「まぁ、そこまで言えば解るわよね。アタシ達、名前だけは売れてるし」
「で、でも、本当に玖歌ちゃんはその…トイレの花子さん、なの?なんていうか、見た目が…」
玖歌の全身をまじまじと見て、狛は首を傾げていた。狛がそう思うのも無理はないだろう。玖歌の姿は、所謂、一般的に言われるトイレの花子さんとは似ても似つかない、かなり大人びた容姿なのだから。玖歌は狛がようやく離れた事に安堵するような顔を見せている。
「おかっぱ頭で、白いシャツに赤いスカートじゃないって?そうよね、あれが一般的だもんね。でも、あんな格好じゃ高校生に見えないでしょ?アタシは依り代になる学校も取り壊されてるし、怪異としての存在にこだわるつもりはないのよ」
玖歌はそう言うと、少し寂しそうに笑っていた。妖怪や怪異というものは、その存在を固定し、強化する為に逸話を大事にするものだ。とはいえ、別にそれらが必ずしも必要というわけではない。妖怪と言えど、受肉し、生命を持っている個体ならば自身の存在を固める必要はほとんどない。猫田などがいい例である。
玖歌のどこか悲しそうな、物寂しい雰囲気は、先日下校する際に見かけた後ろ姿からも感じられた。感受性が強い狛は胸が苦しくなってしまう。そんな狛の表情を見て、玖歌の方が苦笑してしまう。
「なんでアンタがそんな顔するのよ…ホント、変なヤツよね、アンタ」
「ごめんね、何か玖歌ちゃんが辛そうなのに笑ってるとこ見たら、私まで苦しくなっちゃって…何があったのか、聞いてもいい?」
「別に構わないわ。面白い話でもないけどね、でも、何から話せば…そう、やっぱりこれかな。私、探してる人がいるんだ」
そう言うと、玖歌は夕焼けの空に視線を向け、やがて
「今から40年くらい前になるかな。アタシはこの辺りじゃなくて、もっと地方の小学校を依り代にして生まれた花子さんなんだ。アタシらは別に一種一体の妖怪ってわけじゃなくて、依り代になる学校によって色々な個体がいたよ。ちょうどあの頃は、他の都市伝説や怪異がたくさん生まれた事で『トイレの花子さん』としても存在が薄れないように、個別に色んなことをしてた。…中には、直に人間を襲った奴もいたみたいね。アタシも、よく子どもを恐がらせてたわ。そんな時、あの子に出会ったんだ」
玖歌は目を細めて、まだ校庭で運動をしている生徒達を見つめている。やはり、その瞳には一抹の寂しさが感じられるようだった。
「その子の名前はミカって言ってね、どうも都会から引っ越してきて周囲に馴染めない子供だったみたい。昔の田舎は今なんかよりもっと閉鎖的だったから、よく独りで校舎をうろうろしてた。そういう独りで行動してる奴は、怪異にとってはいいカモだったから適当に驚かせてやろうって、そう思ってた。でも…」
玖歌の言葉が詰まる。少しの間だけ沈黙が流れ、再び堰を切ったように言葉が溢れ出した。
「最初、ミカは思った通り驚いたけど、何故かアタシ自身を恐いとは思わなかったみたいだった。それどころか妖怪のアタシに、友達になろうって…何言ってんだろって思ったよ、妖怪と人間が友達になんかなれるはずない。ましてや、アタシの仲間には人間を襲った奴さえいるんだしね。でも、ミカは諦めなかった。その後も、何度驚かせてもアタシと友達になりたいって言い続けて。後で聞いたら、アタシが寂しそうだったからって言ってたけど、寂しかったのはあの子の方だったはずなんだ。慣れない田舎暮らしで、親ともうまくいってなかったみたいだし。まぁ、それがしばらく続いてね。いつの間にか、アタシもあの子と過ごす時間が増えて…きっとその頃には、友達だって思えてたんだろうな、アタシも」
「玖歌ちゃん…」
狛は、そのミカという少女の気持ちが解る気がした。初めて玖歌を見た時から、彼女にはどこか寂しさに耐えているような雰囲気がしたからだ。学校という、人が集団で生活する場所で孤独に潜むのは、怪異であっても寂しさを感じた所でおかしいとは思わない。むしろ、妖怪や怪異はそういった負の感情を元に生まれるパターンも多いのだから、間違いではないだろう。
「でも、それが間違いだった。あの子は…ミカはアタシと一緒にいたせいで、怪異というものに慣れ過ぎてしまったんだ。本能的に恐れて近づかないようなものに対する恐怖心を、ミカは薄れさせてしまった。だから、あの時…隠し神に狙われていたのにも気付かずに…!」
「隠し神…!」
『隠し神』とは、日本各地に伝わる妖怪の総称である。子供を攫って油を搾り取ると言う妖怪『油取り』や、『隠しん坊』『隠し婆』など、様々な個体がいるようだが、それらをまとめて隠し神と呼ぶのである。
だが、玖歌のいうそれは、そのどれとも違うもののようであった。
「アイツがなんだったのかは、私にも解らない。ただ一つ確かなのは、アタシの目の前で、ミカが攫われてしまったということだけ…アタシのせいで、ミカは!」
玖歌は奥歯を噛み締め、怒りに声を震わせた。恐らくその怒りは、ミカという少女を奪った妖怪だけでなく、ミカを守れなかった自分自身にも向いているに違いない。鬼気迫るその表情には、怒りと悲しみがはっきりと表れている。
「アタシはそれから、ずっとあの子を探してる。あちこちの学校を転々としてね。幸い、アタシの棲んでいた学校は取り壊されてしまったし、アタシはもう『花子さん』でいようとは思わないから、自由に動けてるんだ。アンタの知ってる『トイレの花子さん』じゃないのは、それが理由よ。アタシは、あの子だけはどんな形でも家族の許に帰してやりたい。それと、アタシからミカを奪った
涙の代わりにじわじわと、玖歌の足元から妖気が滲みだす。だが、狛はその妖気にたじろぐことなく、玖歌の手を優しく握った。
「辛かったね、玖歌ちゃん…でも、もう独りで頑張らなくても大丈夫、私も手伝うよ!」
「…は?」
狛の言葉に、玖歌は僅かに動揺し、そしてそれを隠すように怒りの矛先を向けた。しかし、玖歌が睨みを利かせても、狛はその手を離そうとはせず、逆に真っ直ぐに見返している。
「…話聞いてたの?アタシと一緒にいたら、ろくな事にならないんだよ?アタシに仲間なんて必要ない、ましてや祓い屋なんて、仲間に出来るもんか」
「玖歌ちゃんは優しいね。ミカちゃんの事があったから、わざと人を遠ざけようとしてるんでしょ?解るよ、それくらい。でも、私なら大丈夫!私こう見えても強いんだから、そんな隠し神なんかに負けたりしない。何より、私ならその隠し神の事を調べたり、情報を集めたりできるかもしれないでしょ」
「それは…」
そう言われると、玖歌は何も言えなくなってしまった。狛の強さは先程自分の身をもって体験した通りだし、狛の言う通り、退魔士である彼女ならば、多くの妖怪や怪異の情報を得る事が出来るだろう。あてもなく日本中の学校を彷徨うよりは、遥かに効率がいいはずである。だが、ミカを無くした事に負い目を持つ玖歌は、そう簡単に首を縦には触れなかった。
「大丈夫、大丈夫だよ玖歌ちゃん。恐がらなくてもいいの。…ミカちゃんもきっと、玖歌ちゃんに新しい友達が出来たら嬉しいと思うんだ。私もね、玖歌ちゃんが寂しそうだなって、最初から思ってたから。だから…」
ぎゅっと玖歌の手を握って狛は笑った。夕日に染まりながら見るその笑顔は、とても綺麗で、どこか懐かしい。
(ああ、そうか…この子は、狛はミカに似てるんだ。いいのかな?こんなアタシに、もう一度人間の友達が出来ても…)
「一緒に頑張ろうよ!ね!」
玖歌はそれに何も言えず、俯いて静かに「うん」と答えるしか出来なかった。顔を上げたら、涙が見えてしまいそうだったから。妖怪の自分が泣くなんて、と信じ難い事が起きて玖歌はただただ黙って、涙を隠していた。