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第243話 仕掛けられた罠

 富士の風穴……富岳風穴とも呼ばれるその洞窟は、天下の名山である富士山の麓、青木ヶ原樹海内部に存在する。富士山からの溶岩が流れて出来たものとされており、全長は201メートル、高さは8.7メートルほどもある洞窟だ。内部の気温は低く、氷柱が出来ている個所もあるなど、一年を通じて低音が保たれている。

 狛達が向かったのは、観光地となっている富士の風穴とは違い、かつての調査で内部が危険であるとされた為、一般には公開されていないもう一つの風穴。囀り石が富士の大風穴と呼んだ、巨大な洞窟である。


「ここが入口か……確かにすげぇ霊気が流れてやがるな」


 普段は人が入らないように封がしてある柵の前で、猫田が唸った。風穴の奥からは冷たい風が流れてきていて、それに混じって強い霊気が感じられる。ピリピリと肌を刺すような感覚に、狛も思わず息を呑むほどだ。だが、何よりも奇妙なのは、ここに槐達が入ったであろう霊気の痕跡が残されていることである。それはかなり微細なものなので、近くまで来なければ解らなかっただろうが、こうして風穴の入口に立ってみればはっきりと解る。ここが答えであると狛に解るように、わざと槐達が痕跡を残したのは明らかだった。つまり、罠である。


「間違いない、槐叔父さん達はもう既にここに来てる。私達にそれが解るように、敢えて辿れるように霊気を残したんだね」


 狛がそう言うと、一緒に来ていた女郎蜘蛛のトワが狛の頭を撫でた。狛を落ち着かせようとしてくれているのが解るので、狛は微笑んでされるがままにしている。一方で、ショウコとカイリは辺りを見回し、槐達の残した罠が無いかを細かく調べていた。


 土敷が槐の件は狛達だけの問題ではないと言い、くりぃちゃぁの武闘派三人娘を同行させてくれたのだが、何故か一緒に神奈も着いてきている。どうやら、以前の死神との一件の後から、神奈はカイリに修行をつけて貰っていたらしく、たまたま一緒にいたので連れてきたそうだ。修行についてはいざという時、狛を守る力が欲しいと神奈が言い出したらしいが、だからと言ってこんな危険な場所にまで連れて来て欲しくはなかったというのが、狛の正直な気持ちだ。


 とはいえ、槐がどれだけの戦力をここに集結させているのか解らない以上、味方は一人でも多い方がいい。緋猩ひしょう狒々ヒヒ猩々しょうじょうの軍団は打ち倒したが、最低でも槐の元にはまだレディと彼女が操る死体の軍団、猫田が退けた鷲尾八雲、そして黒萩こはぎに雷獣とかなりの戦力が残っているはずだ。もちろん、彼らの他にも強い妖怪が居る可能性も十分にある。それを考えれば、この六人だけでも足りないくらいであった。


「しかし、せめて京介の奴が居てくれりゃあな…連絡がつかねーんだっけか?」


「うん…ちょっと前から既読もつかなくて、京介さん大丈夫かな……」


 狛はスマホを胸の前で握り締めている。京介の身に何かがあったとは考えにくいが、命の危険が常に隣り合わせの稼業である以上、絶対にないとは言い切れない。狛は京介の無事を祈りつつ、大風穴の奥を見据えていた。そのまま少しして、警戒を終えたカイリが口を開く。


「今のところ、周囲に罠は無さそうだ。ショウコ、そっちは?」


「あら、私も同意見よ。ついでに人が隠れている様子もないわぁ。それより洞窟の中は寒そう…いやねぇ」


 ショウコは蛇妖である為か、ある程度の範囲内の熱を感知する事が出来る。普通の蛇が持つピット器官という、熱を探知する能力が妖怪になってより進化しているからだ。気配を殺す能力や、術であっても、体温まで完璧に隠しきれるものはそう多くはない。その点で言えば、ショウコは伏兵潰しにはうってつけだろう。ただし、元々が蛇である分、少々寒さに弱いのだが。


「よーし、行くか!」


 猫田の声を合図に全員が頷き、いよいよ大風穴の内部へ進入することになった。



 大風穴というだけあって、内部はかなり広い。流石に都合よく通路状になっている部分は六人が横並びに歩く事は出来ないが、四人くらいなら十分な横幅があった。狛達は余裕を見て前に三人、後ろに三人という形で並び歩いている。


「こんだけ広いと、俺らは妖怪化しても大丈夫そうだな…いや、ちと狭いか?」


 猫田は壁面を触りながらそう呟いた。通路状の足場の左脇は大きな崖になっていて、足を踏み外したら最後、どこまで落ちるか解らない暗闇である。一応、壁面の所々にライトが付いていて、持参した懐中電灯があまり必要ない程度に明るさがあるのは助かるが、逆に崖側は光が届かないせいで闇が濃く感じられた。


「私と猫ちゃんには少し狭いわねぇ……ああ、寒いわ…」


「ショウコ姐にここは寒いだろうね、私も寒いよ…」


 そう言って、トワも自分の腕で身体を抱いている。蛇や女郎蜘蛛である彼女達は、基本的に寒さに弱いので仕方がない。あまりの寒さに、ショウコは口癖すら無くしてしまっている。だが、同じように寒さに弱いはずの猫田はあまり気にならないようだ。それはあの氷雨だった氷の結晶が、寒さから身を守ってくれているお陰であった。


「まぁ、戦いになれば自然と温まるだろう。しばらくの我慢だな」


 一方、海御前のカイリはこの程度の寒さなど屁でもない様子であった。流石は河童の女親分である。だが、そうは言うものの、大風穴に立ち入ってから十数分が経過したが、一向に敵や罠が置かれた形跡はない。てっきり槐の軍団が待ち構えているのだと思っていたが拍子抜けだ。このまま無事に終わるとは誰も思っていないが、妙にすんなりと進めることには誰もがどこか違和感を覚えていた。


「神奈ちゃん、足元気をつけてね」


「ああ、大丈夫だ、ありがとう。しかし、こんな大きな洞窟があるなんて……驚いたな」


 崖側を歩く神奈を気遣って狛が声をかけると、神奈は笑顔で礼を言った。そして、改めて大風穴の凄さに圧倒されているようだった。そんな時、入口からなだらかに続いていた下り坂が終わり、とても広い空間に出た。ちょうど、狛達の学園の体育館の半分ほどの広さがあって、洞窟としてはかなり大きい空間だ。

 その空間の突き当りには、二つの穴がぽっかりと口を開けていて、まるで、大きな生き物の口が獲物を待っているかのようである。


「分かれ道、か…お約束だな。どうする?どっちかに一塊で行くか、時間が惜しいなら、二手に分かれるか」


「しかし、ここは敵地も同然なんだろう?戦力を分散させるのは痛いのではないか?」


 猫田とカイリが意見をぶつけさせている。カイリの言う通り、先に槐が中に入っている以上、罠や伏兵の可能性は十分ある。ここまではすんなり来れたとしても、この先もそうだとは限らないのだから、二手に分かれるのは危険が伴うだろう。だが、槐が龍点穴に何かをしてからでは遅いのだ。狛は少し考えて、二手に分かれる事を選んだ。


「とりあえず、二手に分かれた方がいいと思う。槐叔父さんがいつここに来たのか解らないけど、まだ何も起きていない今なら止められるかもしれないし」


「そうか、狛がそう決めたのなら私達は従うよ。では、組み分けはどうする?」


「俺と狛と、えーっと神奈だったか?の三人で、そっちはお前ら三人娘でいいだろ。一番連携が取りやすいしよ」


 猫田がそう言うと、狛もそれに頷いた。カイリもそれを想定していたのだろう、解ったと言って分れ、綺麗に組み分けが出来た。その間、ずっと黙っていたトワが何か思いついたように分かれ道の真ん中に手をかざしていた。何をしているのか気になった狛は、そっと近づいて声をかけた。


「トワさん、何してるの?」


「ん?ああ、アタシは考えるのが得意な方じゃないからね。そういうのはそっちに任せて、出来る事をやっとこうと思ってさ。ほらこれ、目印になるだろ?」


 そう言ってトワが手の中で何かを転がすようにしてみせると、そこに現れたのは小さな糸の塊であった。それを天井にぽいと投げると、蜘蛛の巣が綺麗に吊るされたような形になった。


「さっき猫さんも言ってたけど、こういう所で迷うのはお約束だからさ。目印はあったほうでいいしょ?」


「うん、そうだね。ありがとう、トワさん」


 そんなやり取りを経て、狛達は右手に、カイリ達は左手にそれぞれが穴の中を進んでいくことになった。壁面には相変わらず、点々とライトが点いていて、歩くのに支障はない。人の手が入っているのは、一応ここも国や自治体が管理をしているからだろうか。入口に柵があった所をみると、その可能性は高そうだ。

 そのまま道なりに進み、十分ほど歩いた所で狛の鼻と猫田の耳に感じるものがあった。


「待て、そこ曲がった先から誰か来るぞ…!」


「ん…あれ?でも、この匂いって……」


「来た!」


 ちょうど神奈が声を上げたのと、曲がり角を曲がって何者かが現れたのは同時であった。猫田は咄嗟に飛び掛かろうとしたが、寸での所で狛が猫田の尻尾を掴んでそれを制止する。


イッテぇ!!バカ狛、尻尾を掴むんじゃねー!!」


「なっ…!?猫田…?それに狛君も……どういうことだ?何故君達が前から来る!?」


「やっぱりカイリさん達だった!匂いでそうじゃないかと思ったよ。でも、どういう事?あの道、繋がってたの?」


 狛が来た道を振り返ると、そこにはすぐ目の前にカイリ達と分れたあの広間があった。十分以上は歩いてきたはずなのに、振り向いてすぐそこにあの広間あるわけがない。狛達は驚愕して、その場に立ち尽くすのだった。

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