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第134話 妖母簒奪

「このバカ…無茶しやがって、腕が無くなっちまう所だっただろうが」


「ご、ごめん。でも、どうしても…」


「わかってるよ、からな。お前があの女を救けてやりたいってんなら、俺も手伝ってやる。お前だけに背負わせたりしねーよ。…だから、今は俺に任せろ」


 猫田は狛の身体を抱き抱えて自分と狛の額同士を軽く擦りつけた。本物の猫が飼い主によくやるような、あの仕草だ。猫田自身、亜那都姫アナトヒメにどれだけ同情しているのかは解らないが、少なくとも狛の負担を一緒に背負うつもりはあるようだ。

 そのまま、猫田は京介の方に狛を放り投げると、両面宿儺を見据えながら大きく吠えた。


「京介!狛を任せる、治してやってくれ!」


「ああ、解った。だが、この傷は…」


 京介が目の当たりにした狛の両腕は、実に惨たらしい有り様であった。どちらの腕も、手首から肘までの間が黒く焼け焦げ、肉が完全に炭化してしまっている。右腕に至っては、白い骨がわずかに顔を覘かせている状態だ。通常の治療では手の施しようがない状態なのは、誰の目にも明らかであった。しかも、段々と痛みが出てきたのか、狛は大量の油汗を流し始めている。このまま放っておけばショック状態に陥って、最悪の場合は意識を失い命を落とすだろう。それだけは、させるわけにはいかない。


(万全の状態で回復魔法ヒールが使えれば治しきれるが、今この場では……いや、待てよ?一か八かだが、やってみるか)


「狛ちゃん、黒萩こはぎさん、二人の力を借りたい?いいか?」


「構いませんが、私はまだ身体が…」


「ぁ…わ、わたしも…大丈、夫。はぁ、はぁ…」


「大丈夫、そのままでいい。二人の霊力を分けて貰うだけだから…じゃあ、力を抜いて」


 京介はそう言うと、狛の肩に手を触れ、黒萩こはぎの手を握った。そのまま目を瞑り、何かの呪文を小さく詠唱し始める。すると、京介を中心に温かな光が沸き起こり、三人を包み込むように輝いていった。


神聖・聖域結界ディバイン・サンクチュアリ!」


 掛け声と共に薄いエメラルド色の光は、三人の頭上でオーロラを形成し、その中心では純白の光が小さな玉になって浮かんでいる。そこから溢れ出した光が狛と黒萩こはぎを優しく包むと、オーロラは形を変え、三体の手のひらサイズの小さな天使の姿になって、やがて美しい頌歌しょうかを鳴り響かせた。


「ふぅ…久々だけど、うまく行ったか」


「綺麗、これって…?」


 目の前で起きた美しい光景に、狛は痛みを忘れて感嘆の声を上げた。というよりも、あれだけ激しかった痛みそのものが無くなっている。傷ついた腕を見ると、黒く変色し、乾いた皮膚がどんどんと元の綺麗な肌に再生していくようだ。黒萩こはぎも、目を白黒させて驚きを隠せずにいる。京介は、そんな二人の様子を見て微笑み、今度は再び回復魔法ヒールを使って狛と黒萩こはぎの身体にかけていった。


「簡単に言うと、これは治療用の結界さ。この中にいると、肉体の持つ治癒力や再生能力が大幅に底上げされる。ついでに、回復魔法ヒールの効果も上がるんだ。ただ、これをやっている間は、防御結界が張れなくてね…だから」


 京介は猫田に視線を向けて、その先に立つ両面宿儺を見据えた。防御結界を張れないということは、先程までとは違って京介達は無防備な、剝き出しの状態で座っている事になる。狛があの熱光線を防げたのも、彼の防御結界が援護していた事が大きい。それが一切なくなっているのだ。今まさに眼前で三人を守って立つ猫田は、かなり不利な状況に立たされていると言っていい。


 しかし、猫田もそれは百も承知のことである。狛の負ったダメージは想像以上に大きく、あのまま放っておくことが出来ないのはよく解っていた。その治療の為であれば、己の不利など厭わないという強い意思が、背中に現れていた。


「…京介、どのくらいだ?どれだけ時間がありゃあいい?」


「30秒…いや、一分は欲しい。猫田さん、頼む!」


「一分だな?任せろ!」


 そう言って、猫田は一足飛びに両面宿儺の懐へ飛び込んだ。自分と同じ姿をしているようだが、ヒリヨミがコピーしている能力は全く同じではない。そもそも、魂炎玉こんえんぎょくは猫田の魂をエネルギー源としたもの…いくら真似ても、猫田自身でなければ同じ力を発揮することは出来ないのだ。


 一切の躊躇いなく襲い来る猫田に対し、ヒリヨミは狛に行ったように四発の熱光線を浴びせ掛けた。しかし、それらは何の意味もなさず、猫田の背後から伸びてきた尻尾によって抑えられ、吸収されていった。猫田に対してその攻撃が効かないと判断した両面宿儺は、再び身体を半回転させ、ヒリヨミからナシガリへと前衛を変えた。徐々に戦闘に慣れてきて、相手によって即座に戦術を変える知恵を持ち始めたらしい。長期間の戦いは危険だと、それを観察していた京介は感じていた。


「オオオオオオ!」


 懐に飛び込んだ猫田は、両手だけを虎のような鋭い爪をもつ前足に変化させ、瞬きほどの一瞬に壮絶な連打を放つ。スピードに優れているのがヒリヨミの身体の方なのはよく解っている。猫田のそれは両面宿儺が前衛をナシガリに変えた事を逆手に取った戦法であった。


「ァ!?ガアアアア!」


 幾重にも折り重なるように、強靭な爪が両面宿儺の身体に食い込み、鋭利な傷痕を増やしていく。単純な速さで言えば、狛が放った乱撃の方が速いのだろうが、猫田は爪を立てて、打撃と斬撃を同時に繰り出しているようなものだ。その威力は決して引けを取らないだろう。

 さすがの両面宿儺もたまらず猫田から距離を取ろうとするが、猫田はそれを許さず、更に追撃を仕掛けていった。そんな中、京介は静かに、狛に語り掛ける。


「狛ちゃん、君はさっき、友達を助けたいと言っていたね。あれはどういう事なのか、教えてくれるかな?」


「えっと、あのアナツヒメというのは、彼女の本当の名前じゃないんです。本当はアナトヒメと言って、悪い妖怪が彼女を貶めて存在を歪めようとして広めた嘘で…私、アナトヒメの記憶を見せて貰ってきたから」


「狛、貴女……」


 黒萩こはぎは狛の言葉に強く反応した。これまで、狛に関する情報を集めてきた中で、黒萩こはぎは狛が、霊媒としての才能を開花させ始めている事に気付いていた。

 霊媒とは、神や魂といった存在と交信したり、共鳴して媒介する為の能力である。霊能力と一口に言っても分類は様々で、霊媒は言うなれば電波を受信するアンテナのようなものだ。そしてそれは一種の才能であり、仮に霊力が高くとも、霊媒としての素質があるかどうかはまた別である。

 考えてみれば、狛は動物の心が解る…即ち思考を読む事が出来る特技を持っていた。恐らくそれは魂の部分が繋がる事で可能とする特技だったのだろう。それが、経験を積む事で成長したのだ。現在までに狛が多くの妖怪達と心を通わせているのも、その片鱗だったに違いない。


 黒萩こはぎは、新たな力に目覚めつつある狛に、ある種の脅威を感じている。改めて思ったことだが、やはり狛はえんじゅの理想を、これ以上ないほど完璧に体現する存在になりつつあるのだ。それが複雑な思いに変わり、黒萩こはぎは口をつぐんていた。


「妖怪が、ウソを…なるほど、間違った伝承や逸話を広めて都合のいい存在へ造り替えようとしていたのか。そうか、だから俺が最初にアナツヒメと呼んだ時に、彼女の霊が怒ったんだな」


 アナトヒメにとって、自身をと呼ぶものは、その存在を悪用しようとする妖怪か、その手先だったわけだ。それは迂遠な、とても遠大な計画ではあるが、決して見当違いな手段でない事を京介はよく解っている。人に忘れ去られ、時に変質してしまった神など、彼は山ほど見てきたからだ。


「事情は吞み込めたし、君の決意もよく解ったよ。俺も手伝おう、準備は整ったようだしね」


 京介がその言葉を言い終わる頃には、狛の腕は完全な形で元に戻っていた。痛みは早くから消えていたが、あの酷い状態が嘘だったかのように傷一つない綺麗な腕に戻っており、少し動かしてみても全く問題はない。そして同じように、黒萩こはぎも回復を終えたようだ。すっと立ち上がって、静かに溜息を吐いている。


「……槐様が聞いたらなんと仰られるかしらね。まぁ、いいわ。狛、今回は貴女のやりたいようにしなさい、やるべき事は解っているのでしょう?」


黒萩こはぎさん…ありがとう!」


 そんな三人を嘲笑うように、亜那都姫アナツヒメは再び動き出す。正確に言えば、その身に取り込まれた実理が、だ。どうやら、完全に融合を終えたらしい。


「ククク…アナツヒメを救うだと?今更もう遅い!我らが妖の母は、たった今、完全に我が物となったのだ!貴様らの下らぬ企みなど蹴散らしてくれる!フハハハハ!」


 勝ち誇ったような実理の笑い声が封印の間に響くと同時に、立っていられないほどの地震が起きて、足元の地面が隆起した。次々に天井部分が崩落し、狛達は完全に巻き込まれてしまう。


 長い揺れが収まった時、封印の間に立っていたのは、実理と同化した亜那都姫アナツヒメただ一人だけであった。

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