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第231話 狛と氷雨

「あ、デートに行くの?いいんじゃない?ずっと家に閉じこもりっぱなしだし」


「おい!?」


 ショッピングに行きたいという氷雨の提案に、先に食いついたのは狛であった。猫田は予想外に背中から撃たれて動揺しているようだ。


(狛の奴め…!体よく俺らを家から追い出す気だな!?)


(ごめんね、猫田さん。ちょっと私も今日くらい心を休ませたいから……)


 狛の学校は一足早いGWに突入しているので、今は連休中である。ただ、氷雨が来てから色々あり過ぎて、はっきり言って狛は疲れていた。とはいえ、何も考えずに言っているわけでもない。二人きりで出かければ、氷雨も隠し事を話しやすいのではないかという思いもあるようだ。

 それ自体は猫田も否定しないアイディアではあるが、ただでさえ氷雨の相手で疲弊しているというのに、人間の多い場所へ彼女を連れ出すのは色々な意味で負担が大きい。猫田は人知れず最大のピンチを迎えていた。


「うふふ、それじゃお狛も連れてと洒落込みんしょう。楽しみでありんすねぇ」


「え!?デートなのに私も行くの?!」


「当たり前でありんしょう。誰が荷物をお持ちなさるんでありんす?」


「うわ、ナチュラルに荷物持ちかぁ……」


「へへっ、狛、お前だけ楽しようったって、そうは問屋が卸さねぇぞ…!」


 項垂れる狛を前にして、猫田は勝利宣言の如く胸を張っているが、結局買い物に連れて行かされるのは確定なので決して勝ってはいない。むしろ、断るチャンスを失った分マイナスと言えるだろう。それに猫田が気付いたのは、その直後の事である。そんな朝食を終えた後、三人は連れ立って出かけるのだった。



「おお…何と大きな……それに凄い人の数、いやぁ都会の街は凄うござりんすねぇ!」


 氷雨は目を爛々と輝かせて、敷地の入口で感動してみせた。狛達がやってきたのは、ナカツパークと呼ばれる大型商業施設である。中津洲市の郊外…市の中心部からかなり離れた場所にあるこの施設には複数の店舗が軒を連ねており、アウトレット店から映画館、美術館に加え、小規模ながら大型の遊具施設まで用意されている。まさに大人から子供まで幅広く楽しめる、中津洲市最大のアミューズメントパークだ。

 その歴史は古く、二棟ある建物の内、戦後に建てられた旧館は、元々複数の商業店舗が入った大型デパートのような造りである。当時は映画館がとても人気で、週末ともなれば家族連れがこぞってやってくる人気スポットであった。そして刻を経て何度目かのリニューアルの折り、数年前に新館が建設されたのだが、新館は主に地元出身の若手アーティストやデザイナーが格安で店を出せるよう設計されていた。その為、若者の出入りが顕著である。

 これら全ての出資は中津島氏の一族自らが行っていて、地元の商店街と競合しないように、敢えて市内から離れた郊外に建設されたらしい。


「わ~、ここ来たの久し振りだなぁ。お兄ちゃんとか、誰かが車を出してくれないと中々来られないんだよねぇ」


「確かに、桔梗の家からでもだいぶ距離があったもんな。そうは言っても、狛なら歩ける距離だろ」


「…そりゃ鍛えてるから歩けるけど、荷物を持って帰れないでしょ。いくら私でも嫌だよ、荷物持って歩いて帰るのは」


 至極ごもっともな意見である。氷雨が長時間日の下を歩けないので、桔梗の家からここまではタクシーで来たのだが、それでもかなりの時間がかかっていた。この距離を荷物ありで歩いて帰るのは不可能ではないが、さすがにそれはご免被りたい所だろう。


「まあまあ、二人だけで話をしてねえで、行きんすえ。ぼうっとしてると時間が足りんせんからね」


 そう言って、氷雨に背中を押されて狛達は歩き出す。その時ほんの一瞬だけ、狛は違和感を覚えたが、それがなんなのかはよく解らなかった。はしゃぐ氷雨の横顔がとても綺麗だったことに見とれてしまったからかもしれない。


 そこからの氷雨は、まさにフルパワーで遊んでいた。映画はまだ良かったが、冷たいモノを中心とした食べ歩きにショッピング、さらに表の遊具施設でのはしゃぎっぷりには、狛も猫田も舌を巻くほど精力的であったのだ。まるで夏休み最後の遊びに来た子どものようにとにかく目に付くものへ飛び込んでいくから、着いて行くのもやっとである。特に狛は買った荷物を持ちながらなので相当な苦労だった。午前中の比較的早い時間に着いてから昼食もろくに食べずに遊び回り、気付けば時刻はあっという間に午後四時を回っていた。


「はぁはぁ…も、もうダメ……ちょっと休憩させて…お腹空いたぁ…」


「あれま、若いのにだらしねえでありんすねぇ。この位でへばるなんて年頃の女の子にあるまじき行為でありんすよ」


「そう言うな、コイツが悪いんだ。昼飯も食わずに歩かせてたらすぐへばるに決まってる。どっかで落ち着いて何か食うか」


 狛の両手には、山ほどの洋服や、若手芸術家の絵画やアート作品の入った袋が提げられている。その上、特に一点ものの木彫りの猫などは大きくて抱えないと持てないサイズだ。どこかのお土産物をインスパイアしているのか、何故か新巻鮭を咥えている所がかわいいのだが、何せ鮭が猫より大きいのでその分重さもかなりのものだ。狛の馬鹿力で何とか持ち歩けているのだろうが常人にはとても持ち運べる重さではない。だが、狛には何より昼食抜きがキツイのである。

 途中で食べ歩きをしていたが、狛は普段が驚異の大食漢であるせいか、歩きながら食べられる程度のものではろくなエネルギー補給にならないのが最大の弱点であった。しかも、食べていたのは氷雨のリクエストでソフトクリームやかき氷のような、お腹に溜まらないものばかり、狛でなくても限界が来るのは当然と言える。

 とはいえ、ここのフードコートがいくら大きくても、狛が満腹になるほどの食事を買ったら営業妨害になるのは火を見るよりも明らかだ。仕方なくフードコートの隅にある一角を陣取ると、控えめに全店舗から一食ずつ注文をして、足りない分は外の露店から買ってくることになった。それでも、狛の満腹には程遠い量なのだが。


「あむあむ…美味しい…!ここのご飯美味しいけど、特にお腹空いてたから全部美味しいよぅ…もぐもぐ」


「お狛、あんた前世は牛鬼かなんかでありんしたんじゃありんせんの?凄すぎるわ」


 この二日、氷雨は狛達と一緒に生活をしていたが、改めて狛の食事量が凄まじい事に氷雨は初めて気付いたようだ。何しろ他の食事客は、精々一人一品か二品がやっとである。15の店舗が立ち並ぶフードコートで、それら全部から一食ずつ購入してそれを食べきる人間など、どこにもいないのだ。氷雨は人間とまともに暮らしたことなどなかったので、狛が家で食べる量がおかしいとは思えなかったようだ。


「え?やだなぁ、これくらい普通だよ~」


「……お前が普通だったら、他の人間は皆病人になっちまうだろ。何人前食ってやがると思ってんだ。まだ食うのか?」


「ん~……本音を言えばあと四周…いや、五周はしたいけど、デートの邪魔になっちゃうしね」


「今更だが、お前本当にどういう胃袋してやがるんだよ…もう一杯ラーメン買って来てやるからそれで我慢しとけ」


「あ、じゃあ二件目のお店のわさびトンコツお願い!気になってたから!」


 狛のリクエストを背中に受けて、猫田は溜息を吐きながら歩いていった。そんな二人の様子を見ながら氷雨は苦笑している。


「本当にもう、主さん達の関係がよう解りんせんね。強いて言うなら兄妹のよいんす……あちきも雪女でなければ、もっと…」


「氷雨さん?」


 最後の呟きは小声過ぎてよく聞き取れなかったが、ごくわずかに、氷雨の手が震えているように狛には見えた。しばし食べる手を止めて見入っていると、視線に気づいたのか、氷雨はさっと手を隠し、狛と向かい合うように座り直した。そして、何事もなかったようにニッコリと微笑んでいる。雪女の性質なのか、氷雨が美人だからなのかは定かではないのだが、氷雨の笑顔をみると、ふっと肩の力が抜けて心が穏やかになる気がする。そして、細かな不安や想像などは気にならなくなって忘れてしまうのだ。相当振り回されても、氷雨自身を嫌う事が出来ないのは、そこに理由があるように狛には思えた。


 後から思い返してみて、狛はここで気付くべきだったのだ。氷雨が昼の水風呂を抜いても平気でいることに。何よりも雪女である彼女が、これだけの人の熱気がある場所で、長時間居られることが普通ではないのだということを。

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