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第66話 猫田と恋と思い出と

 あのテロ事件から3週間ほどが経過した、ある日の事だった。


 その日は日曜で、狛は久々にメイリーや神奈、玖歌と共に街で遊び、最後にくりぃちゃあに寄って談笑をしていた。くりぃちゃあは飲み物も料理も本当に美味しい。妖怪お手製の料理だと知らないメイリー達にも評判で、皆すっかりこの店にハマっている。

 最近では、遊びの最後にくりぃちゃあに寄るのが、彼女達のお決まりのシメになっているようだ。


 ちなみにちょうど猫田もくりぃちゃあでのアルバイトがあったので、メイリー達と別れた後、狛は猫田と待ち合わせをして帰るつもりである。


 本格的な秋も過ぎて、季節はいよいよ冬に向かい始めていた。この時期は陽が落ちれば風は冷たく、冷えた空気はあっという間に体を冷やしてしまうだろう。狛は駅前のロータリーで皆と別れた後、静かに猫田が来るのを待った。


 30分ほど待った頃だろうか、商店街の方から、猫田がスタスタと歩いてくるのが見える。もうすっかり陽が落ちて、辺りは宵の口だ。これから徐々に遊び帰りの人達や、夕飯を食べて帰ろうと言う人達が溢れて、人通りが増えてくる頃だろう。


(本当に、夜に見る猫田さんってホストそのものだなぁ…なんであんな格好してるんだろ。っていうか、他の服持ってるのかな?)


 改めて、夜の街を歩く猫田の姿を見て、狛はしみじみそう思った。初めて出会った時から、猫田は黒いレザーパンツに、大きめのTシャツと黒のジャケットという出で立ちである。本職のホストならもう少しオシャレに気を配っていそうだが、それでも見た目の若さから、あまり売れていないホストにしか見えない格好だ。

 せめて、別の服装をすればいいのにと思っていると、猫田は狛の元にやってきた。


「おう、待たせたな…って、何だその顔」


「猫田さん、お疲れ様。いやー、何か猫田さんの服装について、ちょっとね…」


 狛が猫田の服装についてあれこれ考えているのは、実を言うと理由がある。なんとあのメイリーが、どうやら猫田を気に入り始めているようなのだ。

 本人曰くまだ気になっている段階というようだが、くりぃちゃあで働く猫田の姿を目で追うメイリーの瞳は明らかに熱を帯びていて、頬を赤らめながらちらちらと何度も猫田を見ている姿は、完全に恋する乙女のものだった。

 まだ自分では恋愛がよく解らないと自嘲する狛から見ても、メイリーの様子は普段とは違い、とても美しく見える。これが恋をすると言う事なのかと感じた時、狛の中にはほんの少しだけ、羨ましいと思う気持ちが芽生えていた。


 とはいえ、猫田に対してそういう感情があるわけではない。あくまで、恋をしたメイリーが綺麗になっていく、それが羨ましくて感動しているだけだ。


 妖怪と人間の恋というものは、ハードルが格段に高いことを狛はよく解っている。だが、神奈の祖先に鬼がいたという事実が示すように、必ずしも人間と妖怪が結ばれないとは限らないだろう。ただ、神奈の場合は鬼という比較的人間に近い妖怪だが、猫田はまるっきり猫である。猫又と人間のハーフというのは、さすがに聞いた事がない。親友であるメイリーには、ぜひ幸せになってもらいたい所だが、果たして猫田でいいのだろうか?という気持ちが、狛の中には渦巻いていた。


 そもそも、猫田自体が人間をどう認識しているのかもよく解らない所だ。狛に対しては「人間の娘になんか興味はない」と言っているが、本当にそうなのかは解らない。


(猫田さん、私には本当に興味なさそうだしね。…でも、待って?ってことは、メイリーちゃんが猫田さんにフラれるって事?それもそれでなんか嫌だな…)


「狛、どうしたんだ?お前。スゲーブサイクな顔になってるぞ…?」


 モヤモヤする狛の気持ちは、ダイレクトに表情に出ていたらしい。しかし、年頃の少女を捕まえてブサイクな顔とはあまりにも無体な表現である。狛は本気で怒りを露わにしつつ抗議の声を上げた。


「むっ!その言い方はいくらなんでも酷くない?!」


 私がどうしてこんなに悩んでるかも知らない癖に、と言いそうになったが、さすがにそれを勝手に言う訳にはいかないだろう。他ならぬ親友の恋なのだ、こんな事で台無しにしたくはない。言いたくても言えないジレンマに悩む狛は、再びあまり人には見せられない表情になっている。

 一方の猫田は、狛が何を考えているのか解らないので、ただただ混乱するばかりであった。


 そんな二人が連れ立って歩きだした矢先、猫田の背後に一人の女性が駆け寄ってきて、その背に抱き着いた。


「タクトっ!」


「…へ?」


「な…っ!?」


 その女性は、猫田の背中に抱き着いたまま涙を流している。年齢は30代くらいだろうか。長い髪と埋めている猫田の背中の隙間から見える顔はかなりの美人で、女優のように泣き顔が様になっていた。

 しばし、時が止まったかのような間が空いた後、はたと気付いた猫田が身体を躱してその女性と向き合った。


「お、お前…?!」


「!?あ、あの…私…す、すみません、人違いでした…っ!」


 女性は猫田の顔を見上げた途端、サッと顔色を変え、震えるように言葉をつかえさせて謝罪し、そのまま走り去ってしまった。呆然とする狛と猫田は、ただその後ろ姿を見つめている。冬を告げる冷たい風が、そんな二人の間を撫でるように吹き付けていった。


 家路に着き、並んで歩く二人は、ずっと黙ったままだ。それもこれも、先程の女性が原因なのだが。

 狛には、猫田に聞きたい事がたくさんある。しかし、聞いても答えてくれるだろうか?解らないなら聞いてみよう、そう思って、でも言えない。言い出しては止めるそんな逡巡を何度繰り返したか解らなくなった頃、ようやく狛は言葉を絞り出す事が出来た。


「ね…ねぇ、猫田さん。あの女の人、誰だったの?タクトって、誰?」


「………」


 猫田は何も言わず、思いつめたような表情をするだけだった。あの女性が最後に漏らした言葉の通り、人違いであったのなら、猫田はそう言えばいいだけの話である。否定どころか何も話さないと言う事は、彼女との間に、狛には言えない何かがあったという事だろう。

 あれは、明らかに人間の女性だった。であれば、猫田は…そんな狛の考えを知ってか知らずか、猫田はその日から数日、朝から晩まで家を空ける事が多くなった。


 朝、狛が家を出る前に猫田は出かけていき、夜は少し遅くに帰ってくる。それが意図的なのかは不明だが、ほとんど狛とは顔を合わせず、言葉を交わす回数も減っていた。一体、猫田は何を隠しているのだろう。すっかり家族同然だと思っていた猫田が、自分にあからさまな隠し事をすることについて、狛はずっと心のモヤモヤが晴れずに溜息を吐いてばかりの日々が続いていた。


 そんなある日、狛が学校帰りにくりぃちゃあに立ち寄ってみると、ちょうど猫田は休みだったようだ。

 今日こそは話を聞こうと勢い込んで来たものの、肝心の猫田がいないのでは意味がない。狛はガックリと肩を落として、通された席に着いた。


「はぁ~~~…」


「おやおや、ずいぶん大きな溜息だね。どうかしたのかい?…はい、これはサービスだよ。ハマさんからね」


「わぁ!ありがとう。ハマさんが淹れてくれると、ホットミルクでもすっごく美味しいから不思議だなぁ」


 どうやら、店に入ってきた時から狛の様子がおかしい事に、ハマさんは気付いていたらしい。彼女は厨房に籠りっきりのはずなのに、常連相手だとこうやって凄まじい察する力を発揮する事がある。どうやっているのかと、以前聞いた事があるが、それは企業秘密と笑顔で返されてしまった。

 妖怪とはいえ、美人でこれだけ料理が出来るとあれば、男性も放っておかないだろうなぁと、狛はホットミルクを啜いながら思う。


 そうして、一息ついたあと、狛は思いを吐き出し始めた。


「最近、猫田さんとギクシャクしちゃってて…今日こそちゃんと話をしようって思ってきたんだけど…いなかったから、ちょっとね」


「ああ、そういうことか。そう言えばこの所、猫田も少し思い詰めた顔をしていたね。君達が喧嘩をするなんて珍しいなぁ。何があったんだい?」


「喧嘩ってわけじゃないんだけど…そうだ!土敷さんなら何か知ってるかな?この間、猫田さんの事をタクトって人と間違えた女の人がいたの。猫田さんもその人の事知らないわけじゃなさそうだったんだよね。でも、全然教えてくれなくて…一体、どういう関係なのかなって」


 狛の疑問を聞いた土敷は、なるほどと呟いた後、押し黙ってしまった。どうやら、彼は事情を知っているらしい。狛は逸る気持ちを抑えて、土敷の返答を待つことにした。


「僕から言っていいものか解らないけど…君達の仲違いも見たくないからね。タクトって言うのは、たぶん猫田が昔世話になっていた人間の事だよ」


「え、そんな人がいたの?知らなかった…その人、どうしちゃったのかな?」


 肝心な所で、土敷はまた言葉を言い淀む。ややあって返ってきたのは、信じ難い結末であった。


「タクト君は、死んでしまったんだよ。…それも、自殺でね」


 あのテロ事件から3週間ほどが経過した、ある日の事だった。


 その日は日曜で、狛は久々にメイリーや神奈、玖歌と共に街で遊び、最後にくりぃちゃあに寄って談笑をしていた。くりぃちゃあは飲み物も料理も本当に美味しい。妖怪お手製の料理だと知らないメイリー達にも評判で、皆すっかりこの店にハマっている。

 最近では、遊びの最後にくりぃちゃあに寄るのが、彼女達のお決まりのシメになっているようだ。


 ちなみにちょうど猫田もくりぃちゃあでのアルバイトがあったので、メイリー達と別れた後、狛は猫田と待ち合わせをして帰るつもりである。


 本格的な秋も過ぎて、季節はいよいよ冬に向かい始めていた。この時期は陽が落ちれば風は冷たく、冷えた空気はあっという間に体を冷やしてしまうだろう。狛は駅前のロータリーで皆と別れた後、静かに猫田が来るのを待った。


 30分ほど待った頃だろうか、商店街の方から、猫田がスタスタと歩いてくるのが見える。もうすっかり陽が落ちて、辺りは宵の口だ。これから徐々に遊び帰りの人達や、夕飯を食べて帰ろうと言う人達が溢れて、人通りが増えてくる頃だろう。


(本当に、夜に見る猫田さんってホストそのものだなぁ…なんであんな格好してるんだろ。っていうか、他の服持ってるのかな?)


 改めて、夜の街を歩く猫田の姿を見て、狛はしみじみそう思った。初めて出会った時から、猫田は黒いレザーパンツに、大きめのTシャツと黒のジャケットという出で立ちである。本職のホストならもう少しオシャレに気を配っていそうだが、それでも見た目の若さから、あまり売れていないホストにしか見えない格好だ。

 せめて、別の服装をすればいいのにと思っていると、猫田は狛の元にやってきた。


「おう、待たせたな…って、何だその顔」


「猫田さん、お疲れ様。いやー、何か猫田さんの服装について、ちょっとね…」


 狛が猫田の服装についてあれこれ考えているのは、実を言うと理由がある。なんとあのメイリーが、どうやら猫田を気に入り始めているようなのだ。

 本人曰くまだ気になっている段階というようだが、くりぃちゃあで働く猫田の姿を目で追うメイリーの瞳は明らかに熱を帯びていて、頬を赤らめながらちらちらと何度も猫田を見ている姿は、完全に恋する乙女のものだった。

 まだ自分では恋愛がよく解らないと自嘲する狛から見ても、メイリーの様子は普段とは違い、とても美しく見える。これが恋をすると言う事なのかと感じた時、狛の中にはほんの少しだけ、羨ましいと思う気持ちが芽生えていた。


 とはいえ、猫田に対してそういう感情があるわけではない。あくまで、恋をしたメイリーが綺麗になっていく、それが羨ましくて感動しているだけだ。


 妖怪と人間の恋というものは、ハードルが格段に高いことを狛はよく解っている。だが、神奈の祖先に鬼がいたという事実が示すように、必ずしも人間と妖怪が結ばれないとは限らないだろう。ただ、神奈の場合は鬼という比較的人間に近い妖怪だが、猫田はまるっきり猫である。猫又と人間のハーフというのは、さすがに聞いた事がない。親友であるメイリーには、ぜひ幸せになってもらいたい所だが、果たして猫田でいいのだろうか?という気持ちが、狛の中には渦巻いていた。


 そもそも、猫田自体が人間をどう認識しているのかもよく解らない所だ。狛に対しては「人間の娘になんか興味はない」と言っているが、本当にそうなのかは解らない。


(猫田さん、私には本当に興味なさそうだしね。…でも、待って?ってことは、メイリーちゃんが猫田さんにフラれるって事?それもそれでなんか嫌だな…)


「狛、どうしたんだ?お前。スゲーブサイクな顔になってるぞ…?」


 モヤモヤする狛の気持ちは、ダイレクトに表情に出ていたらしい。しかし、年頃の少女を捕まえてブサイクな顔とはあまりにも無体な表現である。狛は本気で怒りを露わにしつつ抗議の声を上げた。


「むっ!その言い方はいくらなんでも酷くない?!」


 私がどうしてこんなに悩んでるかも知らない癖に、と言いそうになったが、さすがにそれを勝手に言う訳にはいかないだろう。他ならぬ親友の恋なのだ、こんな事で台無しにしたくはない。言いたくても言えないジレンマに悩む狛は、再びあまり人には見せられない表情になっている。

 一方の猫田は、狛が何を考えているのか解らないので、ただただ混乱するばかりであった。


 そんな二人が連れ立って歩きだした矢先、猫田の背後に一人の女性が駆け寄ってきて、その背に抱き着いた。


「タクトっ!」


「…へ?」


「な…っ!?」


 その女性は、猫田の背中に抱き着いたまま涙を流している。年齢は30代くらいだろうか。長い髪と埋めている猫田の背中の隙間から見える顔はかなりの美人で、女優のように泣き顔が様になっていた。

 しばし、時が止まったかのような間が空いた後、はたと気付いた猫田が身体を躱してその女性と向き合った。


「お、お前…?!」


「!?あ、あの…私…す、すみません、人違いでした…っ!」


 女性は猫田の顔を見上げた途端、サッと顔色を変え、震えるように言葉をつかえさせて謝罪し、そのまま走り去ってしまった。呆然とする狛と猫田は、ただその後ろ姿を見つめている。冬を告げる冷たい風が、そんな二人の間を撫でるように吹き付けていった。


 家路に着き、並んで歩く二人は、ずっと黙ったままだ。それもこれも、先程の女性が原因なのだが。

 狛には、猫田に聞きたい事がたくさんある。しかし、聞いても答えてくれるだろうか?解らないなら聞いてみよう、そう思って、でも言えない。言い出しては止めるそんな逡巡を何度繰り返したか解らなくなった頃、ようやく狛は言葉を絞り出す事が出来た。


「ね…ねぇ、猫田さん。あの女の人、誰だったの?タクトって、誰?」


「………」


 猫田は何も言わず、思いつめたような表情をするだけだった。あの女性が最後に漏らした言葉の通り、人違いであったのなら、猫田はそう言えばいいだけの話である。否定どころか何も話さないと言う事は、彼女との間に、狛には言えない何かがあったという事だろう。

 あれは、明らかに人間の女性だった。であれば、猫田は…そんな狛の考えを知ってか知らずか、猫田はその日から数日、朝から晩まで家を空ける事が多くなった。


 朝、狛が家を出る前に猫田は出かけていき、夜は少し遅くに帰ってくる。それが意図的なのかは不明だが、ほとんど狛とは顔を合わせず、言葉を交わす回数も減っていた。一体、猫田は何を隠しているのだろう。すっかり家族同然だと思っていた猫田が、自分にあからさまな隠し事をすることについて、狛はずっと心のモヤモヤが晴れずに溜息を吐いてばかりの日々が続いていた。


 そんなある日、狛が学校帰りにくりぃちゃあに立ち寄ってみると、ちょうど猫田は休みだったようだ。

 今日こそは話を聞こうと勢い込んで来たものの、肝心の猫田がいないのでは意味がない。狛はガックリと肩を落として、通された席に着いた。


「はぁ~~~…」


「おやおや、ずいぶん大きな溜息だね。どうかしたのかい?…はい、これはサービスだよ。ハマさんからね」


「わぁ!ありがとう。ハマさんが淹れてくれると、ホットミルクでもすっごく美味しいから不思議だなぁ」


 どうやら、店に入ってきた時から狛の様子がおかしい事に、ハマさんは気付いていたらしい。彼女は厨房に籠りっきりのはずなのに、常連相手だとこうやって凄まじい察する力を発揮する事がある。どうやっているのかと、以前聞いた事があるが、それは企業秘密と笑顔で返されてしまった。

 妖怪とはいえ、美人でこれだけ料理が出来るとあれば、男性も放っておかないだろうなぁと、狛はホットミルクを啜いながら思う。


 そうして、一息ついたあと、狛は思いを吐き出し始めた。


「最近、猫田さんとギクシャクしちゃってて…今日こそちゃんと話をしようって思ってきたんだけど…いなかったから、ちょっとね」


「ああ、そういうことか。そう言えばこの所、猫田も少し思い詰めた顔をしていたね。君達が喧嘩をするなんて珍しいなぁ。何があったんだい?」


「喧嘩ってわけじゃないんだけど…そうだ!土敷さんなら何か知ってるかな?この間、猫田さんの事をタクトって人と間違えた女の人がいたの。猫田さんもその人の事知らないわけじゃなさそうだったんだよね。でも、全然教えてくれなくて…一体、どういう関係なのかなって」


 狛の疑問を聞いた土敷は、なるほどと呟いた後、押し黙ってしまった。どうやら、彼は事情を知っているらしい。狛は逸る気持ちを抑えて、土敷の返答を待つことにした。


「僕から言っていいものか解らないけど…君達の仲違いも見たくないからね。タクトって言うのは、たぶん猫田が昔世話になっていた人間の事だよ」


「え、そんな人がいたの?知らなかった…その人、どうしちゃったのかな?」


 肝心な所で、土敷はまた言葉を言い淀む。ややあって返ってきたのは、信じ難い結末であった。


「タクト君は、死んでしまったんだよ。…それも、自殺でね」



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