目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第53話 出世猫と甚六犬

 殺到する死体の群れは、先日、あのビルでレディが鏖殺したチャイニーズマフィアの成れの果てだ。

 既に銃弾をたっぷりと浴び、ボロボロになっている死体も混じっているが、レディは特に気にせず使い潰すつもりで彼らを解き放っている。


 狛はすぐさまイツを解き放ち、一犬剛陣を唱えて押し寄せる死体の群れを弾き返した。その隙に、鞄から九十九つづらを呼び出してその身に纏う。これまで狛は、狗神走狗の術を使った際に溢れ出る余剰霊力を無駄にせぬよう九十九を併用してきたが、本来の狛の霊力の高さから言えば、例え人狼化しなくとも九十九を纏う事で十分なパワーアップに成り得るものだ。


 九十九は狛の霊力を吸収して身体を守ったり、その動きに連動、或いは追従する事で力や動きのサポートをする役割を担っている。狗神走狗の術では、人狼化する事で、通常時よりも膨大な霊力を得る為に九十九がもたらす効果も大きいのだが問題も一つあった。

 それはパワーアップのしすぎである。狗神走狗の術では強くなりすぎてしまい、妖怪が相手でもなければ強くなりすぎてしまうのだ。


 ここに至っても、狛にはまだレディを害そうという考えはない。出来るだけ傷つけずに無力化したい、そんな甘さがあった。


「猫田さん!レディちゃんの相手は私がするから、落書きの犯人を捜して捕まえて!このままじゃ逃げられちゃう!」


「狛…!?ちっ、仕方ねぇ!」


 向かってくる死体達が猫田には目もくれず、ひたすらに狛だけを狙っているのは猫田自身にも理解できた。そして狛の言う通り、こんな大立ち回りをしていれば、落書犯は恐れをなして逃げてしまうだろう。もし今日ここで逃がせば、次に尻尾を掴めるのはいつになるか解らない。

 ここでの本来の目的は落書犯を捕まえる事なのだから、狛がそうやって指示を出すのは当然と言えた。


 猫田はすかさず、近くにいた死体を踏みつけて無力化しつつ、一番近い家の屋根に上り、落書犯の放つ妖気を追跡する事にした。


「近くにいるのは間違いねぇ。どこかで俺達をじっと見てやがる…どこだ?どこにいる?」


 厄介な事は重なるもので、下で死体達と戦っている喧騒のせいで、音はあまり頼りにならない。臭いも同様に、死体が放つ死臭のせいで細かく嗅ぎ分けるのは難しい。だが、かろうじて視線は感じられる。猫田や狛をすぐ傍で、すぐ近くで観察している事は感じ取れた。


 猫田はそっと目を閉じ、己の第六感を駆使して、自分達を観察する視線を超感覚で捉える事に賭けた。ハル爺の得意とする遠隔霊視に近い技だ。気配を通じて視線を辿り追跡する。しかし、それには高度な技術と、出来れば静かに精神を集中させる環境が必要である。

 猫田は上手くいくことを祈りながら、意識を広く拡散させていった。


「よし…!たあああああああっ!」


 一方、狛は九十九から具現化した傘を受け取り、霊力で強化してバットのような鈍器としてその手に握り締めた。気合を入れ、向かってきた死体を殴りつけると、軽々と死体は吹き飛び、やがて動かなくなって、塵と消えていく。

 どうやら、レディは死体を能力で操るだけでなく、ある程度存在を固着化させているらしい。狛の一撃がレディの霊力を打ち消す事で、操られた死体は形を保てなくなっていくようだ。


「…いけるっ!」


 狛にはその原理こそ解らないが、それがレディの力なのだろうと確信した。そして、それを自分が打ち消せる事を確認して、一気にレディに向かって進軍を開始していく。背後に回ろうとする死体は、狛の霊力を受けて大型化したイツが防いでいる。

 鉄壁の布陣を敷いた狛とイツの進行は、もはやただの骸では止めようがない。しかし、レディはそれを自らの危機と感ずる様子もなく、余裕を持って薄笑いを浮かべて見つめていた。


 圧倒的な勢いのまま、数十体の死体を蹴散らし、レディの元まであと数mまで迫った狛は残りの距離を一足飛びに進もうと、強く大きく足を踏み込む。だが、その足を一瞬にして無数の手が掴み取る。いつの間にか狛は誘われていたのだ、レディの操る死体の罠に。


「え!?や、ヤバっ…ああっ!!」


 足をとられた狛はほんの一瞬、動きを止められてしまった。その隙に次々と死体が狛に取り付き、あっという間に蜂球のような塊を形成していく。

 だが、それは狛を押し潰そうというものではない。塊の中では、狛の手や足、首までもを力任せに引っ張って引きちぎろうとしているのだ。


 狛がたまらず悲鳴を上げれば、どこからか手が伸びてきてその口の中にまで入り込んできた。上顎から引き裂くつもりだろう。


「あぐっ!ぁっか…!ああああ!!」


 狛の叫ぶ声に反応したイツが蜂球ならぬ人球に飛び掛かるも、中々引き剥がす事が出来ずにいた。無理に引っ張れば、中にいる狛に更なる負担がかかってしまうからだ。苦しむ狛の声と攻めあぐねるイツの姿に、レディはうっとりとした恍惚の表情を浮かべている。


「狛…!?っ、繋がった!」


 それまでずっと視線を逆探知していた猫田が、狛の危機に気を取られそうになったちょうどその時、猫田の感覚と、ずっと様子を窺っていた妖怪達の視界が繋がった。同時に、彼らは隠れていた草むらから飛び出して、死体の塊に突進していくのが見える。

 小さな二つの影は、瞬く間に死体に飛び移ると、駆け上がりながらスタンプのように何かを押し付けている。タンタンタン!とリズムよく押されていくのは、あの絵と共に描かれていた落款だ。妖力で押されたその落款は、それが押印された死体達を麻痺したように脱力させて、次々に塊から脱落させていく。


「しめた、今だ!」


 どうやら落書犯は逃げるつもりはないらしい、逆に狛の危機を助けようとしてくれているのだ。猫田はいち早くそれに気付くと、屋根の上で巨大な猫の姿に変化してネコ科の猛獣を思わせる唸り声を上げ、猫田はレディに向かって猛烈な勢いで飛び掛かった。


 「っぐ、ぁっ!?」


 レディは素晴らしい反応で跳び避けようとしたが、頭上から突然降ってきた猫田を躱しきれずに、彼の大きな爪で背中を引き裂かれている。さっきまでの表情とは打って変わって、その顔は苦痛に歪み、出血によってどんどんと青褪めていくようだ。


「Damn it…!」


「何言ってんのか解んねーな、殺すぞ…!」


 二人が睨み合うその隣で、ようやく死体の塊から露出した狛の身体に、イツが飛び込む。その上に乗っていた二つの影、猫と犬の姿をした妖怪はさっとそこから飛び降りて別々に鳴いた。


「!?」


 狗神走狗の術により、狛から膨大な霊力が溢れ出すと、見る間に死体達は狛の身体から弾き飛ばされて塵になっていく。その光景に、レディは目を奪われた。その顔は、自分の手駒が消されていくというのに、まるで誰もが目を見張る自然遺産を目の当たりにしたような、憧憬と感動に満ちた少女の素顔であった。


「くっ…!」


「あ?…うわっ!?なんだ?クセェっ!!」


「ゲホッゲホッ!れ、レディちゃん!?待って!」


 瞬時に自らの敗北を悟ったレディは、すかさず隠し持っていた何かを地面に投げつけた。すると、小規模な爆発と共に、眩い光と音、そして薬品臭が周囲に広がった。それは催涙性のある閃光弾のようなものなのか、特に妖怪である猫田と人狼化して感覚が強化された狛には効果が抜群であったようだ。

 レディが逃走する事を察した狛が叫んだが、既に彼女は走り出しており、数十秒後に狛達が感覚を取り戻した際には、レディの姿はどこにも見当たらない。


「逃げやがったか…なんだったんだ?あの女は」


「レディちゃん…」


「お二人共、ご無事でなにより」


 そんな二人の元に、先程の猫と犬がトトト、と歩み寄る。二匹とも見事な毛並みをした、黒猫と白い犬だ。どうやら、今喋ったのは犬の方だったらしい。黒猫は喋れないのか、黙って犬の後ろで座っている。


「あ、助けてくれてありがとう。あなた達があの落書きを?」


「左様で。私は甚六と申します。ワンコシーと名乗って絵を描かせて頂きました。…それと、あちらが出世猫のニャンコシーでございます」


 恭しく挨拶をする二匹は、どこか誇らしげで、とても悪戯をして人を揶揄っているようには見えない。

 狛と猫田は顔を見合わせながら、騒動の終わりを感じ取っていた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?