷たく強い暴風だ。これまで、猫田は魂炎玉こんえんぎょくが持つ氷の技をあまり多用してはいなかった。それは、の名の通り、炎であることが元々の形態であり、繊細な操作を必要とする氷技よりも炎の方が使い勝手がよく、また楽で強かったからだ。

 しかし、氷雨の遺した氷の結晶を得た事により、猫田はこれまで以上に強力な氷技を自在に操る事が出来るようになった。視る者が視れば視えるだろう。氷技を使う猫田の傍に、美しい雪女の影が並んでいると。


「ダイヤモンドダスト…!?まさか、そんな技を……っ!」


 氷雨との一件を知らない黒萩こはぎは、猫田の氷技に戦慄していた。猫田の予想通り、黒萩こはぎは光を操る術を数多く会得し、それを得意としている。光は炎と同様に熱を持つものであるから、ある程度の熱を逃す事も可能である。つまり黒萩こはぎは炎に対する耐性も高いのだ。

 しかし、氷技はそうはいかない。ましてや、熱光線のような点で攻撃する術ではなく、広範囲の面で攻撃するような氷嵐などは最も黒萩こはぎの苦手とするタイプである。


 黒萩こはぎはすぐさま、猫田から距離を取るように後退った。あのダイヤモンドダストの威力はまだ解らないが、実際の気象状態で起こるダイヤモンドダストは、相当な低温状態でなければ発生しない。即死はしないまでも、対策をしていなければ間違いなく一瞬で行動不能になるだろう。


 そんな黒萩こはぎに向かって、煌めく白い風が地面を舐めるようにしてはしり出す。更に後退しようとした黒萩こはぎは、何故か足を止めてその風に真っ向から立ち向かった。


「どちらにしても逃げ場などない…なら、私も!」


 霜を降ろし、地面を凍り付かせる風に黒萩こはぎの身体が飲み込まれると、黒萩こはぎは全身に強烈な光を纏わせ光の柱を生み出した。その熱で一気に輝く風を消し飛ばしたのだ。チリチリと服や髪が微かに焦げているが、ダメージはほとんどない。


「ちっ、無茶しやがる……っ!」


 猫田はそう呟き、唖然としていた。わざわざ自分の身体を囮にしなくても、光の熱を利用して防ぐ事は出来ただろう。ただ、黒萩こはぎは猫田が風を自在に操って熱を回避させないために、自分諸共光の熱に曝したのだ。無駄なようにも思えるが、確かに攻撃が命中する瞬間ならば間違いはない。大した覚悟である。

 そうして再び睨み合う黒萩こはぎと猫田とは真逆に、狛は槐と激しい格闘を繰り広げていた。


 狛は打撃で、対する槐は霊気を練り上げた棒で、それぞれが互いに一歩も譲らない攻防だ。10匹の狗神を織り交ぜて攻める分、槐の方が手数は多いが狛は背後からの攻撃であっても尻尾で叩き落としたり、驚異的な動きの速さと反射で対応し、未だ一度足りとも大きなダメージは負っていない。どちらが上か?と問われれば僅差で狛が上と判断する者の方が多いだろう。だが、決してどちらかが圧倒しているわけではなく、何かにきっかけで大きく均衡が崩れる可能性が、十分に感じられる戦いでもあった。


 そんな中、攻防が一瞬途切れて見合う二人の内、槐が静かに口を開く。その言葉には先程までの憤りや嘲りは消えていて、まるで狛の父、真が話しているような優しさに溢れたものであった。


「大した奴だ、狛。成長したな…俺のこの霊皇杖れいおうじょうは、人間相手でも相応の威力を発揮するが、特に妖怪であれば必殺となる威力を誇っている。さっきの女妖怪が一撃で麻痺して戦闘不能になったようにな。ましてや、お前は人狼という半妖の状態だ。並の人間よりは効果が高いはず…そのお前が、これだけの攻撃を受け止めて致命傷を負っていないとは……よほど強力な霊力で防御しているのだろう。大口を叩くだけの力はついたということか。つくづく惜しいな、それだけの力を持ちながら、くだらん掟に縛られ続けるとは」


「…急に褒められたって嬉しくないよ。私は叔父さんのやりたい事には賛同できないし、第一、犬神家の掟はくだらなくなんかないじゃない。私達はイツ達のおかげで幸せに暮らしてきたんだよ?それを蔑ろにして、他の達を犠牲にしてまで力を得ようだなんて間違ってるよ…!しかも、呪術国家を作るだなんて…どれだけの人を巻き込めば気が済むの?!もう、たくさんの人が犠牲になっちゃったんだ……許せない、絶対に!」


 既に、槐が引き起こした騒動により、多くの人々が命を落としている。特に七首市で起きた亡霊武者による騒動では、100人近い人々が命を落としているし、先技研でも同様の被害があった。他は直接的ではないにしろ、妖怪達を狂わせたことで起きた事件や事故は、狛が知らないものも含めれば相当な数になるだろう。そしてそれは人間だけでなく、静かに暮らしていた妖怪達さえも巻き込んでいるのだ。人にも、妖怪にも友と言える存在がいる狛にとっては、それは断じて容認する事は出来ない行いだった。


 それを指摘されたからなのか、或いは別の要因なのか、槐は見る間に眉をひそめて殺気を放つ。すると、別人のように低い声色で激昂した。


「黙れ…っ!苦労もせず狗神に選ばれただけの小娘のお前が、俺に偉そうな口を利くな!お前や兄貴が、そんなだから…っ!ぐぅ、ぐぐぐ…おおお、お前おまえ、オマエがあぁっ!」


「お、叔父さん…!?」


 槐がみせた明らかに異常な様子に、狛は一瞬たじろいだ。槐はどこかがおかしいと思っていたが、これはどうみても普通ではない。今に始まったものなのか、もしくは以前からこうだったのか、頭を搔きむしって呻くその姿は幽鬼のような異様さを放っている。


「槐様っ!」


 猫田と睨み合いながらも、槐の様子を気にしていた黒萩こはぎが素早く動きだす。その隙を見逃す猫田ではなく、すかさず黒萩こはぎの後を追い、トドメを刺すつもりだった。しかしその時、突如として雷鳴のような轟音が響き渡り、黒い影が猫田に襲い掛かった。


「なにっ!こいつ!?」


 それは猫田を遥かに上回るスピードで飛び掛かると、猫田に鋭い爪と牙の一撃を喰らわせた。右目を切られて生まれた死角からの急襲により、その動きに対応する事が出来なかった猫田は、右の腹に大きなダメージを負い、激しく吹き飛ばされてしまった。広いドーム状の空間の壁際までとはいかなかったが、それでもかなりの距離を飛ばされた。しかも、受けたダメージは予想以上に大きい。現れた黒い影に、猫田は苦々し気な視線を投げている。


「雷獣、かよ。……ここで出て来るとはな…!」


「ゴルルル…!」


 猫田と同等の体格を持ち、漆黒の毛皮に包まれた雷獣の瞳は眩しいほどの金色に輝いている。ここは地下なので稲妻や雷を呼ぶことは出来ないようだが、元々持っている強い妖力と強大な肉体だけでも、かなりの強敵と言える。そもそも、雷獣は動物型の妖怪の中でも上位に入るほど強力な存在だ。底無しに強力な稲妻を呼ぶ破壊力だけでなく、彼らは。猫田が万全の状態であっても、易々と勝てるとは言えない相手なのだ。


 ここへきてそれだけの強敵が現れた事に、猫田は焦りを隠せない。その上、どうやら雷獣は身体に電撃を纏っていたようで、今の一撃で猫田の体内にそれが浸透して、全身に麻痺も起き始めていた。槐の不調を差し引いても、まともに戦えるのが狛だけでは圧倒的に不利な状況だ。


「猫田さんっ!」


「こ、狛!俺に構うな!雷獣に……雷獣に気をつけろっ!絶対に目を離すな!」


 今の猫田に言える事はそれだけしかない。雷獣の恐ろしさをこの場で伝えるには、余裕も時間もなさすぎる。せめて不意を打たれないように注意を呼び掛けるのが精一杯であった。


「ぐぐ、ううううぅぅぅッ!」


「槐様、お気を確かに…!アズマよ、槐様を守りなさい!」


「グォアアアアアッ!」


 獰猛な雄叫びを上げた雷獣は、この場でただ一人、ほとんど無傷で立っている狛に狙いを定めたようだ。槐を守れということは、敵を排除しろということだと彼は考えた。かなり攻撃的な結論だが、決して間違ってはいない。ここで狛を倒してしまえば、敵は居ないも同然だからだ。


「この子は…っ!」


 狛は自分を標的とする雷獣の殺気を受け止め、思わず息を呑む。今までに狛が戦ってきた相手の中でも、間違いなく雷獣はトップクラスの相手である。単純なパワーなどで言えば、ザッハークのようにもっと手強い相手もいたが、雷獣を前にして恐怖を感じるのは野生動物そのものに近いプレッシャーだ。なまじ思考が限られている分シンプルで、かつ一切の妥協が無い。狛を排除する為に、手加減することなどあり得ないだろう。

 それは狛の中に居るイツも感じている事である。犬神と雷獣という違いはあれど、獣としての本能が脅威を感じているのだ。


 牙を剥く雷獣と対峙する狛の額には、じわりと汗が滲む。狛と雷獣の壮絶な死闘が始まった。

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