目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第37話 電脳に宿る妄執

 フミと名乗る人物から友達申請のあった日、その夜。


 日課となっているメイリーと神奈との通話を終え、歯を磨いて布団に入った時、狛のスマホに一件のメッセージが届いた。


「…ん、誰だろ?」


 狛は朝が早い分、眠るのも早い、平日なら21時には眠る生活パターンなのだ。メイリーや神奈はそれを知っているので、その時間を過ぎてからメッセージを送ってくることなど緊急時を除けばほとんどない。また、狛のWINEに登録されているのは二人と家族、そして、あのフミという人物だけだった。


 眠い目を擦りながらスマホを手に取り、WINEの画面を開く。やはり、あのフミからメッセージが届いていたようだ。何の気なしに開いてみると、そこにはただ一行のメッセージが記されていた。


 ――今、どこにいるの?


「んー…自分の部屋にいるよー…と」


 ――自分の部屋にいるよー。


 ――何してるの?


 ――私、朝が早いから、もう寝る所だよー。


 ――本当に?


「んんん…なんで疑うんだろ、もう眠いんだけどなぁ」


 ――本当だよ、もう眠いからごめんね。また明日ね。


 そうメッセージを送った所で、狛の意識は途絶えた。寝付きが異常にいいのも、狛の特徴である。ほんの一瞬、足元にくっ付いて寝ているアスラが顔を上げたが、それだけで、何事もなくまた眠ってしまった。そして、夜が明けた。


「行ってきまーす!」


 身支度と食事を終えて、元気な声で狛が屋敷を飛び出していく。毎朝の光景だが、今日は朝からどんよりとした空模様で、少々足元がよろしくない。夜の内にかなり降ったのだろう。道路はまだ濡れていて、土の部分はぬかるんでいる。屋敷の敷地を出てしまえば、舗装されていない道などないが、通学路は山間にあるので斜面が心配だ。


 ゆっくり進むのに時間は間に合うかな?とスマホを取り出して時間を確認しようとした時、WINEにメッセージが届いていた事に気付いた。


「いっけない…!寝ちゃっててそのままだったんだ。えっと、フミさんからかな。…え、な、なにこれ?!」


 WINEを開いて中身を見れば、最後に狛が送ったメッセージの後、ほとんど間を置かずにフミからメッセージがあった。それは画像で、狛がスマホを持ったまま眠っている姿である。その画像の後に一文だけのメッセージもあり、そこで会話は終わっていた。


 ――本当だ、良く寝てるね。おやすみ。



(あれってどうやって撮ったんだろう。どう見ても昨夜の私だったよね?…部屋に誰かがいた?でも、そんなはずないし…)


 学校に到着して下駄箱で靴を履き替えつつ、狛は先程からずっと、フミから届いたメッセージについて頭を悩ませている。


 あの画像は、何者かが眠っている狛を撮影したものだ。しかも、スマホを持ったまま寝ている所を、。スマホを乗っ取られたというわけではないのは明らかだった。


 そもそも、何が目的なのだろう?直前の会話からすると、狛の動向を探っているようだったが、もしあの場に居て写真を撮れたのならば、他にも危害を加える事が出来たはずだ。だが、起きてから今まで、狛自身は全く気付かない状態だったし、着衣に乱れも無かった。

 では、狛を恐がらせることが目的であるとして、それは何故か?フミという人物に心当たりはなく、狛は人に恨まれるような覚えもない。しかし、亜霊の事を考えると、自分に身に覚えがなくとも恨みを買う可能性がある事もよく理解した。となれば、怨恨の線も捨てきれない。どちらにせよ、警戒しておかなくてはならないだろう。


 そう考えていると、不意に下駄箱の陰から人影が現れ、狛の進路を塞いだ。


「犬神、おはよう」


「あ…おはよう。えっと、追手門君だっけ。早いんだね」


 咄嗟にそう言ってしまったが、今日の狛はゆっくり歩いてきたのでそれほど早い時間ではない。もうあと数分で、下駄箱は他の生徒達でごった返すだろう。


「ああ、どうしても、犬神に会いたくてさ…!」


(ふっ、決まったな。今のは…)


 内心で勝ち誇る追手門だが、狛の視線と意識は完全に違う方向を向いている。


(な、何で昨日から一晩しか経ってないのに、水子の数が増えてるの…?怖…)


 台無しであった。


 追手門自身は全く気付いていないようだが、狛にはハッキリと、彼にしがみつき、苦悶の表情を浮かべて泣く赤子の姿が見えている。しかも、昨日は背中に数体見えるくらいだったというのに、今日は背中だけでなく、足にもべったりとくっついているではないか。さすがの狛もこれには恐怖を感じているようだ。


「そ、そうなんだ~…あ、あはは…きゃっ!?」


 狛がお茶を濁そうと愛想笑いをした瞬間、狛の右側にあった窓ガラスが勢いよく割れて飛び散った。外から内側に向けて飛び散る破片は、狛の身体目掛けて降り注いでくる。


 その瞬間、イツが凄まじい速さで狛の影から飛び出し、狛に向かって飛散したガラスの破片を、一つ残らず綺麗に弾き落とした。まるで型を取ったかのように、人型に避けた破片は、下駄箱に刺さったり、傷をつけて床に散乱している。ステンレス製の下駄箱にガラスが刺さるなど、どう考えても異常だ。

 しかも、割れたのは狛が立っていた部分だけで、その脇の窓ガラスには何の異変もない。これは超常のものによる悪意ある攻撃だと狛が気付くのに、時間はいらなかった。


「い、犬神!大丈夫か!?」


「大丈夫!すぐ先生を呼んでくるから、追手門君は他の子達が来たら危ないから近づかないでって言っておいて!」


「あ、ああ…お、おい!」


 狛は追手門の隣を駆け抜け、すぐに昇降口を後にした。もしこれが狛を狙った攻撃なら、あの場にいれば追手門まで危険に晒す事になる。狛の眼から見てもどうしようもない男だが、それは避けたい所だ。

 その時、廊下を走る狛のスマホが振動し、フミから新たなメッセージの受信を報せる通知が届く。


「何…こ、これって?!」


 ――彼に近づくな。


 それは疑いようもない警告だった。何処から見ていたのか、どうやら、フミは狛が追手門に近づく事をよく思っていないらしい。

 先程の窓ガラスを割ったのも、昨晩、どういう手段かは不明だが狛の寝姿を盗撮したのも、フミによるものだろう。そして、ここで狛はフミが人間ではない事に気付いた。


「フミさん…あなたは追手門君の…」


 立ち止まり、そう呟く狛に応えるように、スマホの画面は異常なものに変わり、次々にメッセージが送られてくる。


 ――今、どこにいるの?


 ――何をしているの?


 ――貴方の子どもが出来たの。


 ――どうして何も言ってくれないの?


 ――私の事だけ、愛してるって言ってくれたのに。


 ――好きなの。


 ――お願い、返事をして?


 ――ずっと一緒にいたい、死んでも、生まれ変わっても、ずっと。


 ――私から逃げるなんて、許さない。


 送られてくるメッセージは、狛宛のものとは思えないものも含まれていた。送ったのはフミなのか、或いは他の誰かなのかは不明だが、これを送られた人物が他にいる。それは恐らく、追手門なのだろう。


「これ、人じゃない。情念とか、怨念の類いだ…!」


 すると、ガシャン、ガシャンという、激しい物音が廊下の奥から狛の方に近づいてきた。先程窓ガラスが割れた時のような音だが、見る限り廊下の窓に変化はない。しかし、確実にそれは近づいてきているようだ。

 実体の無い何かは、目にこそ見えないが、何度も人狼に覚醒して鋭くなった狛の鼻には、ハッキリと解る。それはだ。しかも、とびきりに濃い、思わず鼻をつまみたくなるような、狛が女性だからこそ解る嫌な臭いだった。


 ゾッとする感覚がして、狛は咄嗟に開いていた窓から外に飛び出し、受け身を取って廊下を離れた。背筋に嫌な汗が流れるが気にしている余裕はなく、廊下をじっと睨むも未だ敵の姿は見えず、嫌な臭いと気配は消えていない。


 その間にも、メッセージを報せる通知が鳴り続け、やがて再び、ガシャンという金属音がし始めた。


「どこから来る…?いや、どこから見てる?」


 警戒しながら目を皿のようにして周囲を見回すが、怪しい人物はおろか、人影すらない。いくら朝とはいえ、こうまで人気ひとけが無いのはおかしい。そうしている間にも、殺気はさらに強まって、狛の全身は冷や汗でびっしょりと濡れてしまっていた。


 死神の鎌を思わせる威圧は、すぐそこまで迫っている。そのプレッシャーが最高潮に達した時、狛のスマホから、老女の様な、若い女の様な声がした。


「死ね」


 その刹那、狛は傍に控えさせていたイツにありったけの霊力を流し込み、その咆哮でスマホを粉々に破壊させた。すると、瞬く間に殺気は霧散し、あれほどまで感じられていた臭いと、何かの気配は消え去った。


 脅威が去った事を知り、深く息を吐いて安堵する狛の姿を、追手門と彼にしがみつく赤子の魂達がじっと見つめていた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?