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第52話 二重の追跡者

「えーっと、そこの角を曲がった所かな。…ねぇ、猫田さんどう思う?」


「あ?何をだ?」


「ただ人間の真似して落書きして回る妖怪なんて、いるのかな?」


 神子家の当主、桔梗から正式に依頼を受けた狛と猫田は、伝えられた落書きの現場へ向かっていた。


 バンコシーを模倣しているとされたその落書きは、わざわざ落款が押してあるらしい。本物のバンコシーは落款など押さないし、そもそも描かれているものがバンコシーの作品を完璧に模倣するようなものではなく、多分にオリジナルな要素が含まれているようだ。

 真似ているのは無許可で辻落書きをしている点と、モノクロにワンポイントのカラー画という、絵の構成だけである。


 ではなぜ、それが妖怪の描いたものだと疑われているのかと言えば、それはその落書きが描かれるタイミングにあった。


 本家のバンコシーもそうだが、今もって、それらを描いている瞬間を目撃した人物はいない。バンコシーの場合、夜間など人目につかない時間帯に、簡略化した手段で絵を描く事でバレないように工夫することも可能だろうが、この模倣犯の絵は明らかにおかしいタイミングで増えているらしい。

 被害に遭っているのは商店街や住宅街なのだが、どこも比較的人通りが多く、昼間は人目もある場所ばかりだ。何者かが立ち止まって落書きなど描いていればすぐに解る。にもかかわらず、誰もその瞬間を見る事なく描かれているという。酷い時には、昼間に絵を掃除した住人が、ほんの一瞬目を離した隙にまた絵が増えていた事もあったらしい。


 それが短期間にどんどん報告されるものだから、市内の自治会でも度々議題に上がり、喫緊の課題になってしまったのだそうだ。

 中津洲家と同様に市内の顔役である神子家から直々に依頼が下ったのは、そういう理由であった。


「んー。まぁ、俺達妖怪の中には、人をビビらせたり困らせたりして喜ぶヤツもいるからなぁ…あり得ないとは言わねぇが、くりぃちゃあの連中じゃねぇのは確かだろうな」


 ポリポリと頬を掻きながら、猫田は考えた。最近の『喫茶くりぃちゃあ』はこの街に隠れ住む妖怪達の駆け込み寺のようになっている。その中には、人を驚かせたりすることを楽しみ、それを存在意義とするものもいるだろう。ただ、ここまで大きな騒ぎになっているとなると、土敷が黙っていないはずだ。

 彼は人間好きを公言して憚らない変わった妖怪だが、それ故に、人に迷惑をかける事を良しとしないという筋が一本通っている。くりぃちゃあで働く妖怪達の多くはそれを理解し、賛同している者達ばかりで、そんな同胞だからこそ、自分の傘下に置いて庇護しているのだ。


 もし彼らの身内が、目に余る余計な騒ぎを起こそうものなら、それはくりぃちゃあの仲間全体に被害が及ぶことになるだろう。事実、今回は狛が事態の解明を頼まれている。事と次第によっては今回の犯人を退治する事になるかもしれない。そのような事態を避ける意味もあって、土敷はくりぃちゃあで妖怪を雇い守っているのである。

 そんな土敷に逆らってまで、騒ぎを起こすものがいるとは猫田には思えなかった。


 「えっと、この辺のはずなんだけど…あ!あれかな?」


 狛が見つけたのは、民家の塀にそこそこ目立つ大きさで描かれた水彩画風の絵であった。そこには傘を持った人間の少女と、赤い風船を持った猫が描かれている。絵の隅には、赤い枠と文字で何かが書かれていて、恐らくはこれが落款なのだろう。


「この枠の中に書いてあるのが落款だよね?…でも、ううーん…、何て書いてあるんだろう、読めないや」


 そこに書かれているのは、日本語に似ているが、形が歪な文字であった。狛は角度を変えたり、目を細めて見たりしているが、そのままではとても読めそうにない。

 しかし、狛の隣に立つ猫田は、それを一見すると、すんなりと読み上げてみせた。


「ニャンコシー」


「へ?」


「その落款だよ、ニャンコシーって書いてある。そいつはずいぶんと昔、人間に憧れた妖怪が、人の文字を真似て創った妖怪文字だ。割と知恵のあるヤツみてーだな」


 何が書いてあるのかと思えば、ニャンコシーとは、ずいぶんファンシーな名前である。元がバンコシーだからニャンコシーなのか、はたまた猫が描かれているからなのかは定かでないが、かなり冗談めいたセンスの持ち主であるようだ。


「へー、知らなかった。妖怪文字なんてあるんだね。…ふふ」


 狛は妖怪達がその文字を習っている所を想像して、思わず笑みがこぼれた。もしかすると、妖怪にも学校のようなものがあったりするのかもしれない。考えてみれば、くりぃちゃあのように妖怪が起業したお店もあるのだから、学校くらいあってもおかしくはない。

 とはいえ、猫田の口振りからすると妖怪達の誰も彼もがその文字を使えるわけではないらしい。犯人に繋がるヒントになればと、狛は鞄からスマホを取り出し、その落款と全体のイラストをカメラに収めている。


 その間に、猫田は周囲を見回して、他に落書きがないかを確認していた。

 描かれてから時間が経っているせいなのか、この落書きには確かに妖気の臭いが感じられるものの、それはうっすらとして消えかかっている。他にももう少し新しいもので同様の落書きが残っていれば、もっと確実に判別できるだろう。

 妖怪文字が残されている時点で、この絵が妖怪に関わるものだというのは間違いないのだ。あとは、犯人を捜すだけである。


「狛、あっちに微かだが、妖気の気配がある。行ってみようぜ」


「あ、うん。解った」


 猫田が着いてきてくれて本当に助かった。狛一人では、この妖怪文字を読む事はできなかったし、こうも微かな妖気の残滓など辿るのは難しいだろう。今更だが、本当に頼れる相棒を得たのだと、狛は猫田のその背中が誇らしく思えていた。


 数分後、二人が妖気の跡を辿っていくと、最初に落書きを見つけた場所に戻ってきてしまった。夕方だからか、誰かとすれ違ったわけでもなく、ぐるっと近所を一周してきただけだ。しかし…


「ウソ…!絵が、増えてる!?」


 狛の言葉通り、最初に見つけた絵のすぐ隣に、よく似た別の絵が描かれていた。今度は傘を持つ人間の少女と、青い傘を持った犬の絵だ。絵の内容が僅かに違うからなのか、落款に書かれている文字もどことなく違う形であった。


「こっちは何て書いてあるの?」


「…ワンコシー、だとよ。舐めてやがるのか?コイツ」


 読み上げた猫田は苛立ちを隠さずにいた。確かにここまで来ると冗談めいたというよりは、性質悪くこちらを小馬鹿にしている風にもとれる名前だ。

 ただわずか数分の間に新しい落書きが描かれ、しかもすれ違った人間すらいないということは、俄然、今も犯人が近くに潜んでいる可能性が高まってきたことになる。


 犯人を捜すべく、猫田と狛が霊感やその他の感覚を総動員して、周囲の気配を窺い始めた、まさにその時。


 路地の向こうから、ゆっくりと歩く人影が、こちらに近づいてくる。遠目に見えるその姿は女性のようで、一歩一歩進むその足取りはこちらを目指す確かな意思が感じられた。

 ゾクリと、狛の背筋に悪寒が走る。この感覚は、あの時体育倉庫で味わったものと同じものだ。まさか、彼女がここまで追いかけてきたというのか。


「れ、レディちゃん…!?」


 はっきりと顔が確認できる距離までレディが近づいてきた時、彼女の周囲、何もない空間から夥しい程の死体の群れが現れた。どれもこれも血を流し、苦痛に歪んだ表情をしている、明らかに生者ではない様相だ。彼らは狛に向かって手を伸ばし、真っすぐに駆け出してきた。


「死体の群れ…だと?!なんだあいつは!」


「さっき話した同級生!私を殺すって…追いかけてきたみたい!」


「ちっ!訳の分からん事に巻き込まれやがって…っ!」


 こうして、落書き事件の犯人を追う狛達と、その狛を狙うレディとの、壮絶な追いかけっこが幕を開けたのだった。

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