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第214話 予言と騒動の終結

 ぎゅっと目を瞑り、目を開ける。狛の視界に飛び込んできたのは、開けたばかりの目を覆いたくなるような惨状そのものであった。


「猫田さんっ!?」


「狛!?ああ、どうしよう、猫田さんが……わ、私のせいでっ!」


 倒れ込んだ神奈の上にもたれ掛かり、おびただしい程の血を流しているのは猫田である。いつもの大きな猫の姿でいるのは間違いないが、そこには明白な異常があった。


 


 「う……く…!」


 「猫田さん…!猫田さんっ!」


 駆けよって声をかけてみたものの、意識が朦朧としているのか呻き声はあっても返事がない。止血を試みてもどくどくと溢れて流れていく血を目の当たりにして、狛の意識がすぅっと冷めていくのが、自分でも手に取るようにはっきりと解った。狛の視線の先にいるその元凶であろう、もう一体の死神…歪な獣のような姿をした死神は、先程までとは姿を変えている。

 これまでは大柄な体に腕が三本、足が三本という奇怪な姿であったのだが、そんな今までの身体の中から、まるで着ぐるみを脱いで出てきたように、新たに全く別のシンプルな人間状の身体が現れて大鎌を手にこちらを見ている。その血に塗れた大鎌で、猫田の足を斬ったのだ。


「よくも……」


 感情を失ったような狛の声が、低く、しかし澄み渡るようにして一帯に響く。ここはあの老人の姿をした神が作った神域の中であり、本来の公園のように雑踏は聞こえてこない。だが、狛の声が響くのはそんな理由以前に、狛自身から恐ろしいほどの殺気が放たれているからだろう。その場にいる全員、今の狛を見ているだけで、その全身が凍てつく極寒の吹雪に曝されたような寒気を感じ、金縛りのようにその動きを封じられてしまっていた。


「こ、狛…?」


 神奈は、そんな狛を見るのは初めてだった。これまで、狛が怒りを露わにしたことがないわけではない。ちゃんと怒る時は怒る。とはいえ、身内や仲間、友達に甘い所があるので、それほど激しい怒りを見せた事はない。それ故、今の狛はまるで別人のようであり、神奈は自分の知る狛が居なくなってしまったのではないかと不安に思うほどの姿と言ってもいい。


 ふっ…と僅かな空気が流れるように、音もたてず狛が立ち上がる。猫田の血はべっとりと狛の手や身体に着いて、せっかくのデート用に決めてきたおしゃれは見る影もない。だが、狛はそんな事など爪の先程にも気にせず、ゆっくりと死神の元へ歩み始めていった。


 今は鍛え上げられた人間の身体に変わっている獣の死神は、一歩ずつ近づいてくる狛に気圧され、たじろいでいる。さっきまで狛が対話をしていた少年の死神とは違って、こちらは邪魔するものを力で排除する事に抵抗がないようだ。むしろ、殺しを楽しんでいる風さえ感じられる。だからこそ、猫田に致命の一撃を与えた後、勝ち誇るように見下して、続けて神奈に狙いを定めていたのだ。まさにそこへ、狛が戻ってきたのである。


 そんな経緯があるからか、獣の死神は、接近する狛の殺気に恐れをなして、手にした大鎌で狛を斬り殺そうとした。丸太よりも太く強靭な猫田の前足を、容易く切り落とすほど鋭い切れ味を持った大鎌である。猫田に比べれば狛の華奢な身体など、枯れ枝を折るよりも簡単に両断出来ると思っていたに違いない。


――!?


 だが、その目論見は脆くも崩れ去った。文字通り、大鎌は狛の身体に刃が当った瞬間、粉々に打ち砕けたのである。今日の狛は九十九つづらを身につけておらず、むしろ今は、狗神走狗の術で人狼化もしていない、純粋に生身の状態だ。しかし、その身に纏う霊力の強さはこれまでの比ではなく、死神の鎌を砕くほどの激流…いや、奔流となっている。


 元獣の死神は恐れをなして逃げ出そうとするが、ここは神域の中だ。神の許可がなければ出入りは出来ない、ましてや彼らは神の力を分け与えられた使徒と言うべき存在。強大な力を持った無関係の人間や、悪魔のように神と相反する力を持つものならまだしも、同種の力を持っている以上、簡単に逆らう事など出来ないのだ。


――!――!!?


 声にならない、言葉にもなっていない音を発して、元獣の死神は一歩また一歩と後退しながら、少しでも狛から離れようとしている。あまりの恐怖に、狛から目を離せないせいで、駆け出す事も出来ないようだ。そのまま、成す術なく狛がその手の届く距離まで迫った時、追い詰められた元獣の死神は、遂にその獰猛な牙を剥いた。


――ッ!!


 狛の身体に掴み掛り、もっとも簡単に狙えそうな首に両手をかけようとする。唯一の得物である大鎌を破壊された以上、素手で立ち向かうしかないのだろうが、狛の身体には強力な霊力が渦巻いているのだ。いくら容易くに見えても、それは悪手でしかない。そんな事にも気付けないほど、元獣の死神は恐怖で我を失っているようだった。


「………」


 無言で、何ら抵抗もしない狛の首にその手が触れる。その瞬間、その手はプレス機で圧し潰されたようにぐしゃぐしゃに変形し、瞬く間に手から腕へとそのダメージが駆け上っていった。


――ッ!?―――――ッッ!!!


 一際大きな音を発し、元獣の死神が仰け反り倒れてのた打ち回る。それは痛みと恐怖による絶叫なのだろうが、人の耳には、やはりなんらかのであるようにしか聞こえない。そして、狛は倒れた死神に対し、ゆっくりと

 何度も言っているが、今の狛の全身には余すところなく強大な霊力の流れが出来ている。ただ触れようとしただけでも、それはたった今しがた目の当たりにしたように、恐るべき破壊をもたらす力の塊なのだ。緩やかで、尚且つごく自然な動きをもって、狛はトドメを刺そうとしている。それは普段の狛ならば絶対にしない行動だ。怒りと憎しみによって我を忘れた狛は、確実に息の根を止める為、元獣の死神の首を掴もうとしていた。


「こ、ま……よ、よせ…っ!」


 後ほんの僅かで元獣の死神の首に狛の手が触れそうになったその時、意識を取り戻した猫田が、その声を振り絞った。同時に、狛の手がピタリと止まる。その声の主を確かめようと振り向き、猫田が目覚めたのだと知ると、その手を戻して、猫田の元へ駆けよっていった。


「猫田さんっ…!猫田さん、よかったぁっ!」


「バ、カやろ…簡単、に殺すんじゃ、ねーや……」


 狛が正気に戻った事で、神域内部を押し包んでいた強烈なプレッシャーも掻き消えた。当然、纏っていた強力な霊力も霧散している。動けるようになった京介は即座に猫田の元へ向かい、ありったけの法力を使って回復魔法ヒールをかけ、猫田の傷を癒した。猫田はああ言っているが、実際はかなりギリギリの、間一髪という状況であった。


「ううううぅ…!」


「ええと、神奈ちゃん、だったかな?悪いけど、猫田さんの腕…いや、前足か、取ってきてもらえるかい?」


「あ?ああ、はい…ちっ」


 狛以外にちゃん付けで呼ばれる事に慣れていないので、京介にそう呼ばれて、神奈は思わず彼を睨みつけた。京介にしてみれば、狛がそう呼んでいるのを聞いただけで、神奈の名前を知らないのでそう呼ぶしかなかった。なにしろさっきまで、神奈は気絶していたからだ。ましてや、狛が京介に特別な想いを抱いていることに、神奈が嫉妬しているなど思いもよらないのである。


(し、舌打ちされた…!?名前を呼ばれたのがそんなに気に入らなかったのか、若い子って恐いな……)


 狛が猫田の頭を抱き締めて泣いているので頼むわけにもいかず、仕方なく頼んだだけで舌打ちまでされて、京介はいたたまれない気持ちで一杯である。とはいえ、猫田の治療を止めるわけにはいかない、幸い神域は無菌室のようなもので、衛生的には完璧な空間であるので切断された前足を繋げるのはさほど問題ないはずだ。


「……」


「ああ、早いね。ありがとう…って、ん?」


 そんな京介の前に、スッと猫田の足を差し出したのは、あの少年であった。猫田の前足は彼の身体よりも大きく、重い。それをすんなりと持ち運んできたのは、まだ少年の身体を死神が操っている証拠だろう。一瞬ドキリとしたが、その表情は憑き物が落ちたように穏やかで、敵意の欠片も感じられない。その顔をみて、京介は狛がこちらの死神に対して責を果たしたのだと理解した。

 その傍らには、老人の姿をした神がいて、こちらも和解が済んだことを佇まいから察する事ができた。


「…人間と妖怪達よ、良くやってくれた。暴走していた方の死神は、このままこちらが引き取ろう。改めて、礼を言う」


「礼を言うならあちらの、狛という娘にですよ。俺…いや、僕らは見捨てようとしていましたからね」


「あの娘にはもう礼を言った。それに、お前達が片方を食い止めてくれなければ成し得なかったことであろう。お前達も立派に働いてくれたと思っておる」


 すっかり老人然とした喋り口は止めたようで、神はそれらしい尊大な口振りをしている。そして、神は少しの間黙った後、口を開いた。


「あの娘には、この先とても大きな悲しみと、想像を絶する戦いが待ち受けている。残念だが、私が神として手を貸せる事は少ない……どうか、力になってやってくれ」


「悲しみ…?あなたは、未来を……」


 京介の問いかけに、それ以上答える事はできないのだろう。神は目を伏せ、口を閉ざした。そんな神の予言めいた言葉に、京介達は強い胸騒ぎを覚えるのだった。

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