翌朝、狛は自発的に早起きをして学校に向かっていた。ちなみに学校までは徒歩だが、狛の足で歩いて片道2時間ほどかかる場所にある。それほど遠いのに何故交通手段を使わないのかと言えば、犬神家の屋敷が山中にあるせいもあるが、これも鍛錬の一環だからだ。
狛は幼い頃から街の学校まで歩いていたので、慣れっこになっているらしいが、毎朝人より二時間早く起きて歩くのは中々ハードな事だろう。昨日、ガッツリ学校で寝過ごしたのも、前日の疲れによるものだけではないのかもしれない。
いつもより一時間ほど早く家を出た狛が出がけに猫田の姿を見ると、彼は二日酔いでダウンしていた。なんでも、ハル爺とナツ婆に誘われてお酒を飲んでしまったらしい。完全に変化が解けて、トラ猫の姿になっている所はカワイイと思えたが、当の猫田は二日酔いの為に「あ~」とか「う~」とかしか喋れなくなっていたのでそっとしておくしかない。
(猫田さんって、茶トラ猫だったんだなぁ、道理で頭もオレンジ色っぽい感じだもんね)
よくよく見れば、人に化けている時の猫田の頭…特に後頭部にも薄っすらと模様があるのだが、まだそれには誰も気付いていないようである。気付いてもどうという事でもないが、気付けばより猫らしさを感じられるかもしれない。
学校に着いた狛は、真っ先に学食へ向かう事にした。時刻は午前7時を少し過ぎた所で、まだ部活動をしていない他の生徒はほとんど登校していない時間帯である。自分の机に鞄を置き教室を出た所で、昨晩メイリー達との話に出た少女、クッカと出会った。
「あ!お、おはよう、クッカちゃん。早いんだね」
「…は?誰よアンタ、なんであたしの名前知ってるワケ?キモいんだけど」
ズバッと言いきられ、ぐうの音もでない。確かに、面識もない相手に挨拶されて名前を呼ばれるのは嫌かもしれないが、そこまで言わなくても…という気持ちになる。
「ご、ごめん!凄く綺麗だったからその、友達に、名前聞いてて…」
「ふぅん…別にいいけど。あたし、アンタに興味ないから。もう関わんないでくれる?ウザいし」
「う、ウザッ!?ご、ごめんなさい…」
平謝りするしか出来ない狛をおいて、クッカは何処へともなく歩いて行ってしまった。取り付く島もないとはこの事だろう、すっかり委縮してしまった狛とは対照的に、その影から顔を覘かせたイツは、クッカの立ち去った方向を睨みつけ小さく唸り声を上げていた。
その日の昼休み。狛はメイリーと神奈と共に、学食で昼食を取ることにした。あの後、学食へ向かってアラさんに平謝りをし、昨日仕入れた大量のパンを買わせて貰った為にテーブルの上は凄まじい量の総菜パンで埋め尽くされている。番重にして10枚分は軽く超える量だ。並んで座るメイリーと神奈はともかく、向かい側にいる狛の顔は完全に隠れてしまっている。
「はぁ…」
溜息を吐きながら、狛は尋常ではないスピードでパンの山を平らげていた。平均二口~三口で一般的な大きさのパンが無くなるのだ。事情を知らぬ上級生は、手品でも見ているような感覚で、その光景を眺めていた。ちなみに、狛の異常な食事量については、クラスメイトだけでなく学年中が周知している。
「狛、どうしたの?調子が悪い…ってわけじゃなさそうだけど」
パンの山の向こうで、神奈が心配しているのかいないのかよく解らないトーンで声をかけた。二人が食べている定食も、ギリギリまでパンで埋もれそうになっていて少し食べづらそうである。
「いや、今朝ね。昨日話してたクッカちゃんに偶然会ったから挨拶したんだけど…嫌な思いさせちゃったみたいで、キモいしウザイって言われちゃって…」
「挨拶しただけで…?そいつどうかしてるんじゃないの?文句言ってきてあげようか」
神奈は友達が少ないとはいえ、人付き合いが嫌いなわけではない。クールな印象からクッカとは同じようなタイプに見られがちだが、人を意識して避けたり、傷つけようとはしない方だ。どちらかというと、仲良くなった相手にはずっと好意的になるタイプである。
一方、話を聞いていたメイリーも何かあったようで苦笑しながら話に乗ってきた。
「やっぱか~…ワタシもさぁ、隣のクラスの友達にちょっと聞いてみたんだけど、結構変わった子っぽいんだよねぇ。美人だし、転校してきたばっかりだから友達になろうって声かけた子多かったみたいなんだけど、皆ゼンメツだって。誰の事も相手にしないし、男子の事なんて完全シカトらしいよ。そのせいですっかりクラスの空気が重くなっちゃって、どんよりしてるみたい」
「なにそれ?気分悪いなぁ…」
正義感の強い神奈には、気に入らない相手に映ったようだ。それでなくとも、狛をバカにされた事で多少の怒りがあるのだろう。放っておくと本当に文句を言いにいきそうなので、狛は慌てて取り成す事にする。
「神奈ちゃん、そんなに怒らなくていいよ。私の方は急に名前呼んで挨拶しちゃったせいだし、きっと転校してきたばっかりで気分が落ち着いてないんじゃないかな?そっとしておいてあげた方がいいと思う」
「狛は優しいねぇ…まぁ、アンタがいいって言うなら黙ってるけど。なんか、その子って揉め事の種になりそうなんだよね。勘だけどさ」
「そんなこと…あるかなぁ」
神奈は非常に勘が鋭い事を、狛とメイリーは知っている。メイリーはどう感じているのか解らないが、狛は神奈の勘の鋭さが持ち前の霊感の強さによるものだと気付いているのだが、さすがにそれを口に出す事はしていない。
信仰や霊的なものを信じる心は人それぞれによって違うからだ。そう簡単に壊れる友情ではないと思っているが、さりとて簡単に指摘していい問題でもない。
そんな話をしつつ、狛がちょうど最後のパンを口に入れた所で、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。三人は慌てて学食を出て、教室へ走るのだった。
午後の授業も無事終わり、生徒達は三々五々、帰宅を始めている。
メイリーと神奈は部活があるので、登下校は別行動である。狛が部活をしていないのは、言うまでもなく退魔士としての鍛錬があるからだ。二人には詳しく話せていないのだが、その事情を深く追究して来ないのが助かる所だった。
そして、帰宅しようと教室を出て狛が通りがかった階段で、それは起こった。空いている窓の外から、数人の女生徒の言い争う声が聞こえてきたのだ。
「ちょっと
「は?そんなの知らないし、アンタ達誰よ?」
「っせーな!あんた如きが
声からすると、どうやら問題の少女、クッカが絡まれているらしい。
一部からはその名前から『
そして、クッカに絡んでいるのは、その
「何とか言えよ!ブス!」
「さっきあたしの事美人って言った癖に、今度はブス呼ばわり?アンタ達の目玉、腐ってんじゃないの?…ああ、腐ってるのは目じゃなくて頭か、バカそーだもんね、アンタら」
「っこの!!」
クッカの挑発に解りやすく乗った取り巻き達は、怒りの余り手を上げた。つい気になって見ていてしまったが、暴力沙汰となれば見過ごすわけにもいかず、狛が声を上げようとしたその時、クッカの纏った気配が一変した。