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第46話 猫田の失態

「もう、今日はびっくりしたよー。いきなり連絡来るんだもん、すっごく心配したんだからね?まさかお店で倒れちゃうなんて…ふふ、猫田さんマタタビに酔うとこうなっちゃうんだねぇ」


 狛の腕の中で、猫の姿のままぐったりとした猫田が横たわっている。いつも元気に揺れている尻尾が、今日だけは力なく、くたっとしたままだ。

 狛が頬を軽くつついてみると、鬱陶しそうに猫田はほんの少しだけ顔を上げて、狛の顔をちらっと覗いてみせた。普段、猫田は猫の姿でいてもあまり撫でさせてくれたりはしないので、狛はここぞとばかりに撫でたり、お腹を掻いたりしている。

 特に、猫又でも口元のムニムニした部分は、とても柔らかくて気持ちがいい。以前から触ってみたいと思っていたので、思う存分触れるとあって、狛は満足そうだ。


「うるせー…不意打ちだったんだからしょうがねぇだろぉ…くそ、こうなるのが嫌だから知られたくなかったのに…」


 悔しそうな声を上げる猫田だが、声そのものに張りと力がない。よほどマタタビが強く効いているようだ。

 何故こんな事になっているのかと言えば、きっかけは放課後の事である。


 授業が終わり、HRも終わって、メイリーや神奈達と別れた狛は、いつも通りに帰宅しようと足早に学校を出た。今日は週末の金曜日。人並みの女子高生としては少しくらい寄り道したい気もするが、どこかへ遊びに行こうというには懐が寂しい。

 拍に頼み込んでスマホを新しくしてもらったばかりだし、これ以上小遣いを余計な事に使っている余裕はない。


 そんな悲しい言い訳を胸に秘めつつ、学園の校門を出たその時だった。新調したばかりのスマホに突然、着信があったのだ。大慌てで電話に出ると、相手はくりぃちゃあの土敷からであった。


「はい、もしもし。犬神ですけど」


「ああ、狛君かい?もう学校は終わったかな?僕だよ、座敷童の土敷だ」


「ああ、土敷さん!この間はどうも。…どうしたんですか?急に」


「いや、ホント急で悪いんだけど頼みがあってね。実は、ちょっと助けて欲しいんだ。猫田が倒れてしまった」


「えっ!?」


 正直、全く予想もしていなかった言葉を聞いて、狛は頭が真っ白になった。この所ずっと、大事な人が死ぬという言葉が頭から離れなかったのだ。猫田が倒れたという事実を聞いただけで、再び悪い予感が胸中に渦巻いて、息が止まりそうになる。

 急いでくりぃちゃあに向かってみれば、猫田は猫の姿でノックダウンしていた。理由を聞けば、お客さんの持ち込んだマタタビに酔ったのだというではないか。狛は安心して胸を撫で下ろす一方で、人騒がせな猫田に沸々と怒りが湧いてきたのだった。


 そもそも、何故その客はマタタビなどを持ち込んだのだろうか。理由は少し悲しい話である。


 そのお客さんはいつも猫田を指名する常連の女性なのだそうだ。なんでも、長年飼っていた愛猫を亡くして失意の底にいた所を、偶然くりぃちゃあに立ち寄ったのだという。

 しかし、猫田曰く、それは偶然でも何でもなかったそうだ。憔悴しきった飼い主を心配する余り、成仏できなかった飼い猫の霊が、猫田を頼って飼い主を店に導いたと言うのが真相らしい。猫田は野良地域猫や飼い猫を問わず、この街の猫達を仕切る顔役でもあるので、当然と言えば当然だろう。


 当たり前だが猫の気持ちが誰よりも解る猫田は、そのお客さんの相談相手としてピッタリで、彼女はよく店に顔を出すようになり、ようやく塞ぎ込んでいた気持ちも明るくなってきたようだ。そして、今日はその亡くなった飼い猫の命日だった。


「うちの子が大好きだったので、お供えしようと思って…」


 そう言って、客の女性が取り出したのは国産の高級なマタタビの若木であった。まだ青々とした葉っぱが付いていて、芽などは地域によっては人間でも天ぷらにして食べられるくらい新鮮なマタタビだ。それが不意にテーブルに置かれた為に、猫田は思いきり匂いを吸ってしまったのが不幸の始まりである。

 猫田は咄嗟に土敷にSOSを発し、バックヤードに逃げ込んだ。幸い、まだ人への変化は保てていたので客の女性にはバレなかったが、あと一歩遅ければ客の目の前で猫に戻ってしまっていただろう。実に危ない所だった。


 その客が帰った後、困ってしまったのは土敷や、他の妖怪スタッフ達だ。今日は勤務している妖怪の数が少なく、週末だけあってか客の入りが多かった。猫田一人抜けただけでも店が回らなくなる一歩手前だったのである。


 そこで、狛が急遽呼び出されたと言うわけだ。


 狛は妖怪ではないので、客のテーブルには着かず、あくまで配膳やホールスタッフの手伝いをしただけだが、それでもかなり助かったと土敷は喜んでいた。また、他の妖怪スタッフや、普通の客からも狛の評判は良く、帰り際には土敷から「狛君さえよければ、うちで働いてみないかい?」と誘われたので「賄いはありますか?」と聞いた所、土敷は笑顔で「まぁ、ヘルプで入ってもらうだけの方がいいかな…」とトーンダウンしていた。

 小遣いに不安がある狛としては、賄いに制限があっても働かせてもらえれば助かるのだが、アルバイトなど果たしてあの兄がなんと言うだろうか。

 色々と、前途多難である。


「あの客…次同じ事したら出禁にしてやる…!」


「そういう事言わないの。その人だって悪気があったわけじゃないんでしょ?猫田さんと思い出話がしたかっただけなんだから」


 猫田の頭を撫でながら、嗜めるように言いつけて、狛は笑っていた。猫田の代わりに働いてすっかり帰りが遅くなってしまったが、連絡は入れてあるし、何よりどこか寄り道したいと思っていた所だ。これはこれで悪くない結果である。忙しなく働いてる間、何も考えない時間が出来たお陰で、少し気分転換にもなった気がする。


 そんな風にスッキリした笑顔を見せる狛の表情をみて、愚痴ばかりだった猫田も渋々抗議を止めた。ずいぶんと久し振りだが人間に撫でられる感覚も、思っていたよりずっと心地良い。マタタビのせいだろうか、かつて、初めて自分が人間と暮らしたあの頃…幼い頃の、何も知らない普通の猫だった時の気持ちが少しだけ湧き出て来るようだ。


(ああ、くそ…もう思い出したくもねぇってのに…)


 そうなると必然的に、時のことまで思い出してしまう。もう恨みの気持ちなどとうに消え失せたが、それでも思い出したくない記憶はある。

 そんな気持ちが狛に伝わったのか、優しく頭を撫でていた狛の動きがより一層優しくなって、その手は猫田の背中に移動した。まるで、安心してと声を掛けられているようだ。

 夢現ゆめうつつに微睡みそうになったその時、不意に狛の動きが止まった。


「今の、レディちゃん…?」


「どうかしたのか?知り合いか?」


「うん、この間、転校してきたクラスメイトだと思うけど…見間違いかな」


 クラスメイトとすれ違うだけなら、そう大した事ではない。だが、相手はあの転校生で、しかも、学校では感じ取れなかったあの嫌なニオイが、今度はハッキリと感じ取れた。何の匂いなのかまでは解らないが、どうにも嫌なニオイだ。

 それに加えて、レディが出てきたと思しきビルも気になった。苦痛に満ちた魂の怨嗟…その痕跡のようなものが感じられる。だが、こんな街中のビルでそんな残存思念が残るとは思えない。少し気になる所ではあるが、狛は敢えて気にせず、明日にでも本人に聞いてみよう、そう思った。


 もしも、猫田がまともな状態だったなら、そのニオイが死臭である事を見抜き、ビル内で起きた惨劇にも気付いただろう。しかし、残念ながら猫田はマタタビ酔いで感覚が鈍っていたし、狛に撫でられて眠りかけた状態だったので、それらに気付く事はなかったのだ。


 狛とレディ、二人の道は未だ交わらず、今はただすれ違うのみであった。

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