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第211話 まさかの救援

 どこまでも続く真っ白い空間の中で、狛は死神と相対している。


 白いというのは比喩ではなく、本当に何の色も無い白である。余りにも白すぎて、そこに死神がいなければ目が潰れてしまったと錯覚していただろう。そもそもこの空間は、熱くも寒くもない。僅かな風も吹いていなければ、匂いすらも感じられないせいで、五感のほとんどが封じられているような感覚に襲われている。


 最初に死神は、狛の魂と彼の精神を繋げた状態だと言っていた。つまり、今は幽体離脱をしているようなものだろう。肉体から魂が離れるというのはこう言う事なのかと、狛は半ば感心したような、酷く冷静な自分にも少しだけ驚いていた。


「さて、お前は私の事を知りたいと言っていたな。せっかく繋いでやったのだ、いくらでも答えてやろう。どうせ長引けば長引くほど、お前が戻れなくなるだけだ」


 言葉だけ聞けば、死神は楽しそうに話しているように聞こえるが、彼の発する言葉には感情が全く込められていない。言葉だけでその真意を読み取るのは難しそうに思える。気圧されてしまいそうになるのを堪えて、狛は真っ直ぐに死神の姿を見つめ返す。


「さっき、私に邪魔をするなって言いましたよね?あの時、あなたは私に何か伝えたい事があったんじゃないかって、そう思ったんです。…だから、もしそうなら話して欲しい。何か力になれることがあるかもしれないから…!」


 狛は出来るだけ真摯に、正面から死神と向き合おうと考えていた。力ではなく、対話による解決…それもまた、これから先の自分にとって重要なことだと思っているからだ。そんな狛の言葉を聞いて、死神はまた何の感情も込められていない声で言った。


「驚いた。そんな事で私と話がしたいと本気で言っているとは。今まさに自分の命すら危ういというのにな。まぁいい、答えてやろう。私にはお前に話す事など何もない、時間の無駄だ。それと断っておくが、私はお前がどうなろうと何とも思わない。私に慈悲の心のようなものを期待するなら無駄な事だぞ?私は神ではない、ただ魂を刈るだけの死神なのだからな」


 それは恐ろしく、冷たい宣告のように聞こえる言葉だった。だが、狛にはそれが言葉通りのものだとは思えない。狛の胸に、小さな引っ掛かりのようなものが刺さっているような、そんな感じがする。五感のほとんどが機能していないせいか、尚更その違和感は見過ごせないものであった。


「…それは、何となく解ります。でも、本当にそれだけ……ですか?」


「…なに?」


 これまで全く感情を見せなかった死神だが、今、初めて動揺か躊躇いに似たを含ませていた。それはほんの一瞬だけの、僅かなものであったが、決して誤解や勘違いではないように思う。狛はゆっくりと、その違和感について考えながら、それを言葉に変えていく。


「あなたが嘘を吐いているとは思ってません。けど、何か……そう、大事な事を隠しているような、そんな気がするんです。そもそも、あなたはどうしてあの子に…ううん、違う。なぜんですか?」


「…………」


 それは違和感とはまた別に、ずっと気になっていたことでもあった。狛は死神について詳しくはないが、京介が話を聞いていたあきらという男の言葉によれば、現世で死神同士が出会う事はほとんどないという。それは二人の死神が、同じ相手の魂を狙うということがないからではないだろうか。そう考えてみると、今目の前にいる死神と、後から追ってきた方の死神は全く別の目的を持っている可能性がある。

 つまり、どちらかの死神は、あの少年の魂を刈りにきたのではなく、むしろそれを阻止する為にいるのではないかということだ。


 そして、もしその仮定が正しいとすれば、少年を守ろうとしているのは目の前にいる方だろう。いつから憑りついているのかは解らないが、彼が少年の魂を狙っていたのなら、それを刈るタイミングはいくらでもあったはずだ。そうせずに憑りついたままでいたのは、少年を守りたかったからではないかと、狛は考えている。

 京介はそれをあり得ないと否定していたし、狛もこの状況になるまで自分の考えが甘いのだと思っていたが、ずっと感じている違和感について考えれば考えるほど、それは確信に変わっていくようだった。


 狛の指摘を受けた死神は、そのまま黙りこくってしまった。黙秘するということは、狛の想像が正しい証拠と言ってもいいだろう。そうしてたっぷり時間をかけた後、おもむろに死神が口を開く。


「……大したものだ。霊媒の才か?そこまで私の内を見通せるとはな」


「!?」


 死神が喋り始めると、その背後のずっと先で赤黒いがちらちらと蠢くものが見えた。今まではどこまでも真っ白なだけだった為に地平線すら曖昧だったが、それが見え始めたことではっきりと、空と大地の境界が解るようになってきた。さらに、そのはこちらに近づいてきている。


「あれは、火?……違う、炎だ?!」


 狛がそれに気付いた頃、既に炎は途轍もない速さで周囲を焼き尽くしながら迫ってきていた。白一色しかなかった空間は、立ちどころに炎の赤と焼け焦げた黒に塗り替えられ、焼けた匂いと熱を帯びた空気が轟々と音を立てている。


(この白い世界…ここはこの死神ヒトの精神そのものだったんだ…!さっきまでの白い空間は、うわべにすぎなくて…つまりこっちが本当の心の中ってこと!?)


 猛威を振るう炎と熱波は、異物である狛を容赦なく飲み込もうと猛り狂っていた。ここが彼の心を表すものであるならば、狛はそこに一歩踏み込んだと言う事なのだろう。問題はここからだ。


「きゃっ!?ど、どうしよ…このままじゃ話をする前に死んじゃう…!」


 霊符も何も持ち合わせていない狛は、辛うじて霊力を防壁にして身を守っていたが、さすがにこの熱量は危険だ。生身で焼け付く風を吸い込めば、身体の中から熱傷を起こしていただろう。ただ、これは現実ではないとはいえ、それを模したものではあるはずなので、ここでもし命を落とせば、それは魂の死を意味する。二度と現実には戻れず、下手をすればあの世にも行けないかもしれない。


 しかも、肝心の死神の姿は、さっきから炎に包まれて見えなくなってしまっていた。気配そのものは感じられる為、対話を拒絶されているわけではないようだが、何を考えているのかは不明だ。心の内に土足で踏み込まれていい気はしないのも解るが、いくらなんでもこの状況はマズすぎる。

 そうこうしている間にも炎は嵐のように吹き荒れ、やがて天を衝く巨大な竜巻となって狛の前に現れた。狛は絶句し、大きく口を開けて呆然としている。


「う、ウソ?これはさすがに……」


 逃げ出したくなる衝動に駆られたが、そもそも辺り一面は火の海である。狛が立っている足元だけが、元の真っ白な地面を残している状態だ。そもそも逃げる場所などどこにも無い。炎の竜巻は周囲の炎を取り込んでさらに巨大化し、狛を飲み込もうとしている。炎が目前に迫り、万事休すかと諦めかけてぎゅっと目を瞑ったその時、にわかに感じられていた熱が消えた。


「……?」


 恐る恐る目を開けると、そこには狛を庇うようにして立つイツの姿があった。鋭い眼光で正面を見据え、イツが中心となって狛の身体を包むように霊力で幕を張っている。


「イツっ!そっか、イツと私の魂は繋がってるから。ごめんね、私が諦めたらイツも死んじゃうのに…ホントにごめん」


 イツの小さな体を抱き締め、頬を寄せようとすると、狛の頭に誰かの手がポンと置かれた。その感触はイツのものではない、明らかに人の手だ。どういうわけか、抱き締めているのもイツではなく、人間に変わっているようだ。狛が慌てて顔を上げてみれば、イツは何故か大人の男性に姿を変えていた。


「全く、手のかかる子孫を持つと。……お前も犬神家の退魔士を名乗るなら、己が女子供だなどとは言わせんぞ」


「え、え?ウソ、そんな……!?」


 その顔、その声には覚えがある。兄や自分によく似たその顔は、猫田から聞いていたそのもので、狛自身、イツの記憶の中で何度か目にした人物である。男はニヤリと笑みを浮かべ、狛の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫で上げた。


「どうした?猫から聞いているだろう、俺の事は」


 そう、あの犬神宗吾が、そこにいた。


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