崩れ落ちた岩塊が、あちこちに積まれている。封印の間の中央で佇む
「ククッ!邪魔者はいなくなった、このまま地上に出て、人間共を全て妖に変えてやるとしよう」
そう独り言ちると、肉の柱と化している蛇のような下半身を蠢かせて体を伸ばし、勢いよく残っている天井部分を突き破っていった。
「ぐ、ぐぐっ!ぷはぁっ!!あっぶねぇ…死ぬかと思ったぜ。おい、お前ら大丈夫か?」
ガラガラと音を立てて、瓦礫の下から現れたのは猫田である。そして、その身体の下からは狛と
元々、猫田は洞窟内が狭くて変化しなかっただけなので、洞窟が崩れてしまうのであればこの姿に変化するのは問題ない。猫田に庇われた三人にも、特に目立った怪我はなく無事なようだ。ただ、薄く光りを放っていた封印の間が崩れてしまった為に辺りは真っ暗である。持ってきていた松明やランタンも埋まってしまった。
互いの顔色さえ満足に解らない状況だが、実理がもうここにいないことは全員が気付いていた。奴の目的は人間を妖怪に変え、人の世を破壊することにある。であれば、敵対者を全て排除したと思い込んで、地上へ向かったのも頷ける。
「…実理は、地上に向かったようだ。追いかけて倒すしかないな」
「奴の下半身はそこにあります。攻撃すれば、戻ってくるのでは?」
「それは元々アナトヒメの本体じゃねぇ。たぶん、この洞窟や上の古墳に侵入してきた連中の死体を寄せ集めて養分にしてたんだろう。どうせ切り離せるだろうから攻撃しても無駄だ。俺も狛と一緒で過去に何があったのか見てきたから解る。妖怪共はアナトヒメを手に入れる為に、ずいぶん無茶な襲撃を繰り返していたみてーだ。実理のヤツしか残ってねーってのも頷けるな」
そうだ、実理はもう自分一人しか仲間が残っていないと言っていた。あの時、偽りの伝承や逸話でアナトヒメを歪めてしまおうという作戦を話していたのは実理ではなかったので、首謀者は今日までの間に死んでしまったということだろう。逆に、それでも残った実理の狡猾さが恐ろしい。
「とにかく急ぐぞ。全員乗れ!」
猫田の背に、京介、
その頃、地上の遺跡では、突如地中から現れた実理によって大混乱に陥っていた。時間的に日暮れが近く、その前には両面宿儺の妖気砲が地上に届いていた為に、調査隊の多くは既にその場を離れていたことが不幸中の幸いだったと言える。残っていたのは一部の調査隊と、その護衛兼対霊要員の退魔士達ばかりであった。
現場は混乱の極みであるものの、そのほとんどがプロであるが故に、立て直しも早かった。残っていた調査隊の撤退を最優先とし、それをサポートする者達と、決死隊のように時間を稼ぐ者達とが瞬時に分かれて、実理に対抗している。
「ぬ、結界だと…?忌々しい人間共め、こんな所にまで…アナツヒメの噂に信憑性を持たせようとして、派手にやり過ぎたか」
「今だ!動きを抑えたぞ!」
「攻撃隊!霊符をばら撒けっ!」
実理の身体を十数人の退魔士達が結界で捉える。すかさず残りの退魔士達は霊符を使って、実理へ攻撃を仕掛けた。だが、しかし。
「なっ…バカな?!攻撃が効いていないぞ!」
「け、結界もだ!コイツ、何故動ける?!」
「クックック…!このアナツヒメの身体には、女王卑弥呼の残した封印がまだ残っている。愛する娘が
愛娘である
実理は、その身に蓄えられた妖気を固めて全身から矢のようにして撃ち出し、集まっていた退魔士達を次々と攻撃していった。
「あ、あああ……ば、化け物…っ!」
退魔士達が倒れゆく中、一人の若い男が物陰からその様子を見て恐怖に震えていた。彼は調査隊の一員としてやってきた学者の助手であり名を尾根田という。まだ経験も浅い青年だったのだが、実理の出現によって混乱した状況の中で逃げ遅れ、隠れていたのである。
尾根田は産まれて初めて目の当たりにする怪異に恐れをなし、ガチガチと奥歯を鳴らして震えていて、身動きも取れそうにない。
「み、
半ば現実逃避気味に、一緒に来た学者の名を呼んでいる。彼を連れてきた学者は、
「ほう、人間の女と男か…男はともかく、女の方は旨そうではないか」
「ひぃっ!?」
いつの間にか、二人が隠れていた調査隊のテントは破壊され、実理に見つかっていた。剥き出しになった地面の上でへたり込む尾根田と、彼の腕の中には三保が抱えられている。実理のような妖怪にとって、霊感や多少の霊能力を持った三保のような存在は、格好の獲物である。昔話などで、旅の僧侶が怪物に狙われるのも同じ理由だ。場合によっては、食べれば力が増す事もある為に、半端な力を持っていると怪異に狙われやすくなるのである。
「ククッ!番で喰らうのも一興か。ちょうど腹も減ってきた所だ、妖を生む前の英気を養う為にも、貴様らは腹の足しにしてやろう」
そう言うと、実理は蛇のようになっている下半身を揺らし、醜く身体を歪ませるとそこに大きな穴を開けた。開いた穴の中にはいくつもの鋭い歯と大きな舌があり、巨大な口になっている。既に上半身のアナトヒメだった部分は、実理の身体と逆転し入れ替わってしまっていた。毛むくじゃらの実理の腹にアナトヒメの顔だけが残っている、そんな状態だ。
「うわああああああっ!?だ、誰かっ、た、たたたた助けてっ!!」
自分達に食らいつこうとゆっくりと近づく巨大な口を前にして、尾根田が悲痛な叫び声を上げる。その悲鳴さえも前菜のように味わって、実理は恍惚とした邪悪な笑みを浮かべて、その口を二人に近づけた。
「させるかぁっっ!!」
その牙が届く寸前の所で、地面を突き破り、猫田が飛び出してきた。さらにその背中から狛が飛び降り、ありったけの力を込めて、実理の顔面を殴りつけた。ゴッ!という鈍い音が周囲に響き、実理は大きくのけ反って後退する。殴りつけられた顔からは、緑色の血が流れていた。
「がぁっ!?貴、様ら…、こ、この体に傷を…?!おのれぇ!」
「
「大丈夫よ、怪我はないわ。片方は、妖気に中てられて気絶しているようだけれど…」
地中から正確に、実理の凶行を阻止できたのは、
そのまま京介と
「後はテメーだけだ、覚悟するんだな!」
「覚悟?覚悟だと!?たかが猫又風情が、妖の母…いや女王にもなれる力を持ったこの俺に知った風な口を叩くな!多少力はあるようだが、所詮貴様らなどアナツヒメの敵ではないわ!見るがいいこの妖を生む力を!」
実理は猛る叫びを上げて、妖の種と呼ぶ光の粒を発生させる。それらが地面に蒔かれると、いくつもの土人形のような者達が現れ、京介達を取り囲んだのだった。