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第16話 トイレの…

 パンッ!と乾いた音が響き、クッカの頬が赤く色づいていた。それに対し、彼女の怪しく鋭い眼光が、女生徒達を捕らえている。それは殺気にも似た、強い力の込められた視線だった。


「…先に手出ししたの、アンタらだからね?」


「ひっ…!?な、なに!なんなの?!」


(あれは…妖気!?)


 ざわざわと木々が騒めき、クッカの足元からいくつもの白い手が伸びていく。女生徒達は金縛りにあったように動く事も出来ず、その手に捕まって次々に倒れていった。倒れ込んだ女生徒達は、生気を吸われているのか、見る間に顔色を悪くさせ、離れていても解るほどに肌艶が失われていくようだった。このままでは危険だと、咄嗟に狛は窓からイツを飛ばしてその白い手を離させ、自分はスカートを抑えて窓から飛び降りた。


「ちょっと待った!それ以上はダメだよ!」


「な、なにこの犬?!アンタ、今朝の…」


 クッカと女生徒達の間に降り立ち、狛はクッカと対峙した。

 幸い、二階と一階を繋ぐ階段の踊り場からだったので、そう高さはなかったが、普通ならば恐怖を覚えるはずである。狛はちょうど一昨日、がしゃどくろの肩まで登ったばかりで、高さに慣れていたようだ。それに加えて、狛自身はまだ気付いていないが、人狼として覚醒してから、狛の身体は極端に強化されている。

 人狼、或いはライカンスロープとは、普通の人間よりも遥かに基礎的な身体能力が高く、身体もしなやかで強いものだ。狗神走狗の術を使い、人狼としての力を使う度に、狛の身体は強靭なものへと変わっているのだが、狛自身はまだそのことに気付いてはいない。


 狛はクッカを止めた後、目視で倒れた女生徒達の様子を窺った。意識こそ失っているが、外から見た限りでは外傷は無く、呼吸もしているので命に別状はなさそうだ。

 対するクッカは、イツと狛を前にして一瞬動揺を見せたものの、すぐに状況を察したようで鼻で笑って、狛を睨みつけた。


「その霊力…アンタ、祓い屋?もう足がつくなんて、ずいぶん早いじゃない。目端が利くのはいいけど、鬱陶しいね…!」


「まだ半人前だけどね…っていうか、私は別に貴女を祓いにきたわけじゃ」


「うるさい!アタシはまだやらなきゃいけない事があるんだ、こんな所で終わるわけにはいかないんだよ!」


 クッカは再び妖気を身に纏い、周囲にそれを振りまき始めた。空気が重くなり、辺りはまるで夜のように静かで薄暗く感じられるようになっていく。


「異界…?!待って、私は本当に…!」


「黙れっ!」


 クッカが叫ぶと、先程の白い手があちこちの影から這い出て狛に襲い掛かる。恐らくこの手は、生命力や霊力を吸い取る力を持っているはずだ。防御の符も無しに受ければ、狛とてただでは済まないだろう。


(いけない…こんなことになると思ってなかったから、霊符を一枚も持ってきてないんだ…!どうしよう?!)


 狛はすぐさま、クッカから距離を取り、とにかく走って無数の手を躱していく。説得出来ればそれに越したことはないのだが、今のクッカはとても話を聞いてくれそうにない。しかも間の悪い事に、学校には霊符などを仕込んだツールバッグも持ってきていないのである。

 狛が身一つで使える術と言えば狗神走狗の術だが、ここで狗神走狗の術を使ってしまえば、未だ完全に扱えきれていない力である為にクッカを殺してしまうかもしれない。本当に悪い妖怪ならともかく、狛にはどうしてもクッカがそんな相手には思えないので、それは本当に最後の手段だ。


 とはいえ、霊符がなければ、妖怪相手に立ち向かうのが難しいのも事実である。霊符でなくとも、ハル爺の斧や、ナツ婆の錫杖のような武器があればいいのだが、当然そんなものは持ち合わせていない。


「そうだ!兄さんの技なら…!『一犬剛陣いっけんごうじんいつ』お願いっ!」


 『四犬参陣』は先日、妖怪群と戦った際に拍が使っていた4体の狗神を操り強化する術の一つだ。そして今、狛が使ってみせた一犬剛陣は文字通り、1体の狗神を術者の霊力で強化して戦わせる術である。何度目かの白い手を避けながら、狛はイツに霊力を回す。これも扱いこなせているものではないが、少なくともイツは狛の指示を聞いてくれるはずだ。

 狛の霊力をその身に受けて、イツの身体が大型化する。拍の四犬参陣は4体同時だからなのか、はたまた狛の霊力が並外れたものだからか、イツのサイズは虎やライオンのそれよりも巨大になっていた。狛が思っていたのと若干違う結果だが、四の五の言っている暇はない。


「ガルルルルルッ…!ウオオオオオォォン!!」


 強烈な一鳴きで、狛を狙う無数の白い手は瞬く間に霧散し、その圧だけでクッカは校舎の壁に叩きつけられた。いかに妖怪と言えど、激しい衝突を受ければダメージはある。そのまま動きを止めたクッカに、狛は恐る恐る近づいて状態を確かめてみることにした。


「ご、ごめん!やりすぎちゃった…?」


「…舐めんじゃないよっ!」


 不用意に近づいた狛の手をクッカは掴み、そこから大量の白い手が狛を襲う。これほどの手で大量に生気を吸い取られれば命に関わる事態だ。


「っ!?」


「死にな!祓い屋!」


「っの…!分からず屋ぁっ!!」


 狛は咄嗟に自由な右手で、思い切りクッカに平手を打つ。無意識のうちにたっぷりと霊力が込められていたのか、クッカは不思議な声をあげて吹き飛んでいき、異界化は解消された。フェンスにぶつかって止まったクッカはピクピクと痙攣しているが、さすがに妖怪だけあって頑丈である。


「ああっ!?ごめん!そ、そんなつもりじゃっ…!」


 狛は大慌てでクッカに駆け寄り、息がある事を確認すると、完全にのびてしまった彼女を背負って教室へ向かう事にした。クッカが意識を失った事で、異界化は解けているし、最初に絡んできた女生徒達はじきに目を覚ますだろう。とはいえ、彼女達に見られるとまた厄介な事になりかねない。

 そもそも、先に手を出したのは彼女達なので、放置されて風邪をひくくらいは自業自得だと思ってもらおう。狛は心の中で軽く謝りつつ、イツを元の姿に戻してその場を離れた。



「っつぅ…ここ、は?」


 鈍い痛みと共に、クッカは目を覚ました。外からは部活動に励む生徒の声が響いてくるが、太陽の沈み具合から見て最終下校時刻は近そうである。クッカが起き上がると、頬にかけられていた濡れタオルが床に落ちてしまった。どうやら、頬を冷やしていたものらしい。よく見ると、椅子が四つ並べられて、そこで誰のものか解らない鞄を枕に寝かされていたようだ。


 あの祓い屋がやったのか?と訝しみながら、クッカはひとまず椅子に座り直す。件の祓い屋の女はいないようなので、正直に言えば早く立ち去りたかったが、強烈な霊力のビンタを受けたせいで身体が上手く動かない。それにしても、とんでもない相手だったとクッカは身を震わせた。


「たかがビンタ一発で、こんな…アイツ、一体何者…?」


 そう呟いたのと、教室の扉が開いたのは同時だった。入ってきたのは狛で、両手に飲み物とパンを持っている。思わずギョッとするクッカの顔を見て、狛は笑顔を見せた。


「良かった…!目が覚めたんだね。もうすぐ最終下校の時間だから焦っちゃった。はい、これどうぞ。何が好きか解らなかったから適当に買ってきちゃったけど、好きな方選んでいいよ」


「アンタ、なんで…どうして」


「え?ああ、購買はもうしまっちゃってたから、外のコンビニでね。内緒だよ」


「そういうことじゃない!一体何が目的なの?アンタの力、普通じゃなかった…アタシが寝てる間に祓おうと思えば、いくらでもできたはずなのに、どうして…」


 近づいて隣に座る狛を睨みながら、クッカは疑問を口に出した。それを投げ掛けられた狛は、静かに微笑んでいた。


「さっきも言ったけど、私は別に貴女を祓おうと思ってたわけじゃないの。確かに私は退魔士のタマゴだけど、問答無用で祓ったり傷つけたりはしないよ。妖怪の知り合いだっているしね。それに何より、クッカちゃんは悪い妖怪じゃなさそうだし、何か事情がありそうだったから…」


 知り合いどころか、猫又が同居しているのだが、それを今言っても信じて貰えないだろう。狛のその言葉を聞いて、クッカは辛そうな表情を見せて俯いてしまった。こういう時は、黙って話をしてくれるまで待つべきだろうか?そう考えたものの、まだお互いの事を何も知らない事に、初めて気付く。狛は再び笑って、口を開いた。


「そう言えば、自己紹介もまだだったよね。私、一年A組の犬神 狛。よろしくね」


 狛はそう言って、右手を差し出し握手を求めている。片やクッカは先程のビンタがよほど効いたのだろう、おずおずと怯えた様子でその手を握り返していた。


「…戸野入 玖歌とのいれ くっか。よ、よろしく…」


 おっかなびっくりという形ではあるが、玖歌が握手を返してくれたことが嬉しくて、テンションの上がった狛はそのまま抱き着いていた。


「よかった、仲良くなれて嬉しい~!!ねぇねぇ知ってる?クッカって外国語でお花って意味なんだって!可愛い名前だね!」


「ちょっ?!何、離れなさいよ!知ってるわよそれくらい…っていうか、アンタ本当にアタシの事知らないの?」


「え?」


 玖歌に抱き着いたまま、キョトンとした顔で固まる狛。その表情から、玖歌は何かを察したように溜息を吐き、彼女の全身から力が抜けていった。


「その顔、本当に知らないみたいね…てっきり私を追ってきた祓い屋だと思ってたわ。…バカみたい、アタシ」


「玖歌ちゃんの事って?」


「…アタシの名前。玖歌は自分でつけたの。アンタが言った通り、花に替えてもう一度読んでみて…最後に子をつけてね」


「えっと、とのいれ花、子…?え、あ、ああ!そういう…!」


 そこまで言って、彼女が何の妖怪であるのかを、狛はようやく理解した。彼女ほど有名な妖怪は、そうそう居ないだろう。

 彼女こそ、あの伝説の怪異『トイレの花子さん』その人だったのである。

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