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第215話 雨を呼ぶ声

 ざあざあと降りしきる雨が、窓を強く叩いている。昨日から降り続く雨は止む気配も無く、そう温かいとは言えない気温を更に寒々しく感じさせていた。猫田は猫の姿で窓辺に用意されたクッションの上に陣取って、雨粒だらけの窓の外を見るともなく見ている。


「猫田さん、足大丈夫?お水飲む?持ってこようか?」


 甲斐甲斐しく猫田の世話をしているのは、狛である。京介とのデートから始まり、死神二体との対話と対決を終えてから3週間、つい先日、カレンダーが四月になったばかりだ。


 猫田の前足を切り落とされたのがよほどショックだったのか、狛はあれから事ある毎に猫田の世話を焼くようになった。狛にしてみれば、正月から立て続けにハル爺を失い、兄の拍は未だ意識不明、おまけに実家は全焼と散々な目に遭い続けているので、大切なものを失うことを特に恐がるようになってしまっているのだろう。それを誰より間近で見てきた分、猫田は狛が不憫なので黙ってやりたいようにさせていたのだが、学校が春休みになってからは日がな一日ずっとついてくるので流石に鬱陶しい。そんな不満がいい加減、限界を迎えようとしていた。


「だぁーっ!もう、うるせぇ!大丈夫だっつってんだろ、いい加減にしろ!水くらい自分で飲むわ!」


「だって……」


 堪忍袋の緒が切れた猫田の怒りに、狛はしょげ返って返事をする他ないようだ。狛も悪気があるわけではないので、怒る事はないと頭では理解しているが、やはり猫田は猫なのである。ベタベタベタベタ引っ付かれているのは苦手だし、一人の自由な時間も欲しい。構って欲しい時には自分からアプローチをする…それが猫の生き方だ。猫を愛する人々は、その気ままさが良いと言うが、狛はどうにも愛犬であるアスラと同じような接し方をしたがるのである。いや、犬とて構われ過ぎるのを嫌う犬種もいるのだが。…とにかく、あれからもう3週間も経つのだし、そろそろ猫離れして欲しいというのが、猫田の願いであった。


「…ったく、落ち着いて外も見てられねーぜ。この通りピンピンしてんだよ、心配し過ぎだっての」


 猫田は元通りにくっついている左の前足を器用に動かしてみせた。猫なので力こぶは出ないが、傷跡もないし切断されるほどの大怪我をしたとは誰も信じないだろう。今はもう飛んだり跳ねたりしても痛みは全く無いし、痺れや動作に支障もない。ここまで綺麗さっぱり治癒しているのは、やはり京介のおかげである。

 元々、医術を学んだ経験のある京介は、回復魔法ヒールによる治療と、外科的な治療の双方を駆使して猫田の足を完璧に繋げてくれた。もっとも、彼が修得しているのは古い医術で、しかも動物は専門外だ。止むを得ず切断面に近い部分はガッツリ毛を刈りこんでしまった為、数日はみっともない状態が続いていたのだが、猫田は流石に妖怪だけあってそれらの再生も早く、すっかり全快したのだった。


「そんなに暇なら京介の奴と連絡取ってりゃいいじゃねーか。アイツも返事位よこすだろ」


「京介さん返事はくれるんだけど、慣れてないせいか中々メッセージが返ってこないんだよね。…あと平仮名ばっかりだし」


 先日の騒動でスマホを契約した京介だが、狛が強引にWINEを導入させた為、それで直接やり取りが出来るようになっていた。ただし、元々携帯電話を持ち歩かない生活をしていた男だからか、しょっちゅう仕事に持っていくのを忘れるらしい。例えば狛がおはようございますと挨拶を送っても、返事があるのは精々2~3回に一度で、それも狛が言う通り全て平仮名で書かれている。どうやら、変換が苦手らしい。最初の内などは、変換で絵文字が大量に含まれていて、暗号のようなメッセージが返ってきていた。


(あいつからすりゃあ、それでも頑張ってる方だと思うがなぁ……)


 猫田は内心で京介に同情しつつ、狛の不満をスルーしている。猫田のよく知る京介の情報は明治時代初めの頃で、当時は個人が機械を持つ事などほとんどなかった。なので、京介が機械音痴であることは猫田も知らなかったのだが、問題はそこではない。いかんせん女性に弱く、朴念仁とも言える京介が、狛のメッセージに数日かけてでもしっかり返事をしているだけで大したものだろう。


(変わったっつーか、成長したのかね。アイツも)


 問題は、狛が異性として京介に惚れている事を、京介が気付いているかどうかである。普通、気のない男に毎日せっせとおはようやおやすみと言った挨拶など送らないと思うのだが、あの京介のことだ、若い女の子は挨拶がマメだなくらいにしか思っていないかもしれない。いくら猫田が妖怪で、人間の男女の機微には疎いと言っても、さすがにそれは無いだろうと思うのだが、怪しいところであった。


 そもそも、猫田自身、今まで生きてきて男女の付き合いが無かったわけではない…もちろん、相手は猫だ。若い頃はいいオンナを見つければちょっかいをかけに行ったし、数は多くないが、子どもがいた時期もある。ただ、母猫は普通の猫で、元を辿れば猫田もただの猫なので、妖怪として産まれた子どもはいなかったようだ。

 それを何度か繰り返した所で気付いた。番を見つけて子どもが生まれても、皆先に逝ってしまう。それがなんとも寂しくなって、猫田は雌猫を追いかけるのを止めた。およそ400年程前の話である。

 それ以前に問題だったのは、普通の猫達は猫田と違って、考える事がシンプルなのだ。妖怪化して思考が複雑になり、人に近い思考形態を手に入れたのはいいが、野生の動物達はほとんどが本能だけで生きている。彼らと話が通じないことなどだった。それも、猫田が普通の猫達と一緒に暮せなくなった理由のようだ。


 猫田に叱られたので、狛は渋々ベッドに移動してアスラを枕にスマホで動画を見始めた。この雨では出かけるのも難しいし、猫田やアスラに構うしかやることがないのだろう。やれやれと嘆息して、猫田は再び窓の外へ視線を向けた。


 京介と言えば、気になるのは別れ際に言っていた神の言葉もである。京介に聞いた所によると、あの神は予言めいたメッセージを残していたらしい。なんでも、この先の狛には大きな悲しみと戦いが待っているという話だ。退魔士として生きる以上、戦いは避けられないものなので、大きな戦いというのは解る。槐の事も片が付いていないことだし、それについては猫田も全力で補佐するつもりだ。


 しかし、悲しみとはなにか?狛が一番悲しむ事と言えば、やはり仲間や家族を傷つけられることだろう。だが、それを完璧に食い止めるのは困難と言わざるを得ない。身近にいる者達ならまだしも、自衛隊にいる弧乃木やその部下の畦井と十畝のように、どこで活動しているのか解らないものも多い上、そういう関係のものであっても狛は親しい仲間としてカウントするからだ。もっといえば、くりぃちゃぁの妖怪達であっても、狛は傷つけられれば大いに悲しむに違いない。それ自体はとても好ましいことだが、それでは際限がないのである。


(どうもフワッとしてて、気を付けようがねーんだよなぁ……)


 そもそも予言とは、100%必ずそうなるとは限らない、もし確実に回避させたいなら事細かく全て話すだろう。あの神がそうしなかったのだから、そこまで気にし過ぎる必要はないのかもしれない。


「それにしても、雨止まないねぇ……」


「ああ、そうだな……」


 二人は結局、雨音を子守歌代わりにして、そのままウトウトと眠りについてしまった。雨音に混じって近づく悪意の気配は、すぐそこまで迫っていた。

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