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第39話 電脳妖妃

 当初は優勢に見えた猫田だったが、際限なく集まってくる霊魂の数に圧倒されつつあった。


 猫田の爪で切り裂かれた魂は、触手のように細く形を変えたかと思えば、無数の小さな人の手に変わって猫田を圧し包み、その身体を絡めとろうと蠢いている。


「猫田さん!」


「来るなっ!俺の事はいい、それよりコイツの元になってる何かを探せ!このままじゃ街中の霊魂が集まってきちまうぞ!」


 猫田の制止を受け、続けて飛び出そうとした狛はすんでの所で足を止めた。確かに、今は無闇に突っ込んでも意味がない。既に魂の塊は、追手門に憑いていた水子達だけではなく、周辺を彷徨っていた浮遊霊を含め、人間や動物も問わずに未成仏の魂が寄せ集まったものになっている。これはかなり異常で、危険な兆候だ。

 しかも、空を覆う魂達は刻一刻と数を増していた。猫田の言う通り、このままいけば更に恐ろしい事態に発展するだろう。


「でも、一体どうして…?あっ、ハル爺、あれ!」


「む?」


 狛が指差したのは、追手門の胸ポケットだ。既に意識を失っているのか、巨大なスライムと化した魂の中心で佇む追手門だが、その部分だけが微かに奇妙な光を放っている。


「何じゃあれは?ぼんやり光っておるが…」


「解んない…でも、あれが本体なのかも。ハル爺、結界お願い!イツ、九十九、行くよ!」


 狛の掛け声を聞きつけ、鞄の奥にしまわれていた九十九が宙に舞う。そして、九十九が狛の身体を包み込むのと、隣に待機していたイツがその身体に飛び込むのはほぼ同時であった。蒼銀の霊気を放ち、狛は狗神走狗の術で人狼へと変化する。


「おお、これが…!」


 それを間近で見たハル爺は、喉を鳴らして息を呑んだ。ハル爺にとって、狛がこの姿になるのを見たのは、かつてがしゃどくろ戦で遠目に見て以来、二度目である。後は話には聞いていたが、実際に間近で見てみれば、恐ろしい程の霊力が感じられ、その姿は身震いするほどに美しい。

 犬神家の血に連なる人間として、今の狛が成した姿はまさに、彼らの頂点と言っても過言ではない姿なのだ。


「猫田さん、待ってて…九十九!」


 狛が叫ぶと、その背に描かれた見返り美人が動き出し、優美な所作で持っていた傘を放り投げた。すると、ただの絵として描かれていたはずの傘は実体化し、次の瞬間には狛の右手に収まっている。傘がその手の中で回転する度に、キラキラと光る花びらが舞い散る。狛の身体から迸る霊力が形になっているようだ。


 狛は一旦傘を閉じると、その手を通して霊力を送り込んでいった。やがて力に満ち満ちた傘は全体に光を帯びて、天辺にあるろくろ…一般的な洋傘で言う石突きの部分から、輝く刃を発生させた。それは剣でなく、紛れもなく槍である。

 天下三名槍と謳われし蜻蛉切に似た肉厚の刃は、これまで爪と尾だけを使って戦っていた狛の、新たな力であった。


「行くよっ…!でやあぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 狛は槍へと変化した傘を構えると、追手門に向かって猛烈な勢いをみせ、果敢に、一直線に突撃を仕掛けた。スライム状の魂は、その動きを阻止すべく狛の進路上の塊を固めて硬質化したが、それはまったく無駄な抵抗である。

 それらは、まるで熱したナイフでバターを切るように、或いは、煮しめた大根を箸で切るように一切の抵抗を感じさせずに切り開かれていく。


「狛…!アイツ、いつの間にあんな技を」


 猫田は、その姿に思わず見惚れてしまった。宗吾に倣い、爪と牙で戦っていた少女が、彼の天才を超えるような新たな力を発揮しているのだ。この瞬間、猫田は心から打ち震えるような感動さえ覚えている。


 魂の塊は狛の突進を止めようと、切り裂かれた身体を、こちらも触手や手に変えて掴み掛るが、狛の尾や九十九の裾が伸びてそれらを弾き返してみせた。狛は苛立つ魂の反撃には脇目もくれず、ひたすらに、文字通り一本槍で突き進む。

 狙うはただ一旦、追手門の胸で怪しく光る何かだ。追手門自身は霊能者でも術者でもない、その上、既に彼に憑りつく霊体とは無関係の魂達が暴れている。となれば…


「追手門君、ごめんっ!」


 あっという間に追手門の元まで接近した狛は、槍の穂先をその胸に向けた。近くまで来てみれば、その光は禍々しい圧を放っている。間違いない、これこそが元凶だ。出来れば追手門に怪我をさせたくはない狛は、その一瞬に精神を集中させて、怪しい光を狙って槍で突いた。

 すると、ガキン!という金属音が響いて、狛の一撃が弾かれる。何か強い力が、それを守っているようだ。


「な、なに!?」


 驚愕する狛を尻目に、その槍で斬られた胸ポケットから零れ落ちたのは、追手門のスマホである。そのスマホが彼の腰辺りで落下を止め、浮遊し始めるとスマホが放っていた怪しい光はより強くなり、その画面の中へ、大量に集められた魂達が吸い込まれ始めた。


「今、どこにいるの?」「何をしているの?」「誰といるの?」「貴方の子どもが出来たの」「どうして何も言ってくれないの?」「好きなの」「私だけを愛してるって言ってくれたのに」「貴方だけいればいい」「ずっと一緒にいたい」「許さない…逃がさない」「邪魔する奴は、殺す」「殺す、殺す…皆、殺ス!」


 同時にスマホから、次々にたくさんの女性の声が聞こえてくる。昼間、狛に送られてきたメッセージに似ているが、より攻撃的で憎悪の念が増していた。そして、無数の魂を全て吸い込むと、スマホの画面から、大量の絵巻物が伸びて飛び出し、追手門の身体を包みこんでしまった。


 それを核にしてか、巨大な女の上半身がスマホの画面から出現する。


「これって…確か、文車妖妃ふぐるまようひ!?」


 文車妖妃とは、その昔、本や手紙を入れて運ぶ車に、想いを告げる為にしたためられた恋文達の叶わぬ情念が憑りついて生まれた妖怪である。報われなかった想いは、積み重なればやがて怨念や憎悪という負の想念へと形を変えていく、それが形を成したものだ。そして今、愛の告白やラブレターはSNSのメッセージや、メールで送られる時代である。つまり、スマートフォンこそが、現代の文車であるわけだ。


「狛!」


 魂の束縛が解けた猫田が、狛の下に飛び、その身を抱えてフグルマから距離を取った。


「猫田さん!あ、ありがとう」


 僅かな間もなく、狛の立っていた場所にいくつもの絵巻物が伸びてきて、まるで鋭い棘のように形取って地面に突き刺さっている。


「礼はいい、それよりあれは文車だ。解ってるのか?」


「知ってる、昔の討伐記録で、読んだことがあるから」


 狛の言う討伐記録というのは、犬神家に残された先祖代々からの妖怪達との戦いの記録である。

 それは、開祖から数えて千年近くに及ぶ、犬神家の歴史そのものだ。その長い歴史の中でフグルマとは何度か交戦した記録が残っているようだ。


 人の暮らしは形が変わっても、想いは変わらないということだろう。妖怪変化や霊魂は、常に我々の傍にいるのである。


 それを聞いた猫田は、その大きな猫の目を細めて笑ってみせた。


「な、何で笑うの!?」


「いや、懸想にまつわる奴はちゃんと知ってるんだなと思ってよ。色気より食い気を地で行くかと思ってたが、やっぱりお前も女だなぁ」


 くつくつと笑う猫田の物言いに、狛は顔を真っ赤にして抗議の声を上げた。


「もうっ!そういうの男女差別なんだから!」


「はっ!妖怪に男女差別もクソもあるか。メスって言わなくなっただけマシになっただろ」


 そう言われれば、確かにそうだ。ただ、それをはいそうですかと受け入れるのも癪である。


 そうしている間にも、文車妖妃は攻撃を仕掛けてきていた。先程同様、高速で飛来する棘状の巻物だ。猫田はすかさず狛を背中に乗せ、縦横無尽に飛び回ってそれらを回避してみせた。


「しかし、ちっと厄介だな。ありったけの魂を飲み込んだおかげで、ただの文車妖妃よりもずっと強力になってやがる」


 回避の合間に、猫田は魂炎玉と呼ぶ火の玉を文車妖妃にぶつけているが、ほとんど効果が見えない。通常の文車妖妃は、元が文である為に火に弱いはずなのだが、手にした大量の魂の力なのか、その弱点が無くなっているようだ。


「炎がダメとなると、力で無理矢理破壊するしかねーか!」


「待って、あれはスマホなんだよね?だったら…!」


 狛は忍ばせていた霊符を一枚取り出し、それを傘の柄に張り付けると、傘全体にバリバリと電流が流れ始めた。今狛が使ってみせたのは雷撃符といい、凍刃符などと同じく霊力を起爆剤として霊符に込められた効果を解放するものである。


「…電撃か、確かにそれならいけるかもな」


「でも、雷撃符はそう長くは続かないから、一発で仕留めないと…!」


 激しく揺れ動く猫田の背の上で、狛は冷静に狙いを定める。現在、追手門は繭のように大量の絵巻物に絡めとられている。それを守るようにして女性の上半身がスマホから現れているのだ。それはまるで、追手門を子どもに見立てた臨月の妊婦そのものであった。


「よぉし、行くぜ、狛っ!」


「うん!」


 狙いは決まった。猫田は狛を背に乗せたまま、文車妖妃に向かってひた走る。飛来する攻撃を左右にステップして回避しつつ、猫田は文車妖妃の目の前で、魂炎玉を地面に叩きつけ、爆発を引き起こした。しかし…


「殺してやる」「私の赤ちゃん」「赤ん坊なんてほしくなかった」「貴方だけがいてくれればいい」「あなたなんて要らない」「赤ん坊と同じように…皆、死んでしまえ」


 その爆発に紛れ、矛盾した言葉を叫ぶ声が上がった途端、文車妖妃の周囲の地面から、足の踏み場もないほどに大量の棘が飛び出し猫田の身体を貫いていた。


「ぐはっ…!や、やってくれるじゃねーかよ…!だが、お前の負けだ」


 猫田の背中に、狛がいない。それに気付いた文車妖妃が空を見上げると、夜空に浮かぶ月を背に、月よりも青く光る狛の姿がそこにあった。

 狛は爆発を隠れ蓑にして、思い切り高く跳躍していたのだ。そしてそのまま、狙いを定めて高速で落下する。


「そこだああああああっ!!」


 雷を纏った狛の槍は、文車妖妃の胸元に位置するスマホを、寸分の狂いなく正確に貫く。


「ギ、ギャアアアアアアアアアアアッッッ!!?」


 文車妖妃の断末魔の悲鳴が、周囲にこだまする。その身体には一瞬のうちに亀裂が入り、やがて耐えられなくなったのか、粉々に砕け散った。それと共に、文車妖妃に囚われていた無数の魂が、解放されて天に昇っていく。それは輝く光の柱のような、美しい光景である。


「猫田さんっ!」


「大丈夫だ、このぐらい心配要らねーよ。イテテ…」


 狛が真っ先に駆け寄ると、腹に風穴が開いているというのに猫田は軽口を叩いてみせた。

 安堵する二人が目にしたのは、精気を極限まで吸われ、老人の様な姿になった、哀れな追手門の姿であったという。

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