「このザッハークは我が国に伝わる最強の幻獣だ。持ち出すのには骨が折れたが、それに見合う力を持っている。貴様など敵ではないぞ!」
勝ち誇るサハルの隣に立つザッハークは、ずっと同じように邪悪な笑みを浮かべている。狛にはその笑みが恐ろしくてたまらない。本当にこれが人間を守護するものだとは思えなかった。
そして、ザッハークが現れた事でサハルは頭が冷えたらしい。雑に持っていた杖を構えて、術を使って戦う様子に変わっていた。
「さて、今度こそ貴様の息の根を止めてくれよう!ザッハークよ!あの女を殺せ!」
「くっ!」
サハルが杖を振るい、ザッハークが動き出す。人間の身体に肩から蛇の頭を生やしているザッハークは、見ようによっては腕が四本あるようにも見える。そんなかなり歪な身体のバランスから、動きは緩慢なように思っていたが、それは誤りだった。まるで、瞬間移動したかの如くあっという間に狛への距離を詰め、狛に襲いかかったのだ。
「なにっ!?」
あまりの速さに狛は驚愕し、防御が一手遅れた。強靭な拳が一発、二発と狛の顔面を捉え、激しい痛みが狛を襲う。なんとか三発目からはガードが間に合ったが、それだけでもかなりのダメージだ。揺れる視界に不快感を覚えつつ、狛は反撃の機会を待っていた。
「アハハハハ!手も足も出ないだろう?お前のような小娘が、敵うはずはないんだ!」
流れるような素早い連打に、サハルは目が追いついていないらしい。最初の二発が入ったことで、その後も完璧に入っていると思い込んでいるようだ。
(私を甘くみてくれてるなら、助かる…けど!)
防御に徹した狛の狙いは、ザッハークを一撃の元に打ち倒すことである。ザッハークは強敵だ、まともに戦えば苦戦するのは火を見るよりも明らかだが、それ以上にもっと厄介なのは、あのサハルと連携を取られることだ。
現在のサハルは復讐心に駆られ、まともな判断こそ危うくなっているが元々は優秀な魔法使いである。以前、空港で戦った時もそうだったが、彼女が接近戦よりも魔法を駆使した狡猾な戦い方をしていたら、狛は勝てなかったはずだ。これが一対一の戦いであれば、魔法を搔い潜って懐に飛び込むだけで、魔法使いは大半の力を封じられる。故に熟練の魔法使いほど、それに対応する術をいくつも用意しているだろう、まさに十重二十重の如くにも。しかし、それでも無限ではないはずだ。だからできるだけ、そういう状況に陥らないように戦うのが魔法使いである。
それを前提として、彼女達魔法使いの弱点を大きく補うものがあるとすれば、それは前衛で戦ってくれるものの存在だ。ザッハークは、その前衛なのだ。彼を打ち倒さない限り、サハルを倒すのは難しい。少なくとも、ザッハークを無視してサハルの懐に飛び込むのは不可能に近いと、狛は確信していた。
そしてそれは、本来のサハルであれば、容易に想像できることである。であれば、サハルはザッハークがやられる事の無いように援護をし、狛を狙うはずだ。だが、サハルはそれをしようとしていない。ザッハークの力を我が物として、それに酔っている。冷静さを失い、思考に隙があるこの状況こそ最大のチャンスだと言えるだろう。
激しい連打を受け続け、狛にはザッハークの隙が見えてきた。左右の剛腕から繰り出される拳と、それに織り交ぜて放たれる蛇の頭による頭突きのコンビネーション。それは脅威的な連続技だが、左肩の蛇による攻撃の後にはほんの僅かに硬直があるようだ。そこが付け目である。勝負は一度きり、もし失敗すればサハルが警戒するので、次の機会は更に難しくなるだろう。ザッハーク自身も戦い方を変えてくるかもしれない。そうなれば、さすがに狛の体力や霊力の方が先に尽きてしまう、そうなったらもうおしまいだ。
(っ…これも違う、あれも……来た、今だっ!)
ザッハークの苛烈すぎる攻撃の最中、左肩の蛇が狛を襲う。今までのパターン通りなら、この直後に隙があるはずだ。狛は巧みに態勢を整え右手のその爪に渾身の霊力を流し込む。そして…
「ええぃっ!!」
「ぬ!?ざ、ザッハーク!!」
狛がそれまで防御に徹していた右手を敢えて下げたことで、ザッハークは完全に左側からの攻撃に注力した。それは
どんなに鋭い攻撃でも、そこへ攻撃が来ると解っていれば、対処は容易い。ましてや実力が近いレベルであれば猶更だ。狛の力は決してザッハークに劣るわけではない。わざと作った隙への攻撃を凌ぐことなど、朝飯前である。
狛は自分の首を狙う蛇の頭を、直撃寸前に体を捻って躱した。同時に左足を一歩踏み込んで、完璧な間合いを取る。そうして深く落とし込んだ体勢から、右の拳でアッパー気味にザッハークの心臓を撃ち抜いた。あまりの破壊力に、ザッハークの左胸から肩にかけてまでが抉り取られ、吹き飛んでいる。勝負ありだ。
「このまま一気にっ…!」
狛は止まらず、ザッハークの横を通ってサハルの元へ駆け出した。距離にして10メートルと少し、今の狛ならば一瞬で駆け抜けられる距離である。その勢いでサハルの懐に飛び込み、一撃を加えれば勝てる……はずだった。
「シャアアアアアアッ!!」
「え…う、ウソっ!?」
抜き去って通り抜けたはずのザッハークの身体から、両の蛇の頭が伸び、狛を背後から強襲した。打ち倒したと確信していた相手の、しかも背後からの攻撃とあっては、狛も一瞬対処が遅れる。両足に噛みつかれた狛は、勢い余って倒れ込んでしまった。
「そんな…!?ううっ!」
ザッハークは生きていた、間違いなくダメージは負っているが、戦闘不能なほどではない。人間のような形をしていても幻獣であるザッハークはそう簡単には死なないらしい。心臓を失っても尚、不敵で不気味な笑みを浮かべてその場に立っている。ザッハークは、狛の想像を大きく上回る怪物であったのだ。
「ああ、あああああっ!!うううう…う、あああああっっ!」
全身が焼けるように熱くなって、弾けるような痛みが身体中のあちこちから湧き上がってくる。どんどんと身体の組織が破壊され、砂のように崩れ落ちていくようだ。あまりの痛みと苦しみに、狛は絶叫していた。
「く、クックック、アハハハハハ!いいザマだ!ギンザ様を死においやった貴様に相応しい。苦しいか?苦しいだろう!だが、私の受けた心の痛みはそんなものではない!もっとだ…もっと聞かせろ、貴様の哀れな悲鳴を!それを冥界で眠るギンザ様に届けてやる!」
「うぅっ…くっ、ああああっ!」
狛はもがき苦しみながら、残った霊力を尾に集中させ、足に食らいつく蛇の頭を弾いた。そのまま転がって、這ったまま2人から距離を取る。その動きだけで、身体中がバラバラになりそうな痛みを感じ、意識を失ってしまいそうだ。しかし、ここで気絶すれば、待っているのは確実な死である。
「ま…ま、だ…っ!うううっ!」
「ハハハ!見上げた根性だな!ザッハークの毒を受けてもまだ生きて足掻こうというのか?だが、どんな事をしても貴様はもう終わりだ!苦痛と絶望に塗れて死ぬがいい、ハーハッハッハッハ!」
サハルの勝利を確信した笑いが、高らかにこだまする。サハルはただひたすらに、狛の苦しみ喘ぐ姿を前に、笑い続けるのだった。