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第239話 氷の戦士達

 少し時間は戻り、猫田が桔梗の家を出てから数時間後…猫田は北海道、大雪山の麓に到着していた。


 ノンストップで空を走り続けて数時間、ただ走っていただけなのでそれほど疲れはないが、気分的には軽くはない。


「蝦夷か…懐かしいな。まさかまたここへ来るのが、お前の納骨になるとはな、氷雨。…いや、骨じゃねーか」


 そう独り言ちて、また寂しさが胸に圧し掛かる。雪と氷の結晶で出来ていた氷雨の身体は、骨どころか水滴一つさえ残らなかった。たった一つ残ったのは、とても小さな、ビー玉程の大きさをした氷の結晶だ。他は全て溶けて蒸発してしまったが、それは決して溶けることなく猫田の手の中に残り続けた。それを見る度、氷雨が本当に死んでしまったのだと、猫田は寂寥感で一杯になるのだった。


「確か、この辺から入れたはずなんだが……」


 人の姿に変わって大雪山を登りながら、雪女の里への道を探す。ここに来るまでは、いつもの大型の猫の姿で空を走ってきたが、山に入るとなるとあの姿ではいられない。猫田が大型の猫化…妖怪としての真の姿をとっている状態では、それを感じ取る霊感の無い人間には姿が見えないよう隠す事が出来る。ただそれは、あくまで見えないようにしているだけで、存在を消しているわけではない。当然、隠れていても他人が身体に触れば何かがあるのは解るし、猫田がその姿で草木を踏めば、痕跡はバッチリ残るだろう。

 人も入る事がある山の中で、そんな大型の獣の痕跡を残すわけにはいかないというのは、猫田がずいぶん若い猫だった頃、実際に痛感したことだった。


 まだ妖怪に成りたてだったその頃、猫田は復讐の為に、人里や山野を駆け巡っては復讐相手達を仕留めていったのだが、その内の一人が猟師となり山で生活しているものになっていた。復讐に気を取られていた当時の猫田は、それを全く気にすることなく賊の一人を始末したのだが、運悪くその痕跡を他の人間達に見つけられてしまったのだ。

 当たり前だが、山中に人を脅かす虎か、不可思議な獣がいるとなれば人間は黙っていない。すぐに近隣の里や村の者達から成る山狩り隊が組まれ、数日間徹底的に捜索が入るのを、猫田は身を隠しつつじっと見ていた。


 復讐を遂げる前に見つかったら、その時は邪魔する者達を皆殺しにしてでも…と思っていたのだが、猫田の中には、飼い主であるミツ一家と暮らした思い出が根強く残っていた事もあり、積極的に人へ危害を加えようという気にはならなかった。ただただ面倒な事になったと感じて、それ以来、猫田は慎重さを身につけたのである。


 ガサガサと草をかき分けて、道なき道を突き進む。人型になっていても、猫田の身体は強い霊力で守られているので、多少の棘や鋭い葉などは気にならない。問題は、雪女達が暮す里の場所が、正確には解らないことであった。

 およそ150年振りの大雪山は、当時と時期が違うこともあって感覚が狂ってしまう。それでも猫田は正しいルートで雪女の里へ近づいていた。それは氷雨の残した氷の結晶が、背中を後押ししてくれているように思えるほどだ。


「お前も早く帰りたかったのか?…なんてな、人間みてーだ。そういや、昔世話になった家の爺さん婆さんも、よく仏壇に話しかけてたなぁ」


 過去の猫田は、一つの家に五年から十年ほど居候をして、猫又であることがバレないよう折を見て出ていく生活をしていたのだが、その中で何度も見たのは連れ合いを無くした老人が墓や仏壇に話しかける姿だった。墓はまだいい、遺骨や遺体がある分、成仏していない本人の魂がそこに佇んでいる事があるからだ。

 ところが、仏壇となるとその数は激減する。葬式を済ませ、きちんと見送られた魂は、まず家にはいないのだ。だが、逆に残った家族は仏壇に話しかける事が非常に多くなる。飼い猫のフリをして生活しながら人間は不思議な事をすると思っていたのだが、猫田は今になって、彼らがこう言う気持ちあったのかと腹に落ちているようだった。


 そうしてしばらく進むと、少し開けた場所に出た。この場所は見覚えがある、確か、後、追いかけてくる氷雨から逃げようと走り回った先でここに辿り着いたのだ。あの時は既に雪深い風景だったが、流石にこの時期に雪は見当たらない。しかし、ずいぶんとその割に空気が冷たいのは、雪女達の里が近いからなのだろうか。


「ここに来たってことは、そろそろだな。ええと、どっちだったっけか」


 特に目印になるものがない山の中なので、流石の猫田も感覚が鈍る。無闇に歩き回っても疲れるだけだと判断して、猫田は静かに目を閉じて、霊気の波を周囲に放った。雪女達の里は、外部からの余計な進入を避ける為に、彼女達独自の結界によって巧妙に隠されている。人狼の里と同じようなものだ。その為、例え上空から見下ろした所で傍目には見つける事など出来ないのだ。

 猫田が今やってみせたのは、自分の霊力を周囲に広く発散して、その霊力が結界にぶつかる場所を見つけようという作戦であった。音の反響で獲物を探す魚群探知機のようなものと考えればいいだろう。


「…!よし、見つけたぜ。だが」


 猫田はちらりと、背後にある高台の上に視線を向けた。そこには今まで誰もいなかったはずなのに、複数の女達が立ち、猫田を見下ろしていた。


「貴様、何者だ?我ら雪女の里に何の用か。返答次第ではただでは帰さんぞ!」


「やっぱ、見つけたら見つかるよなぁ……まぁ、迎えに出てきてくれたと思えばいいか」


 猫田は頭を搔いてそう呟く。先程猫田のやった霊力探査は、当然のことながら探そうとしている相手にも探知される技術だ。ましてや、相手は結界を張って、外からの侵入を防いでいる立場である。得体の知れない相手が網を張れば、警戒するのは至極当然の結果である。


「あー、悪気はなかったんだ、すまねぇな。お前ら雪女だろ?お前らの族長に渡したいものがあって来たんだ。迷惑ついでに案内しちゃくれねーか?」


 猫田はそう言って、両手を広げて肩の上に掲げた。抵抗も敵対の意図も無いというアピールのつもりだったが、雪女はそれを額面通りには受け取らなかったようだ。


「渡したいもの…?噓を吐け、何も持っていないではないか!怪しい奴め…どうやら人間ではなく妖怪のようだが、我らに仇なすつもりか?やはり、生かして帰すわけにはいかんな!」


「あ!?待て、ちゃんとここに……」


「問答無用ッ!」


 雪女達はまるで風に乗っているかのようにふわりと浮かんだ後、今度はかなりの速さで猫田に向かって飛び掛かってきた。相手の数は三人、先頭を走る猫田と話していた雪女がリーダーだろう。氷雨と違って着物ではなく、動きやすさを重視したスポーティな服装だ。その分、動きが早く、走る体捌きからしても近接戦の心得があるように思える。猫田が知る雪女達とは一線を画す存在であるのは疑いようもなかった。


「ちっ!聞く耳持たずか、仕方ねぇ…!」


 猫田は半身を逸らして、三人を迎え撃つ姿勢をとった。雪女達はいつの間にか、その手に氷で出来た武器を手にしている。先頭の女は氷の剣、後ろの二人の内、一人は手斧を持ち、もう一人は何も持っていなかった。


「喰らえ!」


 先頭の女が上段から剣を振るう。真っ正面から、何の駆け引きも策もなく、純粋に己の力のみで叩きのめしてやろう。そんな意気込みが剣に表れているようだ。猫田は冷静に一歩引いて、その斬撃を避けてみせた。だが、その直後、今度は猫田の死角から手斧を持った雪女が迫ってきていた。回避の隙をついて押し込もうという意図が見える。こちらはどうやら戦術を考えているタイプらしい。女が横薙ぎに振りかぶった瞬間、猫田は尻尾を伸ばして振りかぶった方の肩を突き、同時に軸足を掴んで引っ張り勢いよく転倒させていた。


「もう一人、は……やべっ!?」


 最後の一人を視線で追うと、猫田はその狙いに気付いたようだ。少し離れた場所から無手だった女がこちらに向けて、氷の弾を発射しようとしている。三人は初めから、連携をとった同時攻撃を仕掛けるつもりだったのだ。前衛二人の攻撃は猫田の動きを抑える為の布石であり、三人目が放つ氷弾こそが本命であろう。彼女から放たれるその冷気と殺気、そして妖気の強さが、それを雄弁に物語っていた。


「お前ら…!」


 猫田は即座に跳び避けようとしたが、恐るべきことに、猫田の足は地面に凍り付いていた。最初に避けた女の一撃が地面に刺さって、猫田の足元を凍り付かせている。剣の女の方を見ると、女はニヤリと冷たい笑みを浮かべていた。

 そして、無数の氷弾が猫田達に向けて発射された。攻撃範囲的に二人諸共巻き込みそうだが、彼女達は雪女だ。雪や氷では傷つけられない、ダメージを負うのは猫田だけである。

 よく練られた戦法だ。彼女達はかなりの戦闘経験を積んでいるのだろう。


 猫田は目前に迫る氷弾をどう躱すか頭を悩ませた。魂炎玉こんえんぎょくを使えば、この程度の氷など消し去るのは造作もない。しかし、周囲の木々は燃えてしまうだろうし、何より戦っている彼女達は炎に弱いのである。殺し合いにきたわけでもないのに、雪女達を犠牲にするのはどうしても憚られた。


「なら、氷か…!」


 猫田は魂炎玉の炎を瞬時に氷へと変え、自分達を守るように巨大な氷壁を出現させてみせた。激しい音を立てて、氷弾は氷壁にぶつかって弾かれる。余りにも分厚い氷壁の出現に、戦っていた雪女達は呆気に取られてしまったようだ。


「き、貴様…同胞、か?いや、氷の妖怪に貴様のような奴がいるなんて、聞いたことが……」


「…お待ちなさい、そこまでです、三人共」


 雪女達を諫める声が、辺りに響く。空気そのものを凍り付かせたような強い冷気が、猫田と雪女三人を押し包んでいる。猫田はどこか懐かしいその気配の主の方を向いて、思わず笑みを浮かべた。その視線の先には、氷雨にそっくりな冷たい顔をした雪女が立ち、こちらを見下ろしているのだった。

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