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第54話 真相と決着

「色々あったけど、大変な一日だったねぇ」


 狛と猫田が、連れ立って夜道を歩いている。既に街を出て、今は犬神家の屋敷へ続く山間の道路の途中だ。人家もないこの辺りは、夜間に歩くにはもうかなり冷え込む。後ニ十分も歩けば家に着くが、冷たい夜風が頬を撫でて、狛はわずかに体を震わせた。


 神子桔梗から頼まれた依頼は、一応の解決を見た形だ。レディの襲撃という横槍はあったものの、落書犯である妖怪二人を確保することは出来たのだから、悪くない結果であった。

 とはいえ、猫田はあまり面白くなさそうな顔をして狛の隣を歩いていた。


「お前、そんな他人事みてーな言い方してっけど、それでいいのかよ?危うく殺されかけたんだぞ」


 猫田が気に掛けているのは、レディという少女の事だった。狛の力を見て逃げ去った所からして、彼我の実力差を測るだけの力はあるのだろう。だからこそ、仕留められずに逃げられた事は、後々厄介な問題になりかねない。猫田はそう考えていた。

 しかも、狛の話ではレディは狛のクラスメイトであるという。学校では猫田が狛を守ってやることは難しい、それ故に心配しているのだ。拍の事を過保護だと揶揄する猫田も、十分心配性だと狛は内心で苦笑いしている。


「うーん…レディちゃんの事なら、何となくだけど、大丈夫な気がするんだよね。まぁ、油断はしないようにするけどさ」


 そんな猫田の心配を余所に、狛自身の態度はこの通りあっけらかんとしたものだった。何がどう大丈夫なのかは、たぶん本人もよく解っていないのだろう。狛はなまじ霊感や第六感が優れているせいか、妙に直感で物事を考える癖がある。ポジティブな思考と言えばそうなのだが、傍から見れば心配になるものだ。

 またそれは逆に言えば、狛が思い悩む事態とは、彼女が直感でマイナスなものを感じ取っている証拠でもあるのだが、狛はそこまで自分の思考を正確に理解して分析していないので他人には伝わらない原因でもあった。


「それにしても、出世猫かぁ。知らなかったな、そんな妖怪もいるんだね」


 狛が口にしたのは、ニャンコシーを自称したあの黒猫の妖怪の事である。全身が真っ黒な毛で覆われ、金色に光る瞳を持つあの妖怪は、見た目には普通の黒猫と全く同じで、かけらも妖怪には見えなかった。だが、その力は間違いなく怪異そのものなのだから、不思議なものである。


「駿府城の出世猫って言やあ、名前を聞いた事はあったが、まさか今も生きてやがったとは俺も驚いたぜ」


 出世猫とは、かつて駿河の国に建てられた駿府城、その河内屋敷に棲んでいたという妖怪だ。志を持ってその姿を見たものは、必ず立身出世するとの噂があったらしく、縁起物のような扱いを受けた怪異である。今でいう都市伝説のようなものだろうか。

 現在では駿府城そのものが無くなってしまい、城址公園が残っているだけなので、そこに纏わる出世猫も消え失せてしまったのだと猫田は思い込んでいた。


 ニャンコシーとワンコシー、あの二匹の妖怪が行っていたのは、人助けのようなものであったらしい。


 出世猫は先述の通り、本来、縁起物に近い怪異であった。その姿を見た者が出世するというのは、見方を変えれば、後に出世する者の前にのみ現れるという事である。つまり、彼の猫は限定的な未来予知、予言に近い能力を持った妖怪だったのだ。


 駿府城という生息地を失った出世猫は、日本各地を転々としながら、ひっそりと暮らしていたらしい。しかし、元となる伝承の場を失った事で、徐々にその力も衰えていた。妖怪は自殺などしないので、役目を終えれば自然に消えていくこともあるのだが、出世猫はそうはいかなかったらしい。細々と暮らしながら、自らが消える日を待っていたのだ。


 そこで出会ったのが、あの甚六犬である。


 甚六犬とはその昔、生前に強欲の余り、善い行いをせずに死んでしまった甚六という男が、その死後、犬に生まれ変わって家族の元に現れたという逸話の妖怪だ。

 取り立てて強い力を持つ妖怪でもないのだが、犬になってしまったろくでなしの自分を大事にしてくれた家族を見届けた後、いずこかへ消え去ってしまったという少し悲しい最後が伝えられている。


 どうやら、その甚六犬は実在した妖怪だったらしい。そうして、行き場を失った二匹は、身を寄せ合って今日まで生きてきた。だが、最近になって出世猫の命に限りが見えてきたことから、目立つ動きを始めたそうだ。


 妖怪達の中には、甚六犬や猫田のように命を持った個体もいれば、人の想像の中に生きる存在もいる。特に都市伝説の怪異などは、繰り返し噂される逸話から発生し、己の存在を確立させたりする。

 狛の身近な所で言えば、玖歌のようなトイレの花子さんがその典型的な例だろう。


 出世猫もそれに近い部類の妖怪だったようで、逸話の元となっていた駿府城を失い、長い間旅をしていく内に、段々とその命と力は弱まっていったのだ。

 それに困り果てた甚六犬は、たまたま流れてきたバンコシーの噂を聞きつけた。それを元に、出世猫の存在をしようと考えたのだという。

 特徴的な絵を描いて、その家の家人や町人に危機を報せたり、吉報の予兆を与える。それによって生まれる噂こそが彼らの落書きの理由であった。


「でも、そんな事できるの?妖怪が自分を別の妖怪に上書きしようだなんて…」


「普通は出来ねぇよ。ただ、出世猫の力…未来を予知する能力は人の噂になりやすいからな。それを繰り返して、しかも、人の助けになるようなら、噂が簡単に広まって予言をする怪異に生まれ変われる可能性はあるかもな。お前ら好きだろ?くだんとかよ」


 件…牛が人の頭を持って産まれ、不吉な未来を予言して死んでしまうという、かなり有名な妖怪だ。件は不吉な未来を予言するばかりだが、それでもポピュラーな妖怪として名前が憶えられているのだから、猫田の言う事も間違ってはいないだろう。


「…でも、人間が読めない文字でニャンコシーなんて落款押されても解らないじゃない」


「しょうがねぇよ。甚六犬と違って、あの出世猫は喋れねーんだ。二匹で競うように絵を描いて世間に周知させ、後で人間の言葉を話せる甚六犬がこっそり噂を流す…さすが元人間だけあって周到な策だぜ。そこらの妖怪には考え付かねーな」


 そう言って猫田が見上げた月はだいぶ細く、月明かりは心もとない。もうすぐ新月だ。猫又である猫田にはさほど影響はないが、何度も人狼化して、力を伸ばしている狛には、少し厳しい影響があるかもしれない…かつての犬神宗吾がそうであったように。

 ふと昔を思い出した猫田は、横で同じように月を見上げている狛の頭を尻尾で優しく撫でてやった。その表情は優しく子どもを見守る親猫のようである。




「一体何があったのです?レディ。貴女がこれほどの手傷を負わされるとは」


 左肩から背中にかけて、広範囲に渡って包帯が巻かれている。かなり痛々しい姿ではあるが、傷そのものは決して深くはない。一流の心霊医術ヒーリングにより、傷痕はほとんど残らず、数日で完治するだろう。

 突然呼び出されて治療を頼まれたにも関わらず、エリスは嫌な顔一つせずに、レディの治療を終えた。


 とはいえ、さすがに事情は気になるようで、レディが詮索されるのを嫌がる事は承知の上で、それを聞いている。

 レディとて何も聞くなとは言えず、しばらく黙った後に口を開いた。


「先週末の仕事の後を、クラスメイトに見られてたみたいでね。口封じをしようとしたら、逆に返り討ちにあったのよ。大きな猫のモンスターを連れていたわ」


「それは…クラスメイトというのはもしや、犬神狛…ですか?」


「あの子を知ってるの?」


「…ええ、とてもよく。そうですか、彼女が…で、彼女はなんと?」


 エリスはほんの僅かに困ったような声色で話を続けたが、その機微は外国人であるレディには感じ取れなかったようだ。身体の向きをエリスの方にむけると、レディの背中に鋭い痛みが走り、その顔がまた苦痛に歪んだ。


「っつぅ…、別に何も。ただ、あの子は私を殺すつもりはなかったみたいね。殺気がまるで感じられなかった…私は本気で殺す気だったんだけど」


 レディはゆっくりと立ち上がり、窓辺から地上を見下ろす。彼女に貸し与えられているのは、中津洲市内の高級ホテルの一室である。

 高層階なので人に見られる心配はないとはいえ、上半身裸で包帯だけを巻いた姿はかなり煽情的だ。エリスは一瞬咎めようかと思ったが、怒らせて興奮させては傷に障るので、敢えて黙っておいた。


「あの大きな猫は許せないけど…あの子の事はとても気に入ったわ。すごく綺麗で強くて…美しかった。ねぇ、あの子を私の死体モノにしてもいい?」


「残念ながら、今は控えて下さい。…蜂起の際には許可が下りるでしょうが、今しばらくは。彼女は大事な存在ですので」


「ふぅん?それはボスの命令?」


私の独断です。ですが、ボスに伺いを立てれば同じ命令が下るでしょう。それに…」


 エリスは、そう話しながら持参した医療器具などを手早く片付け終えて、レディに首を垂れた。

 最後に一言、「今の貴女では勝てないでしょうから」と言い残し、身を翻して部屋を後にする。


 その言葉に憤慨するレディの怒りは、役に立たなかった哀れな死体に向けられるのであった。

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