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第213話 神なる懺悔

 死神はとつとつと言葉を吐き出す。それはまるで懺悔のようで、狛はイツを肩に乗せて沈痛な面持ちで話に聞き入っていた。


「私とあの子は、それぞれが今の身体になる前は恋人同士だったのだ。…もちろん、この国ではなく、遠い異国の、過去の時代だ。理由は覚えていないが、私達は孤児で、その日を生きるので精一杯…そんな暮らしだったと、思う。親も学もない私に出来ることは、精々人を傷つけて金を稼ぐことだけ。そしてあの子は身体を売って…そんな風に二人して日銭を稼いでは、一日の終わりに同じベッドで身を寄せ合って眠る……そんな日々、だったはずだ」


 どこか他人事のように話すのは、それが前世という、現在の自分とは違う人生の話だからなのだろう。ましてや、今の彼は死神である。逆に言えば、それだけ覚えている事が奇跡のようでもあった。


「やがて、少々の金が貯まった頃、私達は権力者に買われることとなった。それまでの荒んだ生活を捨て、まともな生き方を歩めるのだと私達は手を取り合って喜び、そして奮起した。私は相変わらず兵士で、確かあの子は、召使い…のはず、だった。しかし、それは私達を騙すウソだったのだ。あの子も私も、良いように利用され、散々玩具にされた挙句、ゴミのように捨てられた。…何よりも悔しかったのは、あの子の腹には子どもが宿っていた事だ。私とあの子の……大事な子どもが…」


 死神の言葉は、狛の胸に殴りつけるような痛みと痛切な悲しみをもたらした。今、死神の精神と狛の魂は繋がって結びついている。死神が嘘やいい加減な話をしていない事は、心の底から…いや、魂で理解出来ている。だからこそ、真に迫る辛さが何よりも伝わってきていた。


「私は死の淵にあって、憎しみと怒り、そして怨みで悪霊になる寸前だった。そんな時だ、が神に拾われたのは。……神は私に、こう言った。その怒りを鎮め、神の為に生まれ変わるようにと。さすれば、あの子も私も、幸せな来世を与えてやると…もちろん、顔を見る事さえ叶わなかった、私達の子どもにも、だ。私はそれでいい、戦いで幾人もの命を奪ってきた私には上等な末路だろう、そう思えた。だから、私はそれを受け入れ死神として、寿命を迎える魂を刈り取り神の許へ送ることを始めたのだ。それ自体に何も不満はなかった、あの子に出会うまでは……」


 いつしか、死神は涙を流していた。今の今まで顔も見えなかったはずだが、彼が涙を流し始めてからは、しっかりとその顔を窺い知ることができる。それは少年と大人の境に立つ、どこにでもいる普通の男性の顔であった。そして狛もまた、彼の精神と共鳴して大粒の涙を流している。


「断っておくが、神が私を騙していたわけではない。ただ、あの子と私は別々に生まれ変わっていただけだ。だが、あの子について調べれば調べるほど、あの子はお世辞にも幸せな人生を歩んでいるとは言い難い人生を歩んでいた……私にはそれが許せなかった。だから、神の命に背いてでもあの子を守る事にした。本来であれば、とっくに神の御許へ送られているはずのあの子を、私が守ってきたのだよ」


「ちょ、ちょっと待って。それじゃ神様の許に送られていたら、あの子はどうなっていたの?」


「……我らの神は、教えの為に犠牲を求めている。神の教えを守らずに生きればどうなるか、教徒達に知らしめる為に……言わば、見せしめだ。そんなものに幸福な来世など与えはしない。冥府に送られるか、或いは、良くて天使として側仕えにするか、どちらかだろう。」


「そんな、そんなのって酷過ぎるよ…!それじゃあなたは何の為に…!?」


「ありがとう、その言葉だけでも救われる気がする。だが、私は死神だ、神に仕える者として、教義の為には時に厳しく残酷な結果が必要な事もあると理解している。そうでなければ、人は着いてこないからな」


 神という存在は、人の信仰心に全てを依存していると言っても過言ではないだろう。人間からすれば神は万能で、全知全能とされるものだが、必ずしもそうではない。所謂、神の世界…天界や神界と言った場所においての領土はそれぞれの神を信仰する信者の数…即ち、人の信仰心によって決められる。地上や現世で行使する権能の元となるものも同様だ。

 それ故に、彼らは各々が教義を作り、自らの存在を誇示する神話しんわを作り上げた。そうして、その教えと神話を基に人間の信者を増やし、信仰心を集めるのだ。全知全能たる神が、敵対者となる悪魔を滅ぼす事が出来ないのは、悪魔という戦う相手が必要だからである。


 もしも、人に都合のよいことばかりしか言わず、自由奔放に何をしてもよいという無法の神がいたらどうなるか?恐らく、快楽主義者からの支持は得られるだろうが、多くの人の心を掴む事は難しいはずだ。それでは社会が成り立たないし、何より人の心は複雑で、時に罰を求める心もあれば厳しく導く存在を尊ぶ者もいるだろう。神や仏というものは、多くの人の心に根付いていかなければ、見捨てられ忘れ去られてしまう弱さも内包しているのだ。死神が言っているのは、その為の犠牲なのである。

 だがそれは、この死神のケースのように非情で残酷な結果をもたらす事がある。彼はそれを理解した上で従っていた、はずだった。


「――それが、我が元を離れて、子に憑りつき守っている理由か?」


 突然、狛達の背後から声がした。振り返ってみると、そこに立っていたのは公園で出会ったあの老人である。その言葉と、外での言動からして、彼こそが死神の仕える神そのものだと、狛は改めて理解した。


「ああ、神よ。……あなたが間違っていると、私には言えませぬ。与えられた死神としての生を受けて幾星霜、私はずっとあなたを信じ、従ってきました。人に仇なす悪霊とならなかった恩も、決して忘れはしませぬ。……しかし、あの子は、あの子と我が子だけが私の全てだ…!いたずらに命を与え、それを奪うことなど言語道断。例え大恩あるあなたに逆らってでも、私はあの子を守りきってみせる!あの子が天寿を全うしたあかつきには喜んで罰を受けましょう。冥府魔道に堕とされようとも、何ら不満はありませぬ。どうか、あとほんの数十年でよいのです、あの子に幸せに生きる時間を与えてやっては下さいませんか?お願い致します…」


 死神の語る切なる願いを、神は静かに目を閉じて聞き入っていた。神が何を考えているのかは狛にも死神にも解らない、しかし、ここが精神世界であるが故だろう。彼に敵意や害意がないことは感覚で理解出来ている。長いような、短いような静謐な時間が流れた後、神はゆっくりと語り始めた。


「良かろう、お前の願いを聞き届けよう。ただし、お前が冥府魔道に堕ちる事は許さぬ。我が名において、お前はあの人の子をこのまま最期まで見守った後、改めて新たな生を受け、人として生きるのだ。よいな?」


「か、神よ…なんという温情を……よろしいのですか?そのようなことが…」


 それは破格の処遇である。自己の犠牲を覚悟していた死神にとっては願ってもない幸せだろう。それを聞いた死神はその場に蹲り、大声を上げて号泣していた。隣にいた狛は、自然と寄り添ってその背中を撫でてやる。狛自身、ボロボロと涙を溢しながらではあるが、それを拭っている余裕はないようだ。


「…許しを請うのは私の方であろう、あの人間の事はすまなかったな、許してくれ。かつての傲慢だった私は、命という機会と私の教えを与えれば、人はそれで幸せになると信じていたのだ。だが、現実は違うようだ。……私自身、迷っていた。もはや、現代において我が教えを聞き、それに殉じて生きる人間は少ない。天界においても大した領土は持てず、力は衰える一方。それは私の教義が間違っていたからではないかと、ずっと考えていた。そこへ来てお前の反抗だ。お前を追って地上へ降り立ってみれば、その娘を始めとした人間が、私が間違っていると教えてくれた…礼を言うぞ、人の子よ。お前がその死神の激情を治めてくれたからこそ、私はここに入って来られたのだ」


「あ……わ、私は、そんな」


 確かに、激しい炎に支配され、荒れ狂う死神の精神を鎮めたのは狛の力によるものである。しかし、それを成したのは救けにきてくれた宗吾の方だ。宗吾がいなければ、狛は炎に巻かれて魂そのものを焼失していただろう。図らずも己の未熟を突き付けられた狛は、謙遜して答えに窮してしまう。そんな狛の頬をイツが舐めて、泣いていたはずの死神も、その涙を拭って狛に頭を下げてみせた。


「いや、人間よ…お前のお陰だ。お前をここに迎え入れなければ、私は私自身を焼く炎を打ち消すことなど出来はしなかった。お前が必死に呼びかけてくれたお陰だとも。本当に、ありがとう…!」


 そうまでして頭を下げられては、狛もそれ以上謙遜を続けるわけにもいかない。納得はしていないが、ここで問答をしている余裕はないのだ。狛はどうしても気がかりなことを尋ねてみる事にした。


「その、神様。外は…皆はどうなっているんですか?私、そろそろ戻らないと…!」


「む…そうだな。外のあやつも止めねばならぬ。よし、人の子よ、


 目を開けろとは、つまり肉体の方で目を覚ませという意味である。狛はゆっくりと目を閉じた後、元の身体に戻れる事を祈って力強く目を開けた。

その眼前に広がる光景は、開いたばかりの目を覆いたくなるような状況であるとも知らずに。

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