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第221話 邪悪な救援

 少しふらついて覚束ない立ち姿だが、サハルの目はしっかりとしている。その目に浮かぶ狂気と怒りは、どうやって狛を殺すか、それしか頭にないと言わんばかりの殺気に満ちていた。

 対して、それを受け流す狛の表情も厳しく、強い意思を漲らせているようだ。猫田が傷つけられた時のような、憎悪が先立つ憤りでなく、冷静さを保ったまま闘志を湧き立たせた澄んだ怒りである。


「やってくれたなァ…!私の顔に一撃を入れた程度で、いい気になるなよ、ガキが!」


「その程度で勝った気になんかならないよ。……そもそも、そんなものじゃ気が済まない。私、怒ってるんだから!」


 よく通る狛の声が、広い空間に響き渡った。これまで幾度となく妖怪達と戦って勝利してきた狛ではあるが、ミカの一件ほど自分の力が及ばず、悔やんだ事はない。自分にもっと力があれば、ミカを救えたのではないか?その思いはあれからずっと、狛の中から消えた事はないのだ。


 もしもミカが復讐を遂げず、その人生を全うしていたら……それがミカにとって幸せだったのか、狛には解らない。だが少なくとも、サハルと出会わなければ、或いは別のもっと正しい形であのホスト達に罪を償わせていれば、ミカはあんな最期を迎えなくて済んだはずだ。もしかすると、新たな人生をスタートして、幸せに生きる事も出来たかもしれない。たらればで語っても仕方のないことではあるが、狛はそう思わざるを得ない。だからこそ、彼女を無明の復讐の道へ向かわせたサハルが許せないのである。


 そんな狛の気迫を前にして、サハルはより憎しみを深めていた。狛の反撃が予想外だったこともあるが、何よりもサハルは、狛を見下しているのだ。実際には狛だけではなく、他の全ての霊能者や退魔士含めて、である。

 彼女の中にあるのは、自分達カメリア王国の魔法使いであるマキこそが、この世で最高の術者であるというプライドと驕りだ。そこには、マキを率いる立場にあった、ギンザという男への畏敬が根底にある。だが、そのギンザはもう既にこの世にはいない。それが彼女の全てを歪ませ、憎しみに駆り立てる原因となっているのだった。


「うがあぁぁぁぁぁッ!」


 獣のような叫びを上げて、三度サハルが狛へ突撃する。その速さと威力は更に鋭さを増し、まるで剛槍による突きを連発しているかのようだ。まともに当たれば、九十九つづらの上からでも大ダメージを受けるのは必至だろう。しかし、その攻撃は狛には全く届きはしなかった。


「ぬっ!?ぬぅぅ!!」


「っ!……えいっ!」


 繰り返される連撃の合間を縫って、狛の拳が再び、サハルの鳩尾に突き刺さる。サハルは今度こそ吹き飛ばされ、十数メートル先でもんどりうって倒れ、地を舐めていた。


「ぐはっ!ば、バカな!?」


 防御魔法によるガードは完璧に機能しているのだろう。急所に狛の一撃をまともに食らって、意識があるだけでも大したものだ。だが、さすがにすぐに立ち上がる事は出来ず、座り込んで狛をめ上げている。苦悶に満ちた表情には、信じられないという驚愕の色がありありと見て取れた。それだけ、己の力に自信があったに違いない。


「ふぅっ…」


 狛は息を吐き、その視線に負けぬ強い意思で睨み返していた。サハルは動揺しているが、今の攻防は当然の帰結である。元より、サハルは魔法使いであり、体術のプロではない。しかも、狛のように基本の体術すら学んでいない、素人そのものの動きだ。いかにその力と速さが尋常のものではないとしても、がむしゃらで隙だらけの攻撃など、当たるはずがないのである。

 更に言えば、サハルはその右腕の義手の力に頼る余り、右腕で攻撃しかしていない。どんなに速い攻撃であろうとも、右腕ただ一本から繰り出される攻撃では、自然と攻撃の幅も種類も少なくなる。事実、サハルは勢いに任せたストレートパンチしか打っていなかった。そんな攻撃は、狛の動体視力を持ってすれば見切る事など容易いのだが、憎しみに目を曇らせたサハルは、それにすら気付いていないようである。


「くっ…き、貴様なぞに!」


 悪態を吐くしか出来ないサハルを前にして、狛は不思議な気配を感じ取っていた。どこか遠くない場所から、2人を見ているものがいる。そんな視線を感じたのだ。


(誰かが私達を見てる?どこからだろう、凄く強い気配。……危険な相手かも)


 サハルから視線を外すことなく、狛はその視線の主を注意深く探ってみた。狛がその視線に気付いてみれば、相手もそれに気付いたのか、恐ろしい圧を隠すことなく放ち始めている。この気配は、人間の術者のものではない。妖怪や怪異に近いが、それらとはまた違う感覚だ。強いて言うならば、あの神野や山本さんもとのような、魔の者に近い気配というべきだろう。


 狛は退魔士となってからまだ日が浅いこともあり、本物の魔族、または悪魔という存在とはほとんど出会った事がない。あの神野と山本さんもとくらいのものである。第一に、悪魔というものは妖怪達と違って魔界の住人であり、人間界にそう居るものではないので出くわす事が少ないということもあるだろう。それ故か、その気配の主が何者であるのか察する事が出来なかった。それが、後手に回るきっかけとなったのだ。


「――――!」


「えっ!?」


 それは全く聞き覚えの無い言葉だった。恐らくは、呪文の類いだったのだろう。それが聞こえた途端、突如として鋭い氷の刃が地を走るように現れ、狛を狙ったのだ。

 狛は咄嗟に後ろへ跳んで避けたが、それは失敗だった。相手は狛がそう動くと見越していたかのように、大人の胴体ほどもある大きさの瓦礫を投げつけていたからだ。


「このっ!!」


 眼前に迫った瓦礫を避けるには、既に時間が無い。狛はやむを得ず渾身の力を込めて瓦礫を殴りつけ、辛くもそれを打ち砕くことに成功した。だが、その隙に、サハルの隣に男が立っていた。体長は優に3メートル以上の巨躯を持ち、おおよそ人に似た姿ではあるが、纏っている気配はまるきり人のそれではない。何よりも人と違うのは、両肩から、二つの蛇の頭が生えていることだ。


「ザッハーク!出てきてよいとは言っていないぞ!」


「フン…」


 ザッハークと呼ばれた男は、サハルを鼻で笑い、狛を見据えている。その名は先程、サハルが自らと共にこの国の人間を殺し尽くすと言った仲間の名前であった。つまりこの男は幻獣と呼ばれる存在なのだ。狛には聞き慣れない種族だが、只者でないことは一目で解った。

 その目で見られただけで、背中に氷でも詰め込まれたような悪寒が走り、狛の頬に汗が伝っていく。この男は、サハルなどよりもよほど危険な相手だと狛の直感が教えているようだ。


「あなたは……」


「驚いているようだな。本来はここで使うはずではなかったが、まぁいい。……この男こそ、我がカメリア王国に伝わる守護幻獣ザッハークよ!」


「守護幻獣…?」


 言葉通りの受け取るなら、それは国の守護神というべきものなのだろう。だが、それにしては禍々しい気配と殺気を纏っている。何よりも、国の守護者であるならば守るべき相手はカメリア国王の方であり、彼に敵対したテロリストであるギンザ一味の側についているのは明らかにおかしい。釈然としないものを感じる狛だったが、そんな疑問はすぐに頭から消え去っていた。ザッハークが狛を見て、ニヤリと笑った為だ。


(…っ!?)


 ゾッとする気持ちの悪さが全身を駆け巡り、思わず血の気が引くようだった。ザッハークの視線は、まさに獲物を前に舌なめずりをする捕食者のそれであり、狛に強い怖気を湧き立たせる。とても守護者などと呼べる品の良い物ではない。底知れない悪意が形となって現れたような恐ろしさが感じられた。

 そんな狛の心境を知ってか知らずか、サハルもまた不敵に笑う。ザッハークの笑みとは違う嗜虐心に満ちた笑みは、恐怖より不快さを際立たせるものであった。


「さぁ、ここからが我らの手番だ。精々、足掻いてみせるがいい、小娘」


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