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第135話 地上戦

 崩れ落ちた岩塊が、あちこちに積まれている。封印の間の中央で佇む亜那都姫アナトヒメ…いや、実理は、動く者のいなくなったその状況に満足したのか、天を仰いでいた。


「ククッ!邪魔者はいなくなった、このまま地上に出て、人間共を全て妖に変えてやるとしよう」


 そう独り言ちると、肉の柱と化している蛇のような下半身を蠢かせて体を伸ばし、勢いよく残っている天井部分を突き破っていった。


「ぐ、ぐぐっ!ぷはぁっ!!あっぶねぇ…死ぬかと思ったぜ。おい、お前ら大丈夫か?」


 ガラガラと音を立てて、瓦礫の下から現れたのは猫田である。そして、その身体の下からは狛と黒萩こはぎ、そして京介が這い出してきた。あの時、猫田は両面宿儺にとどめを刺そうとしていたのだが、実理によって洞窟が崩れかけたのを察知して、急遽巨大な猫の姿になって狛達を庇っていたのだ。ちなみに、猫田が戦っていたはずの両面宿儺は、瓦礫に押し潰されてしまったのか、どこにも姿が見えない。


 元々、猫田は洞窟内が狭くて変化しなかっただけなので、洞窟が崩れてしまうのであればこの姿に変化するのは問題ない。猫田に庇われた三人にも、特に目立った怪我はなく無事なようだ。ただ、薄く光りを放っていた封印の間が崩れてしまった為に辺りは真っ暗である。持ってきていた松明やランタンも埋まってしまった。

 互いの顔色さえ満足に解らない状況だが、実理がもうここにいないことは全員が気付いていた。奴の目的は人間を妖怪に変え、人の世を破壊することにある。であれば、敵対者を全て排除したと思い込んで、地上へ向かったのも頷ける。


「…実理は、地上に向かったようだ。追いかけて倒すしかないな」


「奴の下半身はそこにあります。攻撃すれば、戻ってくるのでは?」


 黒萩こはぎはそう提案したが、今度は猫田がそれを否定した。


「それは元々アナトヒメの本体じゃねぇ。たぶん、この洞窟や上の古墳に侵入してきた連中の死体を寄せ集めて養分にしてたんだろう。どうせ切り離せるだろうから攻撃しても無駄だ。俺も狛と一緒で過去に何があったのか見てきたから解る。妖怪共はアナトヒメを手に入れる為に、ずいぶん無茶な襲撃を繰り返していたみてーだ。実理のヤツしか残ってねーってのも頷けるな」


 そうだ、実理はもう自分一人しか仲間が残っていないと言っていた。あの時、偽りの伝承や逸話でアナトヒメを歪めてしまおうという作戦を話していたのは実理ではなかったので、首謀者は今日までの間に死んでしまったということだろう。逆に、それでも残った実理の狡猾さが恐ろしい。


「とにかく急ぐぞ。全員乗れ!」


 猫田の背に、京介、黒萩こはぎ、狛の順番で乗る。狛はほんの少しだけ、京介の後ろが良かったと思ったが、今はそれどころではないと頭を切り替えた。そして、猫田は全身の力を前方に集中させて、残った洞窟の天井に飛び出していく。瞬く間にいくつもの地層を抜け、一行は地上へと脱出していった。



 その頃、地上の遺跡では、突如地中から現れた実理によって大混乱に陥っていた。時間的に日暮れが近く、その前には両面宿儺の妖気砲が地上に届いていた為に、調査隊の多くは既にその場を離れていたことが不幸中の幸いだったと言える。残っていたのは一部の調査隊と、その護衛兼対霊要員の退魔士達ばかりであった。

 現場は混乱の極みであるものの、そのほとんどがプロであるが故に、立て直しも早かった。残っていた調査隊の撤退を最優先とし、それをサポートする者達と、決死隊のように時間を稼ぐ者達とが瞬時に分かれて、実理に対抗している。


「ぬ、結界だと…?忌々しい人間共め、こんな所にまで…アナツヒメの噂に信憑性を持たせようとして、派手にやり過ぎたか」


「今だ!動きを抑えたぞ!」


「攻撃隊!霊符をばら撒けっ!」


 実理の身体を十数人の退魔士達が結界で捉える。すかさず残りの退魔士達は霊符を使って、実理へ攻撃を仕掛けた。だが、しかし。


「なっ…バカな?!攻撃が効いていないぞ!」


「け、結界もだ!コイツ、何故動ける?!」


「クックック…!このアナツヒメの身体には、女王卑弥呼の残した封印がまだ残っている。愛する娘が永遠とわに生きられるようにと創り上げた術がな。貴様ら凡百の退魔士如きの力で、それを破る事など出来ぬわ。死ねぃ!」


 愛娘である亜那都アナトが、地の底に封じられる事を不憫に思った卑弥呼は、せめて彼女が地底で永遠に生き延びられるように術を施していた。既に封印の間は崩れ、その術も大半の効果を失っているのだが、元々強力な術であったせいか、まだ影響が残っているようだ。並の退魔士の霊力では、それを打ち破ることは出来ず、成す術もない。

 実理は、その身に蓄えられた妖気を固めて全身から矢のようにして撃ち出し、集まっていた退魔士達を次々と攻撃していった。


「あ、あああ……ば、化け物…っ!」


 退魔士達が倒れゆく中、一人の若い男が物陰からその様子を見て恐怖に震えていた。彼は調査隊の一員としてやってきた学者の助手であり名を尾根田という。まだ経験も浅い青年だったのだが、実理の出現によって混乱した状況の中で逃げ遅れ、隠れていたのである。

 尾根田は産まれて初めて目の当たりにする怪異に恐れをなし、ガチガチと奥歯を鳴らして震えていて、身動きも取れそうにない。


「み、三保みもりせんせい…に、にげないと…」


 半ば現実逃避気味に、一緒に来た学者の名を呼んでいる。彼を連れてきた学者は、三保みもりというまだ若い女性の研究者で、彼にとっては片思いの相手でもあった。三保は少なからず霊感があった為に、調査に来てからずっと原因不明の頭痛を訴えており、あまりにも体調が優れないので少し休んでから帰還しようとしていた矢先に、実理の襲撃にあったのだ。三保は実理の妖気に中てられて意識を失い、倒れ込んでしまった。そんな彼女を守ろうとして、彼らは逃げ遅れてしまったのである。


「ほう、人間の女と男か…男はともかく、女の方は旨そうではないか」


「ひぃっ!?」


 いつの間にか、二人が隠れていた調査隊のテントは破壊され、実理に見つかっていた。剥き出しになった地面の上でへたり込む尾根田と、彼の腕の中には三保が抱えられている。実理のような妖怪にとって、霊感や多少の霊能力を持った三保のような存在は、格好の獲物である。昔話などで、旅の僧侶が怪物に狙われるのも同じ理由だ。場合によっては、食べれば力が増す事もある為に、半端な力を持っていると怪異に狙われやすくなるのである。


「ククッ!番で喰らうのも一興か。ちょうど腹も減ってきた所だ、妖を生む前の英気を養う為にも、貴様らは腹の足しにしてやろう」


 そう言うと、実理は蛇のようになっている下半身を揺らし、醜く身体を歪ませるとそこに大きな穴を開けた。開いた穴の中にはいくつもの鋭い歯と大きな舌があり、巨大な口になっている。既に上半身のアナトヒメだった部分は、実理の身体と逆転し入れ替わってしまっていた。毛むくじゃらの実理の腹にアナトヒメの顔だけが残っている、そんな状態だ。


「うわああああああっ!?だ、誰かっ、た、たたたた助けてっ!!」


 自分達に食らいつこうとゆっくりと近づく巨大な口を前にして、尾根田が悲痛な叫び声を上げる。その悲鳴さえも前菜のように味わって、実理は恍惚とした邪悪な笑みを浮かべて、その口を二人に近づけた。


「させるかぁっっ!!」


 その牙が届く寸前の所で、地面を突き破り、猫田が飛び出してきた。さらにその背中から狛が飛び降り、ありったけの力を込めて、実理の顔面を殴りつけた。ゴッ!という鈍い音が周囲に響き、実理は大きくのけ反って後退する。殴りつけられた顔からは、緑色の血が流れていた。


「がぁっ!?貴、様ら…、こ、この体に傷を…?!おのれぇ!」


黒萩こはぎさん、二人は?!」


「大丈夫よ、怪我はないわ。片方は、妖気に中てられて気絶しているようだけれど…」


 地中から正確に、実理の凶行を阻止できたのは、黒萩こはぎの霊視と精神感応テレパシーの応用によるものだ。調査隊の護衛である退魔士達が戦闘に入った事は地下からでも気づく事が出来たが、その後、実理が何をしているのかまでは解らなかった。そこで、黒萩こはぎが移動しながら霊視し、広域に精神感応テレパシーを投げる事で、レーダーのように生存者を探索したのだ。間一髪で連携が実を結んだ形である。


 そのまま京介と黒萩こはぎが猫田から飛び降りて、尾根田達を保護する。前衛に猫田と狛、後衛に黒萩こはぎと京介という布陣だ。


「後はテメーだけだ、覚悟するんだな!」


「覚悟?覚悟だと!?たかが猫又風情が、妖の母…いや女王にもなれる力を持ったこの俺に知った風な口を叩くな!多少力はあるようだが、所詮貴様らなどアナツヒメの敵ではないわ!見るがいいこの妖を生む力を!」


 実理は猛る叫びを上げて、妖の種と呼ぶ光の粒を発生させる。それらが地面に蒔かれると、いくつもの土人形のような者達が現れ、京介達を取り囲んだのだった。

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