目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第56話 それぞれの覚悟

 カメリア王国の国王が到着する少し前、空港内に設置されている管制塔の天辺に、二つの人影があった。片方は日焼けして浅黒い肌を持つ中年の男で、精悍な顔つきをして立っている。その傍らには、ニベールと呼ばれる目出しのスカーフを被った女性が男に跪いていた。

 かなり目立つ姿だが、皆もうすぐ到着するカメリア国王が乗った飛行機に意識が向けられているせいか、二人には気付いていないようだ。或いは、何かの術で姿を隠しているのかもしれない。


「時間通りだな、あれに国王が乗っている。ふふん、この国の退魔士とやらに協力を願おうとは…教徒同士の争いを避ける為とはいえ、あの日和見な王の考えそうな事だ」


「ギンザ様、こちらの準備は完了しております。いつでも行動可能です」


「解った、手筈通り頼むぞ。では、合図と共に作戦を開始するとしよう。王よ、貴様の迂闊で他の国の人間まで巻き込まれて死ぬのだ。…これは、貴様の責任だぞ?」


 ギンザと呼ばれた冷たい目をした男が、ニヤリと笑う。その言葉とは裏腹に、異教徒が死ぬことなどギンザは何とも思っていないのだろう。むしろ、これから起こる惨劇を楽しみにさえしているように見える、そんな笑みであった。



 ――えー、たった今情報が入りました。先程、中継でお伝えした新成田国際空港で、爆発が発生したとのことです。新成田国際空港には、カメリア王国の国王が到着したばかりで、未確認なのですが、国王の乗った車列が空港施設に入った所で爆発が起きたとの情報があり、当局が利用客の被害や安否の確認をしているとのことです。それでは、ここで現場の……


「ば、爆発って…お、お兄ちゃんっ!」


 天野Vicoの言っていた「大事な人間が死ぬ」というあの予言が、今再び狛の脳内を支配していた。色々な事があって、ようやく気にしなくなってきていた所だったというのにこんな形で実現してしまったのか、狛は完全にパニックになっていた。

 TVに掴み掛る勢いで駆け寄る狛の身体を、猫田が抱きしめて抑える。狛の気持ちは痛い程解るが、ここで冷静さを失ってもいい事はない。仲間を失う経験こそ猫田にはたくさんある。心を鬼にしてでも、状況に流されるわけにはいかない。


 また、あまりの事態にナツ婆やハル爺も言葉を失っていた。単なる爆発程度なら、拍は簡単に死にはしないだろうが、映像で見る限り爆発の規模はかなり大きい。空港施設の中でも最も豪華な、第二ターミナルの大半が爆発で粉々になり瓦礫の山と化しているのだ。

 これほどの爆発に巻き込まれたとなると、いくら拍でも無事に済むとは思えない。嫌な予感が全員の頭を過っていた。


「落ち着け、狛。お前はイツを通して他の狗神と繋がってる。拍の奴が生きてるかどうかぐらいは解るはずだ」


 猫田の言葉にハッとして、狛はすぐに他の狗神達の気配を辿った。だが、狛達が居る犬神家の屋敷から、事件の起きた空港まではいくつかの県を跨ぐ距離があるので、冷静さを失っている狛には中々感知するのが難しい。祈るように震える手を組みつつ、狛は焦りながらもさらに意識を集中させて探り続けている。


 そんな時、家の電話がけたたましく鳴り響いた。ハル爺はその音を聞いて慌てて動き出し、受話器を取る。電話の相手は、狛達の叔父で調査部のトップ、犬神槐いぬがみえんじゅであった。


「はい、もしもし犬神家で…ぬ、えんじゅか。ああ、ちょうどTVを見ておった所じゃ、一体何がどうなっておる!?」


「ああ、そっちもTVを見ていたなら話が早いな、犯人は恐らくカメリアの国王を狙ったテロリスト共だ。連中、あれだけ魔法使いを標榜しておきながら爆弾を使用しやがった。…盲点だったな、魔法や心霊攻撃ばかりを警戒していた隙を突かれたようだ」


 調査部のトップだけあって、槐も今回の仕事についてはよく知っている。というよりも、犬神家の退魔士としての仕事は、ほとんどが調査部を経由しての依頼になるのだから当然だろう。今回の仕事も、調査部がバックアップをしていてこの有り様だ。正直な所、槐はしてやられたと言う思いで苛つきを隠せずにいた。


「あ!」


「どうしたんじゃ?狛」


「感じたの!…一・二・三・四ひいふうみいよお、皆一つの場所にいる。良かった…お兄ちゃん生きてるんだ…!」


 拍や狛達に憑りついている狗神達は、当人が死ねば、代々一族の中で別の適格者を探してそちらへ移動する。拍に憑いている四体の狗神が同じ場所にいると言う事は、まだ拍の身体に集っていると言う事だ。つまり、拍はまだ生きているのである。ただし拍がどういう状況にあるのかまでは、いくらイツを通していても狛には解らない。今この瞬間にも、命の危険が迫っている事も十分考えられるのだ。一刻も早く、救出に向かうべきだろう。


 拍の命がまだあると解った事で、狛の身体から余計な力が抜けた。それを感じて、猫田も一旦、抑えていた狛の身体から離れていた。猫田もまだ、どこか冷静ではいなかったのだろう。ほんの一瞬、心に油断が生じたのだ。


 誰もその動きを疑問に思う事が無い、ごくごく自然な、だが素早い動きだった。狛は猫田が離れて数呼吸置いた後、するりと台所を出てそのまま玄関に向かい外に走り出していた。


「狛!?」


 猫田がそれに気付いた時には、狛はもう風のように門を走り抜けていた。なんという素早さだ、猫田は舌を巻きながら、己を不覚を呪う。


「あいつ、拍の所へ行く気だ!ハル爺ナツ婆、後は頼んだ!」


「あっ、猫田殿!?」


「どうした?ハル爺、何かあったのか?」


「狛が、狛が家を飛び出してしまいよった!今、猫田殿が追いかけておる」


「狛が?…そうか、やはりアイツは小娘だな。拍がこういう状態となれば、イツを持っているアイツが仮の当主になるというのに…自覚は全くないようだ。ハル爺、これで解ったろう?しきたりなど守った所で意味はない、このまま古い掟に縛られていては、犬神家に未来はないぞ」


「な、なにを言っとる?!こんな時に!」


「…まぁ、確かに今言う事ではないか。狛がこちらに向かっていると言うのなら問題はない。見つけ次第捕まえてそちらに連れ戻す。いや、場合によっては魔法使い共と戦う事になるかもしれんしな、戦力は多い方がいいだろう。ハル爺達は連絡をそこで待っていてくれ。犬神家おれたちを舐めた奴らには、相応の報いを受けさせてやる」


「槐…お主が何を考えとるのかは解らんし、衝突する事もあるが、儂らはお主の事も頼りにしておる。犬神家の為に、どうか尽くしてくれ。頼む」


「…言われなくとも、そのつもりさ」


 その言葉を最後に通話は切れた。ハル爺は槐の態度にどこか恐ろしいものを感じ、しばらく受話器を握ったまま動けなかった。 



「はっ、はっ…!」


 いつもより身体が重い。朝起きた時からずっと、狛は不調を感じている。年頃の女性として、体調を崩すタイミングはあるが、今感じている不調は毎月のそれとは違うものだ。全身に鉛で出来た服を着させられているような、気怠さという言葉では言い表せないほどの脱力感が身体を支配しているようだった。

 それでも、兄の危機を感じたからか、狛は普段よりも遥かに早く走れていた。精神が肉体の不調を超えて、その力を限界以上に発揮している、そんな感覚だ。


 だが、いくら通常よりも早く走っても、猫田が狛に追い付けないはずはない。下り坂の途中で、猫田は狛に追いつき、その手を掴む。


「狛、落ち着け!」


「猫田さん!放して!お兄ちゃんが危ないかもしれないの!」


「解ってる、いいから落ち着け!お前、身体が本調子じゃないだろう?そんな状態でいくらも走れるか。仮に走った所で相当遠い所なんだろうが、お前が走って行ける距離じゃねーぞ!」


「っ!そんなこと、解ってるけど…でも、どうしたらいいの?!私の大事な人が死ぬって、天野さんが言ってた!それはもしかしたら、お兄ちゃんかもしれないのに!黙って待ってなんかいられないよ!」


 ずっと心に溜め込んでいた、あの言葉が口を吐く。少しは気分が晴れた事もあったが、今は完全にそれが蘇り、狛の心を覆い尽くしている。そして猫田は、狛が何を抱えていたのか、それをようやく理解できた。天野というのは、恐らくあの絵を寄越した天彦の事だろう。思い返してみれば、あの頃から狛の様子がおかしくなった気がする。

 そもそも天彦は未来の予言をする妖怪だ、しかも、その言葉には受け取った人間の心を縛る魔力がある。狛はその予言を受けた為に、塞ぎ込んでいたのだ。


「…解った。だが、お前一人じゃどうしようもねーだろう。俺が一緒に行ってやる、その方が早いし、何より少しは休めるはずだ。…今日は新月だからな、普通の状態でも半分人狼になってるお前は、その影響がデカいだろう。お前の不調の原因はそれだ。宗吾さんがそうだった」


「そう、なんだ…ごめんなさい、私…」


「気にすんな。行くぞ」


 猫田は優しく声をかけると、巨大な猫の姿に変化し、尻尾で狛を持ち上げて自らの背に乗せた。そして、人目に付きにくい高さまで飛ぶと、空中を素早く走りだす。

 狛はその背中にもたれかかりながら、静かに、しかし強く、拍の無事を強く祈るのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?