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第45話 死体よ踊れ

「My dear corpse, embrace me and kill me in my place.♪Dance, corpse, take my hand♪」


 ビル風に吹かれながら、夜景のみえる屋上で女が踊っている。相手を務めるスーツ姿の男は、全身に力無くだらんとしていて、女の動きに振り回されているだけのように見えた。男の口元と鼻からは血が垂れており、目に光はなく、首はあり得ない角度に曲がっていた。

 その女、レディは歌いながらチークダンスを踊っているが、相手が死体なのは全く気にしていないようだ。


 昼間、レディに殺害の命令が下った相手は、彼女が現在踊っているビルの所有者で、昨年日本に進出してきたチャイニーズマフィアの幹部達である。


 どうやらレディを雇いあげた組織と対立しているようで、今までは使える場面もあって交渉などしてきたが、昨今の彼らは増長甚だしく、今後は邪魔にしかならないと判断されたらしい。レディはこのビル一棟を丸々好きにしていいと命じられた、つまり…鏖殺みなごろしである。


「Dear corpse, love me Bind the two of us with a chain that will never be broken♪」


 レディの歌声に混じって、パンパンっと渇いた銃声が響き、その後に続いて男達の悲鳴が聞こえてくる。ジェンダーレスが叫ばれる時代だが、マフィアの事務所に女性はいないらしい。或いは、悲鳴を上げる間もなく殺されているのかもしれない。彼らの稼業故か、ビルは全体に防音設備が施されていて、屋上でもなければ、外には銃声も悲鳴も届かない。暗殺者にとって、これほど都合のいい場所もないだろう。


「Dance, corpse, next to the sleeping baby 5.4.3.2.1...You can't go anywhere anymore, it's a dead end♪」


 歌と共に華麗なタップが止まる。レディのダンスと歌が終わる頃には、ビルの内部は異常な程の静けさに包まれていた。


「フゥ…ふふ、最高!こんなに気持ちよく殺せたのは久し振りね」


 レディはダンス相手にしていた死体を、遊び飽きた人形のように放り投げた。血の跡を残しながら滑っていく死体の動きがやがて止まると、それらは跡形も無く闇に溶けていく。どうやら、持って帰る程度には気に入った相手だったらしい。

 レディは手製の薬タバコを一吸いしてから、ゆっくりとビルの中へ入っていった。


 紫煙を燻らせつつ、倒れている死体の顔を検分して進む。久々に楽しめる殺しではあったが、ターゲットを仕留められていなければ意味がないので、確認は念入りに行う。

 時期的には少し早いコートの裾は、死体を足でどかした際に付着した血でベットリと汚れている。レディにとっては、それは勲章と同じで誇るべきものであるのだが、衛生的な観点から、仕事の後は泣く泣くクリーニングに出しているのが現状だ。


 所々に、仕事を終えた死体達が静かに立ち尽くし、それによってこの場で生きているのが自分だけであるという奇妙な征服感と満足感が、レディの心をくすぐった。それもまた、レディが殺しを止められない理由の一つでもある。


「一人、二人…三人目がいないわね」


 一階まで降りてきた所で、ターゲットが一人足りない事に気付いた。レディが殺害を命じられたターゲットは三人、組織の調査では、明日までは三人揃って日本にいるはずだ。外出していないのも確認済みである。となれば、どこかに潜んでいるのだろう。


 ビルの出入り口には死体を配置し、窓という窓にはトラップが仕掛けてある。今夜、このビルから逃げる事など出来はしない。レディを殺しでもしない限りは。


Hide-and-seekかくれんぼってこと?最近、子どもじみた事が多いわね」


 フーッと煙を吐いて、降りて来た階段を見上げるレディ。その口振りとは裏腹に、彼女はサディスティックな笑みを浮かべている。


 かくして、死体達は再び動き出し、哀れな最後の犠牲者を求めて歩き始めた。手に入れたばかりのミイラ達は温存してあるので、今動いているものは使い潰しても構わない。何と楽な仕事だろうか、いつもこうならいいのにと思いつつ、レディは日本に来てからの鬱憤が晴れていくのを感じている。


「くっ!放せ!この化け物共が!!」


 十数分後、隠された地下への階段を発見したレディは、そこで最後のターゲットを見つけ出した。持っていた銃の弾は尽きたのか、死体が身柄を抑えているが、レディが地下に降りた時には2体ほどの死体が倒されていた。中々の腕前というべきだろう。


「Hi!貴方がMr.ウーで合ってるかしら?」


「き、貴様…貴様がこの化け物共を…?俺が誰だか解っているのか!?」


「ええ、知ってるわ。香港黒社会マフィアの香主、吴 芳谢ウー フォンシェイでしょう?当然、知ってて貴方を始末しにきたのよ」


 それが何か?と言いたげに、タバコの煙を吐き出す。このタバコは精神を安定させる為だけでなく、拭いきれない死臭を隠すために自作した、特に匂いの強いものであるが、その態度は吴の怒りを増長させるものでもあった。


 吴は隠し持っていた短刀で、自分の腕を抑えている死体の腕を切り落とし、一瞬の隙を突いてレディを刺し殺そうと駆け出した。


「あら、やるじゃない」


「なっ!?」


 しかし、その刃はレディに届く事はなかった。あと一歩の所で、どこからともなく現れた男に阻まれたのだ。短刀は男の腹に深々と刺さり、そこから冷たくなった血が流れ出ている。


「お、おお…おおお…浩然ハオラン!我が息子よ、どうして…?!」


「ああ、それ、貴方の息子だったの?ふふ、ダンス相手にちょうど良くてつい持ち帰ろうとしてしまったわ」


 吴は涙を流しながら短刀を手放し、崩れ落ちる息子の身体を抱いていた。何をされたのか、既に息子の身体はボロボロで、人間らしい形を保っているのが不思議な程である。自身が追い詰められた状況にある事も忘れて、吴はレディを睨みながら嗚咽している。


「こ、この悪魔が…!」


「あら?貴方がそれを言うの?別に私が悪魔と呼ばれても構わないけれど、貴方が本国でしてきた事の方が遥かに悪魔的でしょうに」


 香港の黒社会…チャイニーズマフィアのやり口は、凄惨かつ残忍そのものである。レディが言っているのはまさにその事だ。事実、吴 芳谢ウー フォンシェイという男は、様々な人間を虫けらのように殺してきた男である。例えそれが女子供であっても、一切の容赦なく、笑って手にかけてきたのだ。レディにとっては同じ穴の狢という言葉がこれほど似合う相手もいないだろう。


 突き付けられたレディの言葉に、吴は言葉を失った。彼が何を考えているのか、その表情からはもはや推し量る事はできそうにない。

 放心しきったその姿に、レディは呆れて背を向けた。


「愚かね。情けない男…自分は散々人を苦しめてきたのに、自分がその立場になったらこうも呆気ないなんて」


 タバコを深く吸って、そのままゆっくり息を吐いたその瞬間、吴はいつの間に浩然の腹から短刀を抜いていたのか、カッと目を見開いて短刀を構えレディの背中を刺し貫いた。

 人の呼吸というものは、全身の力や動きに大きく連動する。息を吐くということは、身体が弛緩し、力が緩まる瞬間なのだ。吴はそれを狙っていた。ましてや、背後からの急襲である、避けられるはずもない致命の一撃となる…はずだった。


「なにっ…!?」


 確かにレディを刺し貫いたはずの刃は、自らの腹に深々と突き刺さっていた。短刀は逆手に持ち替えられ、吴の腸を抉り切り裂いている。


「いいわね。最後まで負けを認めず、背中から人を討とうってその腐った根性。生き汚さは評価してあげるわ」


「あ、ああ、ああああ…!」


 吴は心の底から絶望した。自分の身体はもはや、とっくに死んでいたのだ。自分達を襲った死体同様、目の前の女に操られていたのだと気付いた。既に痛みは感じられず、視界はざらざらとした感触の何かに覆われていく。


「ぐ、鬼子グイズ、め…」


「褒め言葉として受け取っておくわ。こんな風にじわじわ殺すのも、悪くないわね」


 それを最後に、吴の意識は途絶えた。こうして、レディの襲撃からわずか2時間で、ビルの中で生きている者は完全にレディ一人となった。全ての死体と痕跡はレディによって包み隠され、ビル内は人っ子一人いない、虚無の空間へと変わってしまったのだった。



「Hello、エリス。仕事、終わったわよ」


「ご連絡ありがとうございます、レディ。迎えを出しますので、指定の場所で待機を。少しは気分転換になりましたか?」


「ええ、とっても。週末に最高の夜だったわ、後はワインが欲しい所だけど、この国じゃダメなのよね」


「…そうですね。それと、人目のある場所ではタバコも控えて下さい。貴女は未成年ですから」


「tiresome…!」


 レディはビルを出ると、いつの間にかコートを脱いで目立たないように手にかけて歩いている。スマホで話しながら歩いていくその背中を、擦れ違った狛が見ていた事に、レディは気付いていなかった。


「今の、レディちゃん?」


「どうかしたのか?知り合いか?」


「うん、この間、転校してきたクラスメイトだと思うけど…見間違いかな」


 猫の姿の猫田を抱えて、狛は首を傾げている。たった今、レディが恐るべき惨劇を引き起こしてきた事など、狛には知る由もない。

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