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第62話 撃破

 それは、まさに一瞬の、刹那の出来事であった。


 狛が無理を押して攻撃の隙を作り、それが見事にハマった事が、ほんのわずかとはいえ心の隙を誘ったと言ってもいい。その油断が、皆に致命的な一瞬を作ってしまったのだ。


 突如現れた女―サハルが、魔力をたっぷりと蓄積した杖を振るう。その杖からは高出力の魔力が溢れ出し、昏い輝きを放つ巨大なこん棒のように変化していた。


「ぐぁっ!」


「がっ!?」


 まず先に、猫田と弧乃木が。


「あぁっ!?」


「ぐぅっ!」


「うぁっ!」


 続けて、畦井と十畝、そして狛が、薙ぐように放たれた一撃によって壁際に吹き飛ばされていた。


「ふん、不意打ちとはいえ他愛無い。ここまで私の配下を退けてきた実力者であれば、少しはやるものかと思っていたが、拍子抜けだな」


 5人はその攻撃をまともに受けた事で、深刻なダメージを受けていた。特に猫田と弧乃木はちょうど背後からの一撃だったので、そのダメージは大きい。


「く、クソ…ッ!」


 それでも猫田は起き上がろうとするが、全身が麻痺していることや何本かの骨が折れているせいで、身動き一つ取れそうにない。妖怪である猫田にとって、骨折自体は、さほどの怪我でもない。程度にもよるが、本来なら少しは動けるし、数時間もしない内に完治するだろう。しかし、全身の麻痺は回復をも阻害しているようだ。

 しかも、巨大な猫の姿に戻る事すら出来そうにない。それでいて、痛みはしっかりと感じられるのだから性質が悪い。


(さっきまで、そこには誰もいなかった。音もニオイもなく突然現れただと…?!これじゃまるで、空間転移じゃねぇか…こいつら、そんな技まで使えるのか!?)


 空間転移術テレポートは、猫田のかつての仲間が得意としていた術だ。使える者など滅多にいない幻の高等魔法だと聞いていたが、よもやこのテロリストが使えるとは夢にも思っていなかった。最悪の誤算だ。


 空間転移術テレポートというものは、非常に強力な能力だ。


 たった今受けた奇襲もそうだが、時間も空間もお構いなしに自由に行動できるのであれば、それはどんな攻撃や防御も意味をなさない事になる。極端な話、誰がいつ、どこにいても寝込みを襲う事さえ可能なのだ。この技を使うものに狙われれば、一瞬足りとも気を抜けず、一時の休息すら許されないのだ。それはまさに脅威の一言であった。


 だが、猫田が驚くのも無理からぬことだろう。


 彼女達、マキが使う空間転移術テレポートは、本来の空間転移術テレポートよりもワンランク落ちる魔法であった。自分が共に移動しない場合、他の物体を移動させる事は出来ず、また触媒に高価な霊石を砕く必要がある。それは豊富な霊石の産出量を誇るカメリア王国の民だからこそ出来る芸当だが、それでも本来は乱発する事など出来はしない、霊石は貴重な国の財産なのだ。今回、ギンザを始めとした反王家の者達は、大量の霊石を国庫から盗み出していた。ある種の背水の陣を敷いているからこそできるのだ。


 しかし、そんな事情など、当然だが猫田には知る由もない、ただその脅威の技を目の前にしてどう対処すべきかを迷うばかりであった。


「くっ…うう!」


「ほう?立ち上がるか。どうやら偶然他の者が盾になって傷が浅かったようだな」


 そんな中、狛だけが唯一ダメージが少なかったのか、立ち上がる事ができた。サハルの見立て通り、たまたま狛の立っていた場所が畦井と十畝の陰だった事に救われた形である。

 それでも身体はわずかに痺れていて、壁にぶつかった衝撃で視界が揺れている。しかも、不味い事にここへ来るまでの間にかなりの時間を要したせいか、新月の影響が強くなって、先程よりも更に霊力が減ってしまっていた。本来、戦える状態ではない有り様だ。


「見た所、お前はこの国の学生だな?まだ若い、子どものようだ。弱々しい力しか感じない、そんな人間を前線に出すとはこの国にも非情な考えが出来るものもいたのだな、見直したぞ」


 サハルは完全に勝利を確信し、狛を見下していた。確かに、今の狛は弱り切っていて、彼女からみれば取るに足らない存在だろう。しかし、狛の目は決して諦めてはいない。衰えた霊力とは裏腹に、強すぎるほどの闘志が、その瞳に宿っている。


「今日はここまで、ずっと皆に護ってもらってきた…!その私がそう簡単に、諦めるわけにはいかないの!」


「こ、狛…止せ、逃げろ…」


 麻痺の残る身体で、猫田にはただそう伝えることしかできなかった。ただ、そう言っておきながら、それが無駄な事など解っている。大人しく逃げられるような相手ではない事もそうだが、なにより狛は、逃げろと言われて素直に逃げるタイプではないからだ。

 そんな狛の気迫を見たサハルは、高らかに笑った上で、言い放った。


「フフッ、フハハハハ!諦めるわけにはいかないと、皆に護ってもらってきたというその口で言うのか?面白い娘だ。いいだろう、その気迫に免じて逃がしてやる。何処へなりとも行くがいい。ただし、逃げるなら急ぐのだな。後数時間で、この地は地獄に飲み込まれる…せっかく見逃してやっても、それでは意味がないからな」


「!?…殺さないの?私を?」


「ふん、元より我らの狙いは腰抜けの国王のみ、つまらん殺しなど目的ではないさ。まぁ、もっとも、平和ボケした異教徒どもが慌てふためいて死んでいく様は、なかなかに笑えたがな。さぁ、私の気が変わる前に行け」


「そう…でも!」


「むっ!?」


 狛は力を振り絞り、手に忍ばせていた霊符の一つを解放する。それは、給霊符と呼ばれる霊符の一つだ。それ自体は攻撃にも防御にも使う事はできず、役割が決まっている。その役割とは、霊力の蓄積と供給である。

 狛達退魔士や、霊媒師など、霊力を使用して除霊や戦闘を行う生業の者達は、自身のエネルギー切れこそが最大の障害となる。

 戦う相手が悪霊であれ妖怪であれ、彼らは基本的に生きた人間のように体力や霊力の限界などというものはない。彼らには昼も夜もなく、食事や休息なども必要ない。妖怪の場合は妖力の枯渇もありうるが、それもそう簡単に起こり得るものではないのだ。従ってスタミナ面で、人間は大きく不利である。

 その対策として編み出されたのが、給霊符だ。医薬の仏、薬師如来の真言と、衆生を救う地蔵菩薩の真言二つを核とし、常時身に着けておくことで、己の霊力を霊符に溜め置く事が可能である。いわば、緊急用の予備バッテリーの役割を持っている。

 狛はそれを制服の袖、その内側に縫い留めてあった。ただ一枚きりの切り札というわけだ。


 その切り札を、ここで切る。サハルは狛を見逃すと言っているが、助けるつもりがあるわけではない。むしろ、先程の言葉から察するに、力無い人間が逃げ惑う様を見て楽しもうというサディスティックな余裕を見せていただけなのだ。


 給霊符も他の霊符と同じで、その効果を解放するには、わずかなりとも霊力がいる。狛は、ほんのかすかに残っていた霊力を使って給霊符を起動させた。狛本来が持つ並外れた霊力と同等とまではいかないものの、蓄積されていた霊力はかなりのものだ。それが一気に流れ込んできた事で、狛の力は大きく回復した。

 それは狛の中に宿っているイツにも大きな力を与える事となり、狛の霊力が不足していた為に、鞄に潜めていた九十九つづらもまた、覚醒していく。


「な、なんだ?!」


「う、あぁぁぁぁっ!!」


 取るに足らない存在と認識していた狛の力が爆発的に伸びたことで、サハルは驚愕し、対応が一瞬遅れた。その隙に狛は強力な爪の一撃をサハルに叩き込む。

 咄嗟に杖で受け止めはしたが、人狼と化した狛の膂力は人のそれとは比較にならない力だ。ましてや、マキのような魔法使い達では太刀打ちなどできるはずがない。両手で杖を持ち、勢いを抑えようとしても、止められず、狛の爪はサハルの胸を貫く寸前であった。


「き、貴様…人間ではなかったのか!?お、おのれ…!異教徒どもが、調子に乗るなぁっ!」


 さっきまでの落ち着き払った様子とは打って変わって、サハルは獰猛な獣のように目を血走らせ、身体の位置をわずかにずらした。それにより、狛の爪はサハルの胸元に輝いていた大ぶりの霊石に当たり、それを破壊する。


「っ!?」


 同時に、サハルの身体が一瞬で消えた。狛の爪で霊石を破壊させることで、空間転移術を発動させたのだ。それは恐らく、サハルの切り札だったのだろう。油断の末に思わぬ反撃を受けたのは、狛達だけではなくなったのだ。


「そこっ!!」


 狛はキッと一見何もない空間を睨み、今度は九十九から傘を受け取って霊気の剣を発生させた。以前は槍だったものが剣なのは、それだけ狛の霊力が減っているからだろう。この消耗した新月の日には、戦闘が長引けば勝てない。狛は本能でそう感じ取っているようだった。

 そのまま生じさせた剣を大上段に構え、一足飛びに斬りかかる。ガギンッ!という衝突音がすると、幻が溶けていくように杖を構えていたサハルが姿を現した。


「な、何故解った!?」


 やや大ぶりだった霊石には、破壊される事で空間転移術を発動させただけでなく、光学迷彩のように姿を隠す術も仕込まれていたらしい。しかし、人狼化している狛の嗅覚は誤魔化す事ができなかったようだ。しかし、サハルも隠れてやり過ごすつもりだったわけではなく、体勢を立て直すわずかな時間を稼ぎたかったらしい。

 杖には再び膨大な魔力を注ぎ込み、狛の剣に似た魔力の刃を発生させて杖に纏わせ、狛と同じような剣を創り上げた。


 切り結ぶ二つの刃は、それがぶつかる度に火花を散らし、干渉しあう力の余波が周囲に飛び散って、窓ガラスやLEDのライトを破壊していく。


 そして、いつしかバツンという音がして、通路の一部が暗くなる。外からの光は弱く、狛達の持っている刃が放つ光で、二人の顔が鈍く照らされていた。


 狛が本来の力を発揮していれば、接近戦に向いていないサハルはここまで善戦出来なかっただろう。互角と思える戦いになっているのは、狛が弱っている証拠に他ならない。何合目の打ち合わせか解らないほどの剣戟が繰り返された後、研ぎ澄まされた狛の一閃がサハルの杖ごと右腕を切り落とし、遂に戦いは決着した。


「ば、バカ、な…っ!?」


「はぁっ…はぁっ…!」


 窓の外は茜色に染まり、新月の夜はすぐそこまで迫っている。

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