「さて、ここからどうするかだな。…しかし、おい、爺さん。まだ俺達はアンタの質問に答えちゃいねーと思うが、いいのかよ?」
猫田は死神から目を離さないようにしながら、老人に問いかけた。皮肉めいたその言葉にも、老人は特に何も感じていないようで、相変わらず無害そうにニコニコと笑顔を浮かべて答える。しかし、表情は笑っているのに、発せられるその声には何の感情も感じられない無機質なものである。
「構わぬ、聞きたい事は聞けた故に。間違いは正すべきじゃ、果たしてどちらが間違いかものう」
「ちっ…!こっちはこっちでまともじゃねーな」
もはや、老人はその異常さを隠さなくなっていた。もっとも、既に猫田だけでなく、この場の誰もが老人を見た目通りの人間だとは思っていない。今はその正体よりも、三度現れた死神にどう対処すべきかを考える方が先である。
狛は意を決したのか、少年と死神の前に進んで彼らの目前に立ち、正面から見据えて声をかけた。
「死神さん、何か伝えたい事があるなら教えてほしい。あなたはただその子の魂を連れていきたいだけ?それとも、何か別に目的があるの?どうか教えて下さい。出来るなら、私達はその子を助けたいから…!」
それは噓偽りない、狛の正直な気持ちである。ただ、死神の目的が少年の魂を刈ることであるなら、宣戦布告とも取れる内容だ。そう明け透けに言う必要はないのに正直に言ってしまう所が、狛の長所であり短所でもある。
当の死神は、狛の声が聞こえているのかいないのか解らない様子で、少年と共にその場で立ち尽くしていた。ローブの下の、瞳と思しき金色の光は変わらぬ輝きを放っており、そこから意思を窺い知る事は出来そうにない。同時に、こちらに対しても少年に対しても危害を加えようという動きもないようだ。
「お願い、答えて。あの時感じたあなたの言葉には、きっとまだ続きがあったはず。どうか……」
狛の中で、死神と戦うという選択肢は、今のところ無い。それは先程目の当たりにした死神の強さによるものだけではなく、時には違う形の解決もあると信じたいからだ。
『幸い、悪霊ってわけじゃなかったから三日間じっくり話し込んで説得したら成仏してくれたよ。あれは、ただ寂しかっただけだったのかもしれないな』
今朝聞いた京介の言葉が、狛の中で蘇る。そうだ、何も力だけが解決する手段ではない。京介は霊の為に心を砕き、三日間という時間を費やして話し合いで解決したという。それは無限に等しい時間を持つ京介だから出来る芸当なのかもしれないが、力で捻じ伏せる以外の方法や手段があるのなら、自分とてそれを試したい。京介に対する尊敬と恋心を除いても、彼のやり方は狛の理想とする退魔士の姿に最も近いのだ。
(私にも同じ事が出来るって、そんな自信過剰な事は言えないよ、京介さんに比べたら私なんて半人前もいい所だもん。でも、だからって試しもしないで諦めたくない……私にも、目指すべき姿があるんだからっ…!)
相変わらず反応を示さない死神ではあるが、狛は根気よくその眼と思しき光を見つめていた。すると、徐々に死神の眼の光は強くなり、それにつれて狛の周囲から全ての音と匂い、そして気配が消えていく。そう感じた瞬間、何もかもが光に包まれ、世界は狛と死神の二人だけに変わっていた。
「これ、は……」
――人間の娘よ、一時ではあるがお前の願いに応えてやろう。私が知りたいのならば教えてやる。
周囲は真っ白で、何も見えない空間だった。身体の感覚もやけにあやふやで、立っているとも、浮いているともつかない不思議な感触に包まれている。狛はそれが、目の前にいる死神の力によるものだと理解し、頭を下げた。
「ありがとう。私の話に応じてくれて、嬉しいよ。死神さん、色々聞かせてもらいたいけど、いいの?」
――構わぬ。が、今はお前の魂と私の精神とを一時的に繋げている状態だ。たかが人間の魂が、死神である私の精神と繋がって無事で済むとは限らぬよ。長く繋がれば繋がるほど、お前は魂が変調し、二度と元の肉体には戻れんかもしれん。お前こそそれでいいのか?
意地悪そうに話す死神の言葉が、何とも恐ろしい事実を突き付けてきた。だが、ここで恐れて身を引けば、今度こそ死神との交渉は決裂する、そんな気がするのだ。これが最大の、そして最後のチャンスなら、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。狛にとって、今までとは全く毛色の違う戦いが始まろうとしていた。
「狛…?おい、狛っ!どうした!?」
猫田は狛の様子が変わったことに気付き、慌ててその肩に触れた。だが、恐ろしい程に何も反応がない。魂が抜け落ちてしまったかのような状態に、思わず息を呑み、背筋に汗が流れていく。
「繋がったようじゃの、あまり乱暴に触れぬ方がよいぞ。その娘の魂は、そちらの死神と連結している状態じゃ。死神の力は強力無比…場合によっては魂への負荷が重くなり、そのまま潰れてしまうかもしれんからのう。今は肉体から魂への余計な干渉はせぬ方がよかろう」
老人が他人事のように呟くと、猫田だけでなく京介を除いた全員が、老人を睨みつけた。全ての元凶はこの老人にあると、誰もが本能的に悟ったようだ。特に神奈と三人娘の怒りは凄まじく、今にも老人に飛び掛かって八つ裂きにしてしまいそうな、強烈な殺気を纏っている。
「狛をどうするつもりだ!?コイツにもしもの事があったら、ただじゃおかねーぞ!」
「吠えるでない、そもそも儂がやっている事ではないのだ。死神との対話を望み、無謀にもそれに挑んだのは他ならぬその娘よ。今頃は死神と対話をし、その意思と目的を測っておる所じゃろう。たかが人間の魂に耐えられればの話じゃが」
「っの、野郎…!」
そうして怒りを露わにする猫田達とは違い、京介だけは静かに、神妙な面持ちで空を見上げていた。この場所に、何かが近づいてきている。それはかなり強力で、得体のしれない何かだ。それは少年の傍に立つ死神の纏う冷えた気配に似ているが、少し違う。それよりももっと荒々しく獣のような感覚がする。
「来た!」
ズゥンッ!と、身体の底に響くような重量感のある音と共に、それはやってきた。あの死神と同じく、身体をボロボロの黒い布で覆い隠そうとしているが、その歪な形は隠しきれていない。見えている身体の形は人間に近いが、体格は大きく、普通の人間の倍以上ある。普通の手足とは別に横っ腹から左右にもう二本ずつ手足が生えており、計六本の手と足を使って、這うようにして地面に立ち、こちらに敵意を向けている。元々ある右腕に大きな鎌を持っていなければ、これが死神だとは思えない、不気味な姿をした怪物である。
「な、なんだコイツは!?」
「
老人は目を細めて、その怪物に向けて呟いた。京介はその老人の言葉で、
「これも死神…なのか。皆、構えろ!来るぞ!」
その言葉を合図にするように、獣の死神はその鎌を豪快に振るい、邪魔な京介達諸共、あの少年と死神薙ぎ払おうとしてきた。猫田は一瞬で大型の猫形態に変化して、その腕を振り切る前に組み付いて、それを止める。
「コイツの狙いは、あのガキと死神か!…生憎だが、そうはさせねぇ。今は狛が話の最中なんでな、事情は知らねーが、止めさせてもらうぜ!」
猫田はそう言うが早いか、すぐさま尾を巧みに使い、熱線で大鎌を持つ腕を切り落とした。間髪入れずにその死神の首に噛みつき、勢いよく公園の中央へ投げ放つ。
だが、獣の死神は空中で姿勢を整え、再び綺麗に着地してみせた。同時に斬られた腕を立ちどころに再生させ、猫田を睨みつけている。
「ふむ…このままでは現世に影響を及ぼし過ぎるな。どれ」
老人はそう言うと何事かを呟き、パンと手を打った。瞬く間に老人を中心とした周辺一帯が見た事もない景色の場所へと変貌する。これは、間違いなく神域である。
「…これで互いに思う存分戦えるであろう。儂は見届けさせてもらう、儂の辿る神話が正しいのか、それとも、間違っておるのかを…な」
老人はそう言うと煙のように立ち消えていた。狛と少年達を守る為、もう一つの戦いが幕を開けた。