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第132話 激戦必至

 狛の影から飛び出したイツは狛の肩に乗ると、その頬を一舐めしてから敵を睨みつけた。


 両面宿儺を正面に見据え、その向こうには実理と身体が融合しつつある亜那都姫アナトヒメの姿が見えている。イツが敵意を向けているのは実理の方だろう。狛を通して亜那都姫アナトヒメの記憶を見ていたのか、彼女の全てを奪おうという実理を嫌っているように見えた。


 しかし、狛達を遮って立つ両面宿儺の圧は強く、文字通り彼らを避けては通れそうにない。狛は彼らの生前にも思いを馳せつつ、己の迷いを振り切るように雄叫びを上げた。


「ナシガリさん、ヒリヨミさん!私が亜那都姫アナトヒメを…アナちゃんを助けるから、ごめんなさい!」


 助けると一度は決めたものの、それは彼女の命を奪うことでもある。狛は優しく、友達を大事にする性格であるが故に、厳しい手段を取るのは苦手なのだがそうも言っていられない。そんな迷いの中で戦えるほど、両面宿儺が甘い相手ではないのだ。狛は自分を奮い立たせて、戦いを挑む気合を呼び起こすのだった。


「イツ!お願い!」


 いつも通りの狛の呼びかけに反応して、イツは狛の身体に飛び込んだ。ただ、いつもよりイツの勢いというか、強い思いのようなものが感じられる。そんなに亜那都姫アナツヒメに共感したのだろうか。


 そうして、狛は狗神走狗の術を発動させ、人狼化する。溢れ出す霊力の強さは、狛とイツの想いの強さだ。それをバックアップする九十九つづらもまた女性としての意識からか、強く亜那都姫アナトヒメに共感し、共鳴しているようだった。

 三人の想いはこれまで以上に重なり合い、相乗効果で途轍もない力を発揮している。それに狛自身が気付くのは、もう少し後である。


「はあああああっ!!」


 全身の筋肉をバネのように躍動させ、狛は走り出す。常日頃から凄まじいスピードを誇る人狼化した狛であったが、この時の速さは、先程狛の姿を模していた朱い宿禰…ヒリヨミに比肩するものだ。しかし、当然ながら、朱と黒双方の宿禰の力を持つ両面宿儺はそれに悠々と着いてくる。一瞬の内に狛の進路上に立ち、その両腕を振るった。


「ぐっ!ううううう…!」


 狛もまた両の手でそれを迎え撃ち、互いにがっちりと組み合って押し合う形になった、まさに力比べだ。体格で言えば、両面宿儺は狛の倍以上のサイズである。その上、拳で地面を割り砕くほどの力があるはずだが、狛はそれに真っ向勝負をして、決して負けてはいなかった。

 二人の力は拮抗し、やがて足元に力が伝わると、地面がそれに耐えきれずビシビシと音を立てて砕け始めていった。互いの両足が沈み込み、狛の霊力と両面宿儺の妖力がぶつかり合って、洞窟全体が鳴動している。このままでは天井部分が崩落し、全員が生き埋めになってしまいそうだ。


 それを察したのか、両面宿儺は狛に向けてかけていた荷重の向きを変えるように、一旦力を引いてみせた。体格の差がある為に、急に力を抜けられた狛は飛び上がるようにして身体を両面宿儺へ預けてしまう。


「グオオオオオオオオオッ!」


 それを狙っていた両面宿儺は、雄叫びを上げてすかさず身体の向きを変え、ぐるりと半回転して投げ出すように飛び上がり、自らの斜め後ろの天井方向へ狛を押し出した。空中に体を浮かされた狛は成す術もなく洞窟の天井に背中から激突する。そしてそのまま狛の身体を押し込んで、両面宿儺は天井を掘るかの如く、勢いよく上方向に飛び込んで行った。


「ぐっ、くあ!ああああああ!…………こ、っのぉ!!」


 力で天井に押し込まれ、身体が軋む。天井にはぽっかりと大きな穴が開いてしまった。狛は圧迫される苦痛の中で、自らの尾を使って両面宿儺の足を掴み、全力で地面へ投げ落とす。予想外の力で下へ引っ張られた両面宿儺は、まともに抵抗できず地面に激突した。そこへ、狛が天井を蹴って反転し空中でくるんっと縦に一回転をして強烈な蹴りで追撃した。


「ゴ…ガ、アァッ!!」


 さすがの両面宿儺も地面に激突させられた後、間髪入れずに腹へ強烈な飛び蹴りを喰らえば、相当なダメージを受けたのだろう。仮面のような顔から、軽く血を吐き出している。今の狛は、そこで終わらなかった。


「でやああああああああっ!!」


 両拳に霊力を集中し、硬化させた九十九の一部をグローブのように巻き付けて高速の連打を放つ。まるで岩石が嵐のように降り注いでいる、そんな猛攻だ。拳を受けているナシガリであった部分の黒い宿儺だけでなく、それと地面に挟まれているヒリヨミだった部分の朱い宿儺…双方が凄まじいダメージを受けている。神野の放つ速撃乱打以上の速さを誇る打撃だった。


 その振動で、京介と黒萩こはぎが目を覚まし、狛の戦いに目を奪われた。少ししてから京介は急に立ち上がって、動けない猫田と黒萩こはぎの容体を確認していく。


「二人共酷い怪我だ…もう少し遅かったら、危なかったな」


「ありがとうございます。…それにしても、あれが、狛だとは…」


「あの姿、人狼か。宗吾さん譲りなのは見た目だけじゃないんだな。…猫田さんが気に掛けるわけだ」


 考えてみれば、黒萩こはぎの目の前で狛が人狼化して戦うのは初めての事である。黒萩こはぎは何度か狛の人狼化について情報を聞いてはいたが、あれほどの力…鬼神のような猛撃っぷりだとは想像もしていなかったらしい。ごくりと唾を飲む音が、京介の耳にも聞こえるほど圧倒されているようだった。


「恐いかい?」


「…は?」


「あの子が恐いか?と聞いたのさ。君は初めから、何か…ような気がしてね。気のせいならいいんだが」


 突然の京介の言葉に、黒萩こはぎは思わず心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。大丈夫、まだ何も気取られてはいないはずだ。そう思っていても、京介の目は黒萩こはぎの瞳を射抜いて離さない。どうにか言葉を絞り出し、黒萩こはぎがそれを否定しようとした、その時だった。


「えっ!?」


「くっ!」


 突如、両面宿儺の口が開き、そこから凄まじい妖気が光線のように放たれた。歪なマスクのように見えていた顔面は、見た目通りにマスクの役目をはたしていたらしい。その下には、人のものとは思えないほど大きく裂けた口があって、びっしりと生えた歯と何本かの舌が蠢いている。実に不気味な形状であった。


 狛はそれを驚異的な反射で咄嗟に避けたものの、光線が頬を掠めたのか、肉を抉られて出血していた。そして、その一瞬の隙を突かれ、マウントで抑え込んでいた両面宿儺に起き上がるきっかけを与えてしまう。狛は瞬時に両面宿儺の身体から離れ、数歩ほど離れた場所に立って両面宿儺と睨み合った。


「なんて威力…」


 黒萩こはぎは狛達の頭上に開いた穴を見て、驚愕した。空気の流れが変わったことからみて、今の一撃は間違いなく、地上に到達しているはずだ。あれほどの威力の攻撃ともなれば、並大抵の防御は意味をなさないだろう。今の狛の全身には、自らが発する強大な霊力で強固な結界と同等のガードが発生している。にもかかわらず、いとも容易く貫通されダメージを受けているのだ。まともに食らっていれば頭を撃ち抜かれて即死していてもおかしくはなかった。


 両面宿儺は、狛が今まで戦ってきた中でも、屈指の強敵と言えるだろう。


「あんな攻撃まであるとは、ここにいるのも危険だな…」


 そうは言っても、京介はまだこの場を動けない。先程から会話をしながらずっと、猫田と黒萩こはぎ回復魔法ヒールをかけ続けているが、完全には治っていない。通常ならば、これだけの時間をかけずとも治しきれるはずなのだが、魔法の効きが悪いようだ。その原因は、亜那都姫アナトヒメから流れ出ている妖気と、実理が妖の種と呼ぶ、人を妖怪に変えてしまうという光の粒による影響である。この封印の間に長年蓄積された亜那都姫アナトヒメの力が結びついて、回復を阻害しているのだ。

 元々妖怪である猫田や、人狼という半妖の血に目覚めている狛はともかく、黒萩こはぎや京介は思うように力を発揮できないのである。


 とはいえ、黒萩こはぎも猫田も相当な重傷だ。猫田の肋骨は数本確実に折れていて、恐らく肺か内臓を損傷している。黒萩こはぎは意識こそ取り戻したが、油汗が滲んでいるし、どこかに骨折もあるだろう。もう少し時間をかけなければ動かせないと京介は考えているようだ。


 対峙する狛と両面宿儺の間に、再び緊迫した空気が満ち始めた。戦いの第二ラウンドは、ここからである。

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