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第22話 衝突のきっかけ

 とある日、深夜と早朝の境となる時間…犬神家の屋敷に備えられた広い修練場の中央に、一人の男が立っていた。


 男の名は犬神 拍。言わずと知れた犬神家現当主であり、狛の兄だ。拍はまだ誰もが寝静まっているその時に、そこを訪れて人知れず汗を流している。


 彼が常に考えているのは、一族の未来と可愛い妹のことである。まだ彼自身も幼い頃、病床で己が命を削り、それを分け与えるようにして妹を産み、亡くなった母に誓ったあの日の事は、十数年経った今でも昨日の事のように思い出せる。彼の妹への愛情は喪った母への想いでもあるわけだ。

 そしてその愛する可愛い妹は、自分にも、いや知り得る限り一族の誰もが持ちえない力に目覚めてしまった。


 『狗神走狗の術』と、それに伴って覚醒する人狼の血。


 自らの高祖父であり、かつての大天才と謳われた犬神 宗吾が編み出したその技と、この身にも眠るはずの妖の血。それがよりにもよって、自分ではなく妹のものとして目覚めてしまったのだ。兄としても当主としても、そんな重責や重圧を妹に押し付けたくはなかった。


「…ひい出て来い」


 小一時間ほどの間、体捌きの鍛錬を行い、温まった身体に集中力を高めて己の身に宿した狗神の1体を呼び出す。


 彼の扱う狗神は4体、そのどれもが強い力を持っていて、拍が彼らを使いこなせば、どんな妖怪達も打ち倒す事が出来ていた。拍もまた、一族の中では天才と呼ばれる才能の持ち主だったからである。そもそも狗神達に優劣の差はない。もし狗神同士が戦えば、勝敗は確実に操る主の力量差となるだろう。そして、今の拍と狛が争えば、間違いなく拍が勝利するのは誰の目にも明らかだ。


「ふぅぅぅぅっ……来い!」


 拍は深く息吹を吐いて、全身の霊力を循環させると、その身にひいを呼び込んだ。大きく飛び上がり、ひいが拍の身体に入り込む。すると、まるで全身に巨大なハンマーで殴りつけられたような衝撃を受け、拍は耐えきれずに壁際まで吹き飛ばされた。


「ぬうぅ…ぐあっ!?」


 なんとか耐えようとしたが、ダメだった。激しい衝突音と、拍の叫びが、静かな修練場に響き渡る。これで何度目になるだろう、拍は狗神走狗の術を体得すべく挑戦しては、こうして失敗を繰り返していた。


「また、ダメだったか」


 激しく息を切らし、汗がボタボタと流れ落ち、拍は悔しさを滲ませ独り言ちた。狛と猫田が隠していたその技は、何度試しても成功の影さえ見える事はない。犬神宗吾ほどではないにしろ、曲がりなりにも天才と謳われた自分が使いこなせぬ技があると言う事実が、拍の心を苛んでいた。


「狛、最近のあいつは引き寄せる力が強すぎる。このままでは…」


 単なる霊視で終わるはずだった仕事が、あれほどの騒動に発展したばかりだ。またトイレの花子さんと出会った事も、狛から報告を受けている。試練の際の騒動といい、今までに類を見ない規模の本家への襲撃といい、自分達…特に狛のすぐ間近で、何かが起きようとしているのは明らかだった。

 もっと鍛えねばならない、狛と一族を守る為に、その為には狗神走狗の術をも、必ずものにしてみせる…拍はそう心に誓う。


 しばらくして、修練場に朝日が差し込み始めると、拍は無言で立ち上がりその場を後にした。そのまま汗を流して、何食わぬ顔で皆の前に出る…それが彼のルーティーンになっているのだった。



「おはよーっ!玖歌ちゃん!」


 今朝の狛は特に早起きしたわけではないが、少し早めに学校に着いたので、トイレから出てきた玖歌に声をかけた。どうやら先日、着物の付喪神を手にした事でテンションが上がったままでいるらしい。普段より足取りも軽いのは、人狼として身体能力が向上しているせいもあるだろう。

 ちなみに、着物の付喪神は九十九つくもから転じて九十九つづらと呼ぶ事にしたらしい。着物に性別などあるはずもないが、描かれているのが女性の絵だからか、本人は女性であるという認識のようだ。その為、つくもというやや男性的な呼び方よりも、つづらの方が読みとして座りが良かったということである。ちなみに、妖怪の場合はちゃんと雌雄がある場合も多いので、その意味ではおかしい事ではないのかもしれない。


「ちょっ…!バカ、止めてよ!誰かに見られたらどうすんの?!」


 大声で挨拶をされ、慌てて周囲を確認してから玖歌は狛に詰め寄った。狛と友達になってからまだ三日ほど、しかもその内二日は休日で会っていなかったというのにそんな気安さを発揮されると、照れ臭さもさることながら違和感が凄い。そもそも、玖歌はこれまであえて人を寄せ付けないようにしてきたのだ。それが突然隣のクラスに親しげな友達が出来るというのは明らかに妙だろう。


「え、なんで?なんかダメだった?」


「アンタね…!アタシは友達なんていらないの、そのつもりでクラスでも過ごしてるのに、アンタと仲良くしてるの見られたらおかしいでしょ?言わなきゃ解らないワケ?」


「あー、そっかぁ。アハハ、ごめんね」


「全く、アンタだって特別なんだからね。利用価値があって、能力があるから許してるだけで…あんまり深入りしないでよ」


 玖歌は顔を真っ赤にしながら怒っているが、その目はどことなく嬉しそうだ。本来は寂しがり屋なのだろう、素直になれないのは妖怪であるという負い目もあるのかもしれない。しかし、どこか浮ついている狛は、余り気にしていないようだった。


「ごめんごめん、今度から気を付けるからさ。ね、今日はお昼一緒に食べない?私の友達も紹介するから!」


「アンタ人の話聞いてんの?!いや、アタシは人じゃないけど。そういうことじゃなくて…ああもう!アンタちょっとおかしいんじゃないの?酔っぱらってるんじゃないでしょうね?」


 そんな狛の様子に、玖歌は段々心配になってきたようだ。言葉はつっけんどんだが、その表情は明らかに狛を気遣っている。妖怪であっても優しい彼女のような存在もいるんだと、狛はまた嬉しくなっていた。


「大丈夫だよ。この間良い事があったから、そのせいかな?じゃあ、またお昼にね!じゃあねー!」


「あ、ちょっ…!なんなの、アイツ…」


 玖歌の返事も聞かず、一方的に話を打ち切った狛は自分の教室へ帰っていった。良い事があったというが、そんなに浮かれるような事とはなんだろう。玖歌はしばらく立ち尽くして考えたが、段々馬鹿らしくなってきたので考えるのを止めて自分の席に向かっていった。


 そして、昼休み。玖歌は狛の誘いを無視して適当に時間を潰そうと考えていたが、教室を出た所で狛に捕まり学食へ連行された。ちなみに、玖歌は食事を摂らない。彼女は人間の生気を吸収する事で生き永らえる性質を持っており、学校という若さ溢れる人間が集団で生活する場では、そこにいるだけで養分を吸収できるのだ。一応、人間と同じ肉体を持ってはいるので飲食をすることも可能だが、彼女にとっては意味のない行為である。


「それでね、仲良くなったんだー。あ、玖歌ちゃん紹介するね、こっちが妹尾せのうメイリーちゃんで、こっちは蘿蔔 神奈すずしろ かんなちゃんね。二人共いい子だから、きっと玖歌ちゃんと仲良くなれると思うんだ、どうかな?」


「ここまで連れてきておいて、どうもこうもないでしょ…アタシは戸野入 玖歌とのいれ くっかよ。よろしく」


「クッカちゃんヨロシク~!」


「…よろしく」


 狛に負けず劣らず人懐っこいメイリーはさておき、神奈の方はかなりぶっきらぼうな挨拶である。もっとも、玖歌の方も十分過ぎるほど塩対応なので、ある意味似た者同士であるのだが。

 ちなみに、今日の狛の昼食メニューは購買のパンではなく、アラさん考案の狛専用特別メニューである。何種類かの具を詰めた特大の爆弾おにぎりが10個で一食分だ。狛の食事量を知るメイリーと神奈は気にしていないが、席に着いてそれを目の当たりにした玖歌はぎょっとしていた。


「でもさ~、ワタシちょっと解んないんだよね~」


「何が?」


 驚異的なスピードでおにぎりを減らす狛が、メイリーの疑問に首を傾げる。神奈は先程から黙ったまま食事を続けているが、玖歌は初めて見る狛の食事風景に唖然とするばかりであった。


「コマチとクッカちゃんが仲良くなったって話!聖園先輩の親衛隊に絡まれてた所をコマチが助けてあげたんでしょ?」


「うん、そうそうー」


 正確には親衛隊の方を狛が助けたのだが、さすがに玖歌が花子さんである事など言えるはずもなく、予め狛と玖歌は口裏を合わせてある。


「あの人達、何か体調崩して休んでるらしいんだよね。割とメーワクな人達だからいなくて皆安心してんだけどさー。でも、コマチが人を傷つけるわけないし、何があったのかなって」


「ああ、ちょっとやりすぎちゃった、かも…ね。アハハ」


 彼女達が体調を崩したのは、生気を吸われた挙句、地べたに倒れたまま放置された事によるものだが、それもまた説明するわけにはいかない話である。どうにも狛には説明が難しく、笑って誤魔化すしか思いつかないようだ。


「あ、ちょっとおかわり貰ってくるね!」


 それ以上の追及を避けたかったのか、本当に足りなかったのかは定かではないが、狛はそそくさとアラさんのいる調理場へ向かっていった。残された玖歌が気まずい空気に悩んでいると、それまで黙っていた神奈が、玖歌を睨みながら口を開いた。


「狛は優しい子だからさ、あんたを庇ってるんでしょ。…他の人に何をしたのか知らないけど、あの子を傷つけたりしたら、私が許さないから」


「へぇ…?」


 真正面から宣戦布告とも取れる言葉を叩きつけられ、玖歌は思わず不敵な笑みを浮かべている。バチバチと視線がぶつかり合う音が聞こえるような、一触即発の空気が学食に漂い始め、周囲の生徒達は波が引いたように彼女達から距離を取っていくのだった。

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