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第50話 レディ、接近

「ふわぁ…眠ぅぃ」


 今日も狛の朝は早い。普段ならば朝が早くともシャキッと起きて行動するはずの狛が、今日に限ってこんな状態なのには理由がある。

 昨日はヒンちゃんの恋人探しで一日中外を歩き回り、疲れが溜まっていたのもあるが、帰ってきてから人形神ひんながみについて調べていて、寝るのが遅くなったことも影響していた。


 人形神ひんながみについて残っていた記録は、大まかに言うとこうだ。


 人形神ひんながみとは、墓地の土や墓石などを削り、それを核として人間が作る、言わば式神や呪法のしもべに近いものらしい。狛達が使う狗神も、まさに同じような呪法とされている。

 生み出された人形神ひんながみは作成者の願いを聞き届けて叶える存在となるらしいが、それには大きな代償を伴うようだった。


 端的に言えば、人形神ひんながみを作成し、それを祀った者は、地獄に落ちるのである。


 人形神ひんながみの効力は非常に強力で、祀った者に富を与える事は確実らしいのだが、そのまま死後も憑りついて地獄までついて行くとなれば、それはかなり危険な代物と言える。現代のように、あの世や霊魂の存在を信じず、妖怪変化を恐れなくなった人々なら皆飛びついてしまうだろう。多くの人間が現世利益を最優先する、今はそんな時代だ。

 今の世の中に人形神ひんながみが出回るのは、危険極まりないと言えるだろう。


 ちなみに、狗神の場合は術者に憑りついても、その後、地獄に落とされるような事はない。それは、犬という生き物の優しさ故なのだろうか?


 そんな記録を調べていて、狛が気になったのは、ヒンちゃんを作った人間のことだった。

 人形神ひんながみは作成して祀った人間に憑りつき、死後地獄へ落とす存在であるが、そこで終わりなのではない、彼らはその地獄の道行きに同行する妖怪である。故に、その昔に作られた人形神ひんながみがあったとしても、ほとんど現存していないのは、共に地獄へ落ちたからという事になる。


 そうであるならば、ヒンちゃんを作った人間はどうなったのだろう?もし、彼の存在が地獄へ落ちたのであれば、何故ヒンちゃんは一緒に地獄へ行っていないのか、それが謎なのである。

 ヒンちゃんはしきりに時間がないと言っていたが、それも何か理由がありそうだ。次の休みにでも、くりぃちゃあへ行って詳しい話を聞いてみようと、狛は眠い目を擦りながら考えていた。


 今朝の朝食の際にも、相変わらず拍は居なかった。ここしばらくは、拍の顔を見ていない。詳しくは教えてもらえないが、よほど重大な仕事なのだろう。早く自分も一人前になって拍の手助けをしたい所なのだが、それが中々難しい。そんな時だった。


「狛、おめぇに頼みてぇ仕事がある。今日学校が終わったら、その足で神子の本家に行け。後から化け猫猫田も向かわせる」


 朝食を終えて家を出ようとした玄関先で、ナツ婆が狛にそう言った。神子家の本家と言えば、学園からはそう遠くはないが、街の中心部に程近い住宅街の一角にあるので、犬神家の屋敷からは遠くなる。学校終わりに行けと言う事は、帰りはかなり遅くなるだろう。

 寝不足の身には辛い話だが、ナツ婆やハル爺が言うとは、間違いなく裏稼業…退魔士としての仕事のはずだ。久々の仕事とあって、狛は喜びに身を震わせて、背筋を伸ばし首を縦に振った。


 その日の授業は、滞りなく、何の問題も無く終わった。いつもならば昼休みは神奈やメイリー、それに玖歌を交えてゆっくり食事を摂るのだが、今日だけは一人で早々と食事を終わらせて少しでも睡眠時間に充てることにした。睡眠不足で仕事に失敗する事など、絶対に出来ないのだから。


 その甲斐あってか、午後の授業もスッキリとこなす事が出来て、残りはLHRだけである。秋も深まり始め、そろそろ学園祭などの行事が近いので、その前に学園全体の大掃除だ。狛はくじ引きで、普段あまり使われていない一年生専用の体育倉庫の掃除を任された。その相棒は、あのレディである。


「うわぁ…埃っぽいねぇ…一年に一回、この時期しか使わないみたいだもんなぁ」


 扉を開けると、狛が思わずそう呟くほど、室内は埃だらけであった。現在は中高一貫のマンモス学園である中津洲神子学園だが、創設されてからまだ数年というだけあって、基本的に設備は新しい。ただし、この学年毎に用意された体育倉庫だけはやけに造りが古かった。

 その理由は、この建物が元々別々だった神子中学と中津洲高校時代に建てられたものだからだ。


 中学と高校を一つにまとめ、巨大な学園を作ろうとしたのは、現在の学園理事長である中津洲 兼安なかつしま かねやすの発案だ。中津洲家と神子家が姻戚関係となったのは戦後の話で、何故今更になってという気もするが、単純に昔から少しずつ二つに分かれている両家の事業を統合してきたらしい。この学園を創ったのは、それらの集大成とでも言うべきものなのだろう。


 校舎などの大半は新しいものが用意されたが、一部の旧校舎や、この体育倉庫などは今でも学園の敷地内に残されている。旧校舎に関しては潰される事が決まっているので、この体育倉庫も時間の問題かもしれない。狛達が卒業するまでにどうなるかは解らないが。


 二人で簡単に掃き掃除などを終え、備品のチェックに取り掛かる。狛が見る限り、レディは掃除などにはあまり手慣れていないようだったが、狛の言う事に従ってスムーズに動いてくれた。彼女の頭が良く、器用な証拠だろう。狛はそんな彼女の事が気に入って、持ち前の気安さと人懐っこさを発揮していたが、レディの方はほとんど興味を持っていないようだった。そんな時である。


「そう言えば、先週の金曜日に、レディちゃんを見かけたと思うんだけど。覚えてない?」


「…私を?どこで?」


「確か、繁華街を抜けた所にある、大きなビルの前だったかな。誰かと電話で話してる風だったけど、あんなに楽しそうに笑うんだって思ったから。何か良い事でもあった?」


 それは、何気ない雑談のはずだった。狛にしてみれば、少しでも仲良くなりたいと考えた末の世間話の振りだったのだが、レディにとっては看過できる話ではなかったようだ。


(Sugar!まさか見られてたなんて…しかも、仕事上がりを。コイツ、確かコマって呼ばれてたっけ…どうする?殺しておくべきかしら)


 厳密に言えば、仕事の最中を見られたわけではないのだから、レディに狛を殺す必要などない。組織からは問題を起こすなときつく言われているのだが、レディはせっかく日本に来てから初めてやった大仕事にケチをつけられたような、そんな思いに駆られていた。完璧な仕事をこなしたと思って、気分良く過ごした週末が台無しだ。


 二人は、背中合わせに備品の残数を数えていたので、狛はレディの様子に気付いていない。レディは静かにスカートの中…太ももに隠し持っていた小型のナイフを抜き、ゆっくり振り向き近づく事にする。

 レディの扱う暗殺者特有の歩法により、一切余計な音を立てることもなく、狛の背後を取ることが出来た。未だ、狛はそれに気付かずに、熱心に備品を数えている。


「Freeze it!」


「え!?」


 突如、背後からレディに羽交い絞めにされ、首にはナイフのようなものが突きつけられていた。狛にしてみれば、青天の霹靂もいい所だろう。しかも、瞬時に口を抑えられ、もはや大声を出す事も封じられているのだ。何が起きているのかも解らない、そんな状況であった。


「アレを見られてたなんてね、教えてくれて助かったわ。あんたには悪いけど、見られたからには放っておくわけにはいかないの。だから、ここで死んでもらうわ」


「んん!んんんー!?」


「…さよなら、コマ」


 レディの手にしたナイフが蛍光灯の光を反射し、怪しく輝く。遠くから、LHRの終わりを報せるチャイムが鳴り始めていた。

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