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第235話 彼らの思惑

「槐様、狛が動きました。狙い通り先方と接触したようです、あの猫田という妖怪は単独でどこかへ行ってしまったようですが」


 左手に持ったスマートフォンで何者かから連絡を受けた黒萩こはぎが、隣に座る槐へ向けてそう言った。いつもの通り、中津洲市内の地下にある槐達の拠点の中だが、ここにいるのは黒萩こはぎと槐、そして護衛の女妖怪二人の四人だけだ。緋猩とその手下である狒々や猩々達を失ったことで、槐の組織は構成員の総数がかなり減ってしまったらしい。ここしばらく鳴りを潜めていたのもそれが理由と思われた。


「そうか、意外に早かったな。やはり、年寄連中が生きていて指示を出しているのか?……だが、あれだけの人数が身を隠せる場所など、そうあるはずもない。相変わらず、尻尾は掴めんのだろう?」


「はい。長老達だけでなく、子ども達までもが全く痕跡を残しておりません。やはり、あの時生き残ったのは狛だけなのでは?」


「いや、こちらの目を掻い潜って会社の連中に根回しが出来るほど、狛が動けるとは思えん。最低でも長老共の内、一人か二人は生き残っているはずだ。居所が掴めん内は、全員生きていると考えておいた方がいいだろう。ここまで俺達の目を誤魔化せるとは、頭の固い老人共にしてはしゃらくさい話だがな」


 人狼の隠れ里を知らぬ槐はそう言うと、つまらなさそうに右手を軽く上げた。今日は酒を飲んでおらず素面しらふのようで、表情は少し硬い。死んだと思われていた狛が戻ってきてから、思った以上に邪魔が入っているのが面白くないのだろう。

 犬神家の敷地は、雷獣の極雷とそれに伴うガス爆発や火災で跡形も残らず破壊され尽くしてしまった為、実際の所、誰が死んだのか確認できない状態であった。確実なのは、槐自ら手を下した実父ハル爺の死だけである。狛が生きている事と、拍に憑いているはずの犬神達が移動してこない所を見ると、一族の誰かは確実に生き残っているはずだが、行方が解らず死体も残っていないので確認が取れなかったのだ。


(あれで生き残れるはずもないと、監視を緩めたのが失敗だったか…)


 あの時、同時並行で自らの組織を動かす為、自分が率いる調査部の人員を監視に残さなかったのは槐のミスである。とはいえ、妖怪達はともかく、圧倒的にが足りていない彼らの組織の事を考慮すれば、それはやむを得ない判断だっただろう。実際に、拍が自分の命を削ってまで展開した結界が無ければ、誰一人生き残れたものはいなかったはずだ。


 はっきりと表情には出さないものの、ほぞを嚙むような思いを胸の内へ溜め込む槐に、黒萩こはぎは少し遠慮がちに声をかけた。


「……それにしても、よろしかったのですか?」


「何がだ?」


「今回の件です。檜扇邸で産出される霊石は貴重ですから、我々の手で押さえておいた方が良かったのでは?」


 黒萩こはぎが気にしているのは、狛が向かった檜扇権三郎邸の事である。どうやら、狛にメッセージを送ったのは槐達の策略であったらしい。邸に出没するという悪霊退治は、恐らく犬神家の対外交渉担当でもあった調査部に当初回ってきた話だったのだろう。世間的には、犬神家の内部が割れていることなど誰も知らないのだから、当然と言えば当然である。


「構わんさ、どちらにしても外から見れば犬神家おれたちの手柄だ。それに、狛の奴がどれほど成長したかを試すにはちょうど手頃だろう。上手く退治できればよし、そろそろ目障りになってきた狛が死んでもよしだ。仮に狛が失敗した時は、俺が出張ればいい話だからな。それよりも、を進める方が先だろう。龍点穴りゅうてんけつの調査はどうなっている?」


 点穴は、中国武術の理論に見られる、人体の経脈上に存在するという弱点である。だが、龍点穴とは一体何のことなのか、それを知っているのは槐と黒萩こはぎの二人のみであるようだ。


「緋猩達を失ったことで若干の狂いが出ていますが、割り出しを急いでいます。あと数日の内に絞り込めるかと……」


「そうか、いよいよだな…ククク、ハーハッハハハハ!」


 そう呟く槐の顔に笑みが浮かぶ。狂いを見せていた計画が本来の軌道に戻ると知ってよほど嬉しいらしい。彼の表情が和らぐと、護衛役の女妖怪達も薄笑いを見せてその足にまとわりついている。

 龍点穴とは何なのか、彼らはそれを使って何をしようとしているのか、その目論見はまだ誰にもわからない。しかし、この国を襲う恐るべき災いがゆっくりと近づいているのは間違いないようだ。地下ならではの冷たい空気が漂う中、槐の笑い声が怪しく響いていた。





「本来は、内々で処理すればよかったのですがね……身内の恥を晒すようで何とも情けない話ですが、我が家にはそういった力ある術者がおりませんでな。お手数をお掛けして申し訳ないことです」


 先を歩く権章は、溜め息交じりに肩を落としている。霊石鉱が屋敷の下に埋まっていただけで、檜扇家の人々は特別霊的な才能に優れているわけではないようだ。直接霊石に触れて育ったならまだしも、地下に埋もれた鉱脈の影響で才能が育つわけではないというのは、当然と言えば当然だろう。


「いえ、霊石の確保は私達退魔士にとっても極めて重要なことなので、協力は惜しみません」


 狛は改まった態度でそう言って、権章の後ろをついていった。きっと拍ならば、同じ事を言ったに違いない。昨日届いた謎のメッセージが檜扇邸の事を示していると解り、すぐに狛は人狼の里にいる長老達と連絡を取った。そこで迅速に狛が動くよう指示を出したのは最長老たるまみである。彼女曰く、檜扇邸の霊石鉱が悪霊の手に渡れば大変な事になるとのことだ。霊石は魂の欠片とも言われる特殊な鉱石なので、悪霊にも力を与えてしまう可能性がある。むしろ、肉体という殻を持つ人間よりも、剝き身の魂により近い霊体の方が、霊石から受ける影響は大きいかもしれないほどだ。

 厄介な事に、檜扇邸の霊石鉱には、まだ手付かずの霊石が相当数埋蔵されているらしい。一説によると、日本の退魔士達がカメリア王国から買い付ける年間の霊石、その総数の数十年分にあたるほどが残っているという。それが事実なら、途轍もない量である。


 それほどの数の霊石が何故残っているのかと言えば、それは単純にコストの問題だ。


 霊石は陰陽師などを含む退魔士や、霊能者、霊媒師などが仕事道具として扱うものである。先述の通り、一般的な宝石のような使い方は出来ないが、産出される場所がそう多くないことから、貴重な鉱石と言ってもいい。だが、使い道とそれを使う人間の数が限られていると言う事は、採掘にかかるコストの採算を取るのが難しいと言う事にも繋がるものだ。

 カメリア王国のように、販路を世界中に拡大して持っているなら安く売る事もできるだろうが、檜扇家が個人で採掘して売るには値段が高くなりすぎてしまう。それもあって、近代に入り多くの退魔士が海外から霊石を買い付ける事が出来るようになってから、檜扇家は霊石の採掘を止めていたらしい。


 だが、ここ数か月、国内での霊石の需要は大きな高まりをみせていた。それは槐達が、狂華種によって妖怪達を凶暴化させたことに端を発し、各地で妖怪達に対抗しようと、退魔士達がこぞって霊石を買い付け始めたからである。加えて、幻場まほろば達、自衛隊が新装備開発の為に大量の霊石を買い集めていた事も原因の一つであった。

 当たり前だが、金になるならば人は動く。数十年霊石の採掘をしていなかった檜扇家だが、流れに乗って再開することにしたらしい。その矢先の出来事であった。採掘現場である地下に入ろうとした所で、中庭に悪霊としか言えない怪物が出現し、作業に入ろうとした人間を次々に襲い始めたのだ。アルバイトで参加していた10名の内、7名が怪我を負い、2名が命を落としたという。


 その後、どういう訳か悪霊は姿を消したが、地下に入ろうとする度に現れて攻撃してくる。あまりにそれが続いたので犬神家(調査部)に助けを求めたのだそうだ。狛は改めてその話を聞き、急いで来て正解だと確信した。このままでは犠牲者の数は増える一方だろう。霊石も重要だが、やはり人の命が最優先である。狛はそのまだ見ぬ悪霊を倒すべく、覚悟を決めるのであった。


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