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第29話 凄惨なる一族

 狛達が暮らす、中津洲市なかつしまし周辺は古くから二つの一族が支配してきた土地である。


 現代の言い方では支配というよりも統治というべきだが、どちらの一族も、古くは飛鳥時代に端を発する国造くにのみやつこ系の豪族であったらしい。彼らは後に中津洲家なかつしまけ神子家かみすけを名乗るようになり、周辺一帯の領地を巡って対立してきたという。


 長い歴史を経て近代に至り、終戦後の昭和中期頃になると、両家は対立を止め、手を取り合って生きる道を模索し始めた。ちょうど二つの一族は年頃の兄妹と姉弟を有していた為に、双方が嫁と婿を出し合い、現在は姻族関係となっている。


 その象徴の一つとして双方の名を冠して最近創設されたのが、狛達の通う『中津洲神子学園なかつしまかみすがくえん』というわけだ。


 この街に住む古い世代の人間に聞けば、この辺りの土地の大部分は、元は中津洲家か神子家のものだったと答えるだろう。今でも、市のかなりの部分は中津洲家が所有している。

 狛達犬神家の先祖は、その昔、陰陽師や星読みとして京に住居を構えていたのだが、何世代か後になってこの土地へ移住してきた。狗神筋と嫌われる彼らが受け入れられたのは、彼らが公家天皇に仕える陰陽師であった為に覚えが良かった事と、地方の豪族は朝廷…つまり、天皇に繋がる一族であったことで受け入れられたのだろう。

 犬神家に、街や土地に対する霊的な守護者としての役割を与えられたことも大きい。


 今回、当主である拍自らが神子家の依頼で動いているのも、そのような力関係に起因しているようだ。


「この辺り一帯の歴史と経緯は、お前も習った事があるだろう?」


「うん、郷土史の授業があったから、それは知ってるけど」


「実は中津洲家と神子家の他に、もう一つ強い力を持った一族がいたんだ。もっとも、彼らはずいぶん後になってこの土地に訪れたらしいから、影響力は余り無かったようだがな」


 それは暗に、力の強さ故に二つの家に割り込んででも存在感を示せるという裏付けでもある。狛にとっては思いがけず始まった歴史の授業ではあるが、話がどうつながるのか興味があったので、黙って聞いていられた。


「彼らは禍一族まがいちぞくと呼ばれていた。一説によると、秦氏の傍系だったのではないかと言われているが、詳しい事は解らん。何せ、彼らは全滅してしまったからな」


「ぜ、全滅って…?」


「言葉通りだ、彼らは一人として残らず死に絶えてしまった…他ならぬ彼ら自身の手でな」


 ごくりと、狛の息を呑む音が全員に聞こえた。それだけ庭は静かで、今はまさに風の囁く音すら聞こえない無風である。もう夏の暑さはすっかり治まったが、鬼気迫る話に気圧されて、冷や汗が狛の背筋を流れていく。


「禍一族は、我々のように霊的な力に優れた一族だったらしい。巫女を保有し、祈祷や呪いで生計を立てていたという記録が残っている。…問題だったのは、彼らが持つ技術だ。彼らは一族の秘奥として、とある術を行使したという。それは非常に強力で、敵を排除する事に長けたものだったそうだ。それが…」


「…濁悪の棺ってヤツか」


 猫田の言葉に、拍が頷き、尚も言葉は続いた。


「濁悪の棺を作るには、彼らの中で、その時最も力のある巫女を選出する所から始まるようだ。巫女が決まると、彼女は秘命ひめと呼ばれ、特別な存在として扱われる。そうして何も知らず大切に育てられた秘命は…家族の手で殺される」


「えっ…!?」


「信じられん話だが、記述が残っているからな。…殺害された秘命は、その全身を細かく分けられ、彼らが棺と呼ぶ小さな箱に収められるようだ。髪の毛から爪の先までもおろか、全ての臓器と脳、そして血肉、ありとあらゆるパーツを少しずつ箱に入れると、その中で疑似的に小さな秘命の身体が出来上がる事になる。そこへ本人の魂を押し込みしゅをかけるのだそうだ。元々、秘命となる巫女は優れた力を持っている。その力の全てを怨嗟と憎悪の力に変え、敵の命を奪う恐るべき呪物へと生まれ変わらせる。…まさに邪悪の奥義だ」


「う、そ…」


 世にも悍ましい呪物の作り方に、狛は本能的に忌避し、軽い吐き気を催してしまった。言葉に詰まる彼女の背中を、猫田はそっと撫でてやる。


「彼らが誤算だったのは、現在我々が捜索している箱…濁悪の棺の要にされた秘命が、歴代の秘命の中でも類を見ない程の力を有していたと言う事だろうな。完成したその棺は、途轍もない力と憎悪を撒き散らし、彼らを一人残らず駆逐してしまったのだから。彼らはそうして、ひっそりと死に絶えた。彼らの残した僅かな土地屋敷は、近づけば命を奪われる禁忌の場所となってしまったらしい。以来、数十年…或いはもっとかもしれんが、長い間放置されていた所を我らの祖先が訪れ、棺を封じて土地を浄化したのだそうだ」


 一息に話を終えた拍は、大きく溜め息を吐き、お盆に載せられていた水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲んだ。そんな恐るべき呪物が見つからないのであれば、彼の心労は察して余りあるものだろう。今もそれに力が残っているのなら、一体どれだけの人々が被害に遭うか、見当もつかない話だ。


「しかし、妙ですな。あの封印はそう簡単に解けるものではありません。一体誰がどうやってあの地に足を踏み入れたのか…いや、そもそも、棺は何処へ行ってしまったのか、まさか足が生えて自分からどこかへ行ったわけでもありますまい」


 ハル爺の疑問はもっともだ。当然、それは拍も考えていたことだったらしい。俯いてまた大きく溜め息を吐くと、頭をバリバリと搔いている。


「そこが解らないんだ。封印の方は、劣化という可能性も万が一にあるにはある。だが、棺が見つからないというのはおかしい。どう考えても何者かが持ち去ったと考えるべきだが、あの棺に触れて無事でいられるものがいるとも思えん。或いはもう、棺に力が残っていないのかもしれないが…」


 そう言いながらも、拍の眼には昏い光があった。恐らく、棺がそんなに生やさしいものではないと確信があるのだろう。それは絶望に似た、不安を宿した光である。


「漠然とだが、嫌な予感が頭から離れん。無論、胸騒ぎもだ。あの棺はまだ生きている。…生きて何かを目論んでいる、そんな気がしてならないんだ」


「けど、その棺ってのは、無秩序に命を殺して回るんだろう?今も力が残ってるなら、もっと騒ぎになってなきゃおかしくねーか?」


 猫田がそう呟くと、拍はキッと彼を睨みつけてから頭を振った。


「忌々しいが、お前の言う通りだ。だが、だからこそおかしいのさ。ハル爺ほどではないが、俺も霊視にはそれなりに自信がある。その俺がこの数日、必死に行方を追っているのに影も形も見つからんなど…まるで、意図的に棺を隠されているようでな」


「影…」


 拍が何気なく零したその言葉に、狛は引っ掛かるものがあった。それは単なる表現のはずだが、いくら探しても見つからない棺の行方、そして尋常ではないほどのというならば、つい今しがた自分が気にしていたものと符合する。


「まさか」


 亜霊に纏わりついていた邪な影が脳裏に浮かぶ。

 いくら狛が霊視をしても本体まで辿り着けなかったのは、拍が言うように、意図的に隠されているからなのではないか?そして、その本体は件の棺そのものなのではないか?そんな思考が狛の頭の中で駆け巡り、やがて稲妻のような感覚を持って結びついていく。

 それは霊的な直感というべきものだ、狛の中で確信めいた予感が広がっていった。


 その時突然、狛のスマホがけたたましく鳴り響いた。画面を見ると、相手は神奈である。何かあったのだろうかと、狛は慌てて通話に出た。


「もしもし、神奈ちゃん?どうしたの?」


「こ、狛!大変だ!狛の親戚の子どもが、亜霊に連れ去られた!止めようとしたんだが、亜霊の操る黒い靄に巻き込まれて…ごめんっ…!」


「ええ…っ!?」


 狛達の恐るべき不安は的中し、事態は既に一刻を争う局面へと舵を切っていたのだった。

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