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第212話 宗吾と狛

 遠くで燃え盛る炎の音がする。イツ…いや、宗吾が作り出している霊力の結界は、狛の身体を炎と熱から完璧に守っていた。今の狛には到底真似のできない、極めて高度な結界術だ。

 しかし、それに見惚れたり、注意を払えるほど狛には余裕がない。今目の前にいる人物は、間違いなくここにいるはずのない、あり得ない人物であり、想像もしていない相手だったからだ。


「ほ、本当に……宗吾さん、なんですか?」


「無論だ、疑いたくなる気持ちは解るがな。俺も本当は出て来るつもりはなかったんだが…優秀で可愛い子孫の危機とあれば、黙ってみている訳にもいくまいよ。猫がずいぶんようだしな」


 宗吾が猫と呼ぶのは、他でもない猫田の事である。過去に見た記憶の中で、宗吾が猫田を猫と呼び、従えている場面があったのを覚えている。少なくとも、それは当時の関係者しか知り得ない情報であり、宗吾本人であることを示す一つの証拠であることは間違いなさそうだ。

 それにしても、今までに何度かイツの記憶で見てきたが、改めて自分の目で見ると、恐ろしい程に宗吾は狛と瓜二つであった。年齢差と男女で多少肉の付き型が違うので、違うと言えば違うのだが、髪型と髪の色を同じにしてしまえば、ほぼ同じ顔である。狛と拍も兄妹ながらかなり似ているが、宗吾と狛は本当に似ている。双子と言っても信じる人がいるかもしれない…そんな具合であった。


(猫田さんが私を見て宗吾さんと見間違えたの、解る気がする…)


 それもあってか、狛は自分がどんな表情をして、どういう感情でいればいいのか解らなかった。犬神家の歴史を紐解けば、犬神宗吾という人物は開祖以来の天才と評される人物である。そういう意味では尊敬もしているし、直に会えたことは嬉しくとても光栄だ。ただ、今このタイミングでというのは、あまりにも唐突過ぎてどう反応すればいいのか解らない。しかも、自分と鏡映しのように似ているのは、正直、少し怖いくらいである。せめて猫田が一緒にいる時なら、猫田は誰よりも彼に会いたいだろうからよかったのだが。


 宗吾は目を丸くして驚く狛の肩に左手を置くと、溜息を吐きながら、右手の拳骨カミナリを狛の頭に落とした。


「いっ!?…ったぁ~~~~っ!!」


「いつまでも呆けているからだ、状況を考えろ、バカが。一族の他の連中は、お前に何を教えているんだか……夢枕にでも立った方がよかったか?」


 青筋を立てながら、宗吾は怒りを隠さずに言った。どうやら、狛が思っていたよりもずっと、犬神宗吾はスパルタな人物だったらしい。とはいえ、確かに怒られるのは仕方ないにしても、殴らなくてもいいのに…と狛は涙を流しながら非難の眼を向けている。そんな視線は完璧に無視して、宗吾は不甲斐無い子孫への不満を露わにし、何やら物騒な事を口にしていた。なんとなくだが、この男は冗談を言うタイプに見えない…本気で夢に出てきてもおかしくない、そんな気がした。


「でも、どうして宗吾さんが、ここに…?」


 さっきの拳骨カミナリがよほど効いたのか、狛は恐る恐る尋ねてみた。もちろん、助けてくれたことには感謝しているが、ぶたれた挙句にバカ呼ばわりはあんまりすぎる。


「さっきも言ったろう?可愛い子孫の為さ」


「ええ…?」


「なんだその反応は?失礼な奴め。……お前の事はイツを通してずっと見ていたのさ。確かにお前には素質があるからな、ここで死なせるには惜しかった…そういうことだ」


 狛の頭を撫でる宗吾の微笑みはとても優しい。しかし、その表情はすぐに変わって険しさを前面に押し出したものへ変わった。


「いいか?お前の理想は尊重するが、解決の手段は一つじゃない。力にしろ対話にしろ、それらはあくまで方法に過ぎん。本当に優秀な退魔士になりたいと願うのならば、臨機応変に対応しろ。くれぐれも、一つの答えに凝り固まって、安易に自らの命を投げ出すような真似はするな」


「皆が…?ご、ごめんなさい!」


「俺に謝ってどうする。その意思があるのなら、もっともっと強くなれ…強くなって仲間を、群れを守る力を手に入れろ。それが俺達、犬神家のやり方だ。解ったか?」


 相当な圧を持って、狛の顔を覗き込む宗吾の迫力はすさまじい。頷く以外に選択肢はなさそうなので、狛は黙って首を縦に振る。宗吾は狛が委縮してしまった事に気付いたのか、ふむと小さく唸った。


「どうもお前の弱点は、その小心な所のようだな。…よし、よく見ておけよ」


 宗吾はそう言うと、狛の肩を掴んで抱き寄せ、空いている右手を大きく振るってみせた。すると、空から大量の雨が降り出し、一気に火勢を削いでいく。その雨はあっという間に激流へと変わり、炎の竜巻を飲み込んで周囲の火炎をどんどんと鎮火していった。


「え?えっ?」


「そう驚く事でもない、ここは死神の精神世界だ。今のはお前の霊力を使って、精神に干渉したまでのこと。お前が真に力を発揮できれば、あの程度の炎などに手を焼くことはないのさ」


「私の…力……」


 宗吾が自分を抱き寄せ、その身体に触れていたお陰で、狛は自分の霊力がどう使われて今の結果に繋がったのかをしっかり理解する事が出来た。遮二無二に戦っている時の狛とは違い、狛は変な所で急に気弱になる癖がある。それは生まれ持った性格なのか、あの兄に少々甘やかされて育ったせいなのかは定かではない。もっと自分に自信を持ち、その弱点を克服すれば、狛は更に強くなれると宗吾は教えたいようであった。


「俺が手を貸してやれるのはこれっきりだ。さっきも言ったが、俺はもうとっくの昔に終わった人間で、本来ならば現世に干渉することすら難しい。ここが彼岸と此岸の曖昧な場所だからこそ、イツの身体を借りてお前を助けてやれたが、次はない。…だから、狛よ。お前は強くなれ。今よりも誰よりも…そう、俺の手助けなどいらぬように。お前はそうなれる力を持っている、努力を続けていればな。それは俺だけではなく、全てのお前の祖先がそう思っているはずだ。だが、今はまだその時ではない。決して焦らず、努力を忘れるなよ」


「…はい!宗吾さん、ありがとうございますっ!」


 その言葉が、何故かすとんと狛の胸に落ちる気がした。やる事は今までと変わらず、前を向いて進んでいくだけだが、宗吾だけでなく多くの祖先が背中を押してくれているのだと思えばそれが何よりも嬉しく、また心強く思えるものだ。

 狛が満面の笑顔で答えると、宗吾もまた優しい笑顔に変わって、そのまま姿を消した。後に残ったのは、狛の手の上で尻尾を振っている小さなイツの姿と「猫によろしくな」という宗吾からの別れの言葉だけである。狛はイツに頬を寄せて、また小さくありがとうと呟いた。


 その間に、大量の水は引き、どこかへ流れ去っていったようだ。炎が完全に消えたことで、周囲は焼け焦げた荒涼な空間に様変わりしているが、とても澄んだ空気の、心地良い風が吹いている。そして、先程と変わらぬ場所に死神が立っていた。じっと狛の方を見つめているようだが、敵意や殺意は一切感じられない。炎を洗い流したことで、彼の中の激情も失われてしまったのだろうか。


 狛がゆっくりと近づいても、死神は抵抗する素振りさえみせなかった。そのまま手の届く距離まで来た時、初めて死神が口を開く。


「……お前は、本当に人間なのか?信じられぬ…何という力を持っているのだ。お前のような人間は見た事が、いや出会った事もない……神は、人間など弱くて脆いちっぽけな存在だと仰られていたのに…」


「…神様の言っていることは間違ってないと思います。私なんて、一人じゃ何にも出来ない、まだまだ駆け出しの退魔士だから。でも、そんな私でも先祖に助けられて結果を出す事が出来ました。だから、死神さん、あなたも私を頼ってみませんか?力になれる事が、きっとあると思うから」


 狛が優しくそう言うと、死神は項垂れたように肩を落とし、少し時間を空けてポツポツと言葉を紡ぎ出した。それは、少し悲しい物語のような話であった。


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