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第226話 血毒の罠

 ゴゴゴゴゴ……という重低音が狭くなった空間に響いている。いくつも飲み込まれていた廃墟群や、大型の物品…恐らく海に流された車などは、空間が狭まった端から圧し潰され、強力な胃液で溶かされているようだ。これだけの魔法で空間を維持していたのだから、やはりサハルは優秀な魔法使いマキだったのだろう。彼女達を指揮した男、ギンザが、もう少しカメリア王の意を酌んで良い関係を築いていたなら彼女達は間違いなく幸せになれたはずだ。そう思うと、狛はやりきれなさが胸に滲む。


 だが、感傷に浸っている暇は無く、不死身の肉体を有するというザッハークと狛は、睨み合いながら次の手を模索していた。


 これまでの応酬からみても、今の狛のパワーは、ザッハークを大きく上回っているのは明らかだった。しかし、ザッハークには不死身の肉体と、瞬間移動を始めとした魔法、そして例の猛毒がある。現状は優勢である狛とて、迂闊な真似をすれば盤面を引っくり返される恐れもあり、踏み込んだ一手が打ち出せずにいるようだ。


「ぬうぅ…!」


 そして、それはザッハークも同じである。不死身の肉体に魔法、そして猛毒…どれも狛に対して有効打になり得るものではあるが、正攻法では通用しないだろう。現に先程は完全に不意を突いたはずだというのに、狛は完璧に対応してみせたのだ。ただの人間、しかも女と、彼の中ではこれ以上ないほど見下すはずの相手である。その底が知れないことが酷く不愉快で、また脅威だった。


(この娘、儂の妖毒を完全に打ち消したというのか?あり得ん事だ。…しかし、そうでなければこれだけの動きが出来るとは……だが、もう一度喰らえばどうだ?今度はもっと大量に流し込んでやれば、殺しきれるかもしれん)


 ザッハークの考えは概ね当たっていた。狛は己の力の覚醒によって、身の内にあった猛毒を浄化する事が出来たのだが、次また新たな毒を喰らえばそちらも無力化出来るとは限らない。当然、先程以上の毒を無効に出来る保証はなく、仮にそうできたとしても、再び爆発的な霊力を生みだして体内を浄化せねばならなくなる。それは確実に、致命的な隙だ。狛が先手を打って動かないのは、その毒を警戒しているからである。ザッハークはそこまでは勘付いていないものの、気付くのは時間の問題であった。


「よぉし…っ!」


 何かを閃いたように、ザッハークは不敵な笑みを浮かべた。そして、瞬間移動ではなく自らの足で、狛に向かって突っ込んでくる。


「…っ!?」


 それは狛も予想していない動きだった。これまでに二度、ザッハークは瞬間移動を使って接近し、不意を突こうとしてきたのだ。全てを知り尽くしたわけではないが、それがザッハークの得意な戦術であることは想像がつく。実際、瞬間移動で相手に察知されず間合いへ入り込むというのは、極めて有効な戦法である。よほどの実力者でない限り、それを破るのは難しいはずだ。一度目は成す術なく攻撃を受け、二度目に狛が対応できたのは、その攻撃を知っていたからとイツと完全同調した事により、これ以上ない程に反射神経が向上していた為だ。もっと狡猾に攻撃を組まれたら、今の狛とて対応しきるのは不可能である。


 だが、今のザッハークはあえてそれを捨てて、身体ごと突撃してくる手段を選んだ。しかも、狛からすれば決して早いとは言えないスピードだ。何かの罠であることは間違いないが、それが何かまでは解らない。ならば。


「ふぅっ…!」


 狛は小さく息を吐いて、迎え撃つようにザッハークへ向けて駆け出した。どんな罠であろうとも、それを食い破ってザッハークを討つしかないのだ。そう覚悟を決めたならば、後手に回るのは悪手でしかない。狛はザッハークが手段を講じる前に叩く事を選んでいた。

 それに、狛は何も無策で走り出したわけではない。ザッハークの瞬間移動に似た空間転移魔法テレポートを使う京介から、転移術や転移魔法の欠点を聞いていたのを思い出したからだ。

 京介曰く、転移系の術や魔法は強力だが、その反面、制御が非常に繊細な術であるという。例えば、相手の背後を取るように狙った場所へ転移しようとする場合、相手がじっとしているならばいいが、もし転移術を発動した時に敵が動き回っていたならば、背後へ飛んだ時には既に相手はその場所にいない為、意味が無くなるだろう。もちろん瞬間的に移動する分、それはほとんど誤差の範囲であるはずだが、標的が早く動けば動くほど、その差は大きくズレていくことになる。

 また、転移術は移動先を頭の中で指定しなければならない為、動き回る相手の元へ移動する場合は、その指定自体が難しい。京介は熟練の勘で相手の動きを先読みして転移をすることもあるが、よほどの事が無い限りやらないそうだ。指定をミスすれば大きな隙を晒す事になるし、下手をすれば障害物など、罠へ飛び込む事になるからである。

 よって、転移系の術を使う相手と戦う時は、出来るだけ足を止めない事、それが京介から教わっていた対処法であった。


 自分に向かって走って来る狛を見て、ザッハークは瞬間移動が封じられたことに気付いたようだ。だが、特にそれを気にする様子もなく、逆に対処を熟知している狛の動きを予期していたようであった。すかさず狛の知らない言葉で呪文を呟くと、向かってくる狛を迎え撃つように無数の氷の刃が地を走り、狛を狙った。


「あの時と一緒…ならっ!」


 それはサハルと戦っていた時に使われた魔法である。あの時は、咄嗟に後ろへ飛び退けたが、今ならば対処は別だ。狛はその足に霊力を注ぎ込むと、足元から襲い来る氷の刃を思いきり踏みつけた。まるで、霜を踏みつけて崩す遊びのように、狛の足は容易くその刃を砕き、冷たい破片となって散って行った。魔法で出来た氷を敢えて踏むというのは、通常ならばあり得ない行為だろう。場合によっては、凍らされて足をとられかねないものだ。だが、今の狛には手足を覆う霊力の毛皮がある。それは寒さに強く、そう簡単に凍る事などない鉄壁の鎧でもあった。狛の霊力を上回る魔力でない限り、結果はこの通りである。


「行ける!」


 狛は勢いを殺すことなく、足を止めずに駆けた。そして、ザッハークに接触すると、猛烈な速さで突きの連打を繰り出す。


「これ…ならっ!」


 大量の霊力を込めた連打が、ザッハークの身体に突き刺さる。不死身の肉体であっても再生するまでには時間がかかるはずだ。ここまでの攻防から見ても、それは異常な速さではあるが、それを上回るダメージを与え続ければ倒しきれる。狛はそう考えていた。

 ザッハークはその連打を防ごうとしていたが、その全てを防ぐことは出来ず、上半身はどんどんとボロボロになっていく。勝負はこのまま、狛が押し切るのも目前である…はずだった。


 「あっ!」


 突如として、ザッハークが消えた。狛の猛攻を受けて見る影もなくなっていたはずなのに、まだ瞬間移動で逃げる余裕があったのだ。だが、狛の視線はすぐに、移動したザッハークの姿を捉えていた。彼が移動した先にあったもの……それは、無惨にも殺されたサハルの死体である。


「ククク!そぅら!」


 まさに悪魔のような表情で、ザッハークはサハルの死体を掴み、狛目掛けてそれを投げた。彼女に同情してしまった狛は、その死体を無碍に扱うことなど出来はしない。投げつけられたサハルの死体を叩き落とす事も出来ず、狛は彼女の亡骸を抱き留めてしまった。すると、その瞬間にサハルの死体は醜く歪み、破裂した。


「ああっ!?」


 それはダメージを受ける様な威力ではなかったが、撒き散らされた血は、狛の身体とその周辺にベッタリと染みついている。それだけではない、細かく微細な氷の結晶となったザッハークの魔法がまだ生きていたのか、キラキラと血の色に輝くダイヤモンドダストが狛の周りを押し包んでいた。驚愕する狛に、ザッハークは勝ち誇ったように口を開いた。


「かかったな……貴様が恐れている儂の毒の正体を教えておいてやろう、それは儂の血だ。先程、貴様に浴びせられた攻撃の際、より濃度の高い血をたっぷりと周囲に飛び散らせておいた。そして、飛散した血は氷魔法で冷やされ、貴様の周りにある空気そのものを汚染している。……さて、貴様はどのくらい吸い込んだであろうなぁ?」


 狛は咄嗟に口を抑えたが、既に何度も呼吸をした後だ。よく見てみれば、からも血煙のように何かが立ち上っている。それら全てが罠だったと知った時には、既に凍りつく赤い輝きから逃れる事は出来そうになかった。

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