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第18話 狛と猫田の関係

「ただいまー!」


 狛が自宅に着いた頃には、辺りはとっぷりとした夜闇に包まれていた。それもそのはず、あの後玖歌と別れる頃には最終下校を少し過ぎており、狛は隠れながら学校の裏門を飛び越えて帰る羽目になってしまったからだ。


 ちなみに、玖歌は普段、学校のトイレで生活しているらしい。その辺はトイレの花子さんらしい習性が残っているようだ。幸い、狛達の通う『中津洲神子学園なかつしまかみすがくえん』は最近新設されたばかりの高校なので、設備も非常に綺麗で住み心地はとてもいいという。

 彼女の普段の生活がとても気になる所ではあるが、あまり気にしすぎるのも悪いと思い狛はそれ以上何も言わなかった。ただ、困った時は犬神家に来てもいいよとは伝えておいたようだが。


 犬神家の屋敷には、玄関に手洗い場が併設されている。その昔は神社にあるような手水舎が玄関前に設置されていたらしいが、十数年前、屋敷の一部をリフォームした際に今の形になったそうだ。退魔士として、外の穢れを持ち込まない為の設備と言われているが、そんな理由がなくてもいちいち洗面所へ行かずに済むのは便利なものだ。

 鼻歌混じりに手を洗っていると、廊下の陰からのっそりと猫田が現れた。相変わらず猫の姿のままだが、まだ二日酔いが治まっていないのだろうか?


「おう、帰ったか。お疲れさん。人間はよくまぁあくせく学び舎に通うもんだなぁ」


「猫田さん、ただいま。まだ頭痛いの?」


「ああ、さっきようやく落ち着いてきた所だ。…しかし、お前らの所のお神酒はどうなってんだ?味は旨いが効果も尋常じゃねーぞ」


 そう言われても、狛にも理由はよく解らない。答えを明かすと、犬神家では自家で食べる分とお神酒用に米を栽培していて、小さな酒蔵も所有しており酒造りの免許も所有している。

 それらは主に、妖怪退治や各種祈祷用に特別な神饌しんせんとして造られた酒だ。本来は神をもてなし、酔わすほどのものだと考えれば、これほど猫田に効くのも無理はない。


 そんな立ち話をしていると、屋敷の奥から、ドタドタと走る音が聞こえてきた。このパターンは…


「あ、ヤバ…猫田さんそこ危ない!」


「あ?…うげぁっ!?」


「帰ったか、狛あああああ!」


「ぎゃあああ!だからお兄ちゃん痛いってばーーー!?」


 猛烈なスピードで廊下の奥から走ってきた拍は、進路上にいた猫田を蹴っ飛ばし、狛をサバ折りよろしく抱き締めた。ちなみに蹴飛ばされた猫田はビタン!と壁に激突して平たくなっているが、さすがは猫又である。大した怪我はしていないようだ。


「て、テメェ~…っ!いい加減にしろ!どこの世界に猫を蹴っ飛ばして歩く奴がいるんだよ?!」


「ん?ああ、居たのか、気付かなかった。何、そのくらい山寺の和尚さんだってやってる事だろう、毬代わりじゃないだけマシだと思え。そもそもお前は猫じゃなくて猫又だ、愛玩動物ではないのだから、ちょっとくらい雑に扱っても構わんだろうよ」


「そういう問題じゃねぇっ!お前には倫理観ってものがないのか!?」


 毛を逆立て、牙を剥きながら怒る猫田だが、当の拍は涼しい顔で全く相手にしていない。妖怪に人としての道を問われる人間もそういないだろうが、拍という男は基本的に、狛が第一である。猫田を蹴飛ばしたのも、狛と話している事に嫉妬したからなのではと、狛は気絶しそうになりながら思っていた。


「玄関先でうるせぇぞ…!化け猫も拍も静かにせぇや。あと狛、はよぅ着替えて飯食え」


 睨み合う猫田と拍を諫めたのは、ドスの利いた声と共に現れたナツ婆である。さすがの拍も、ナツ婆にだけは頭が上がらない。渋々と言った表情で狛を手放し、猫田とまた睨み合って、お互いにふん!と鼻を鳴らして顔をそむけた。


「狛、話があるので食事が終わったら俺の部屋に来い。…そこの役立たずな猫又を連れてな」


「なんだとこの野郎っ!」


「もう!ちょっと止めてよ二人共ー!!」


 シャー!と鳴きながら今にも拍に飛び掛からんとする猫田を抱き抱え、狛の悲痛な叫びが屋敷に響き渡った。



「まったく、アイツ一体なんなんだ?俺に恨みでもあるのかよ」


「まあまあ…ごめんね、猫田さん。あんなお兄ちゃんで」


 二時間程の後、狛は食事を終え、猫田を連れて拍の部屋へ向かっていた。ちなみに、猫田は人間の姿に戻っている。正直に言って、拍と猫田の関係はあまり良くはない。それというのも、拍は猫田が狛に狗神走狗の術を教えた事を快く思っていない事が原因のようだ。

 手長に襲われていた状況的に仕方がなかったとはいえ、まだ未熟な狛にそれを教えた事で、危機に陥ったのも事実である。がしゃどくろ戦では問題がなかったが、手長と戦った時には霊力を消耗しすぎて、狛は一週間近く目を覚まさずにいたほどだ。狛の事が何よりも大事な拍にとって、そんな危険な術を教えた猫田自体が気に入らないらしい。


 それでも宗吾の事もあるし、猫田が一応の恩人という意識はあるらしい。今日は丸一日、二日酔いでダウンしていた猫田であっても、それについて別段何か言われたわけではない。


「別にいいけどよ。しかし、狛…今日なんかあったのか?スゲー妖怪臭いぞ、お前」


「えっ!?に、臭うの…?」


「いやまぁ、なんつーか…うーん、表現し辛ぇな。妖気の残滓が残ってる感じだな。今時珍しいが、学び舎に妖怪でも出たか?」


 廊下を歩きながら、狛は今日あった事を猫田に話した。トイレの花子さんという存在はあまりピンときていない様子だったが、隠し神に関しては興味が湧いたようだ。


「ふぅん。人を攫う妖怪ねぇ…まぁそれ自体は良くある話だが、目の前で攫われたってのに、その花子さんってのにも正体が解らないとなるとただの隠し神じゃなさそうだな」


「そういうのって、解るものなの?」


「そりゃあ、一口に人を攫うって言っても、妖怪によって目的も様々だからな。食っちまうような奴はそもそもその場で食っちまうだろうが、そうじゃない奴はまた違うさ。例えば隠し婆なんてのは、かくれんぼをしてる子どもしか狙わねぇ、理由は知らんがそういう存在なんだ。今度その花子さんって奴に、詳しい話を聞いてみたいとこだな」


 そんな話をしている間に、二人は拍の部屋に着いた。「お兄ちゃん、来たよー」と狛が声を掛けると「ああ、入れ」と返ってくる。どうやら、今の拍は仕事モードのようだ。基本的に狛に甘い兄ではあるが、仕事などの真面目なシーンではしっかり線を引くのが凄い所である。

 狛はそれで拍が真面目な話をするつもりなのだと気付いて、気を引き締めて襖を開けた。


「失礼します」


 狛と猫田が室内に入ると、拍はこちらに背を向けて小さな文机に向かい、何か書き物をしているようだった。先日、槐達と話をしたときの大きな机は片付けられてどこにもない。二人が拍の背後に用意された座布団に並んで座ると、拍は少し間をおいてから振り返った。


「すまんな、二人共。早速だが、頼みたい仕事がある。狛と、護衛に猫田、二人でだ」


「護衛とはまた大仰だな。そんな厄介な仕事なのかよ?」


「いや、仕事自体は全く問題ない。恐らくはただの除霊で済むだろうから、さほど難しいものでもないはずだ。…これを」


 そう言って、拍が二人に寄越したのは写真と何枚かの紙であった。どうやら依頼人の写真と、仕事の内容が書かれた資料であるらしい。写真にはロマンスグレーと表現すべき髪色をした柔らかい笑顔の老人が写っている。


「この人は?」


「祖父の友人でな、犬神家わがやとしても古い知己にあたる人物だ。彼は古い骨董などの蒐集を生業にしている。どうやら、今回は曰くつきのものを引いてしまったようだ。よく視て欲しいと頼まれた」


 そんな拍の言葉に、猫田は怪訝な顔をしてみせた。肝心の答えが返ってこない事に得心がいっていない、そんな表情である。


「…話が見えねぇな。そんなものに護衛が何故必要なんだ?狛のお守りをしてやるのは構わねーが、過保護が過ぎるんじゃないのか?」


「これは、調査部を介さない仕事だからだ。事前の調査が全くないからな、何が起こるかわからんということさ」


 その言葉に、狛は息を呑む。遠くに聞こえる虫の鳴き声が、やけに耳に残る気がした。

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