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第14話 狛の日常

「はぁ…疲れたぁ。全然疲れが取れてないや」


 狛は教室の席に着くや否や、鞄を枕にぐったりとしてしまっている。

 挨拶を交わすクラスメイト達になんとか手を振ってはみたものの、どうにも力が出ないのは困りものだ。徒歩通学の狛にとって、今日はここまで歩いてくるのはかなりしんどい様子であった。

 制服のデザインが好きでこの学校を選んだと言っても過言ではない狛なのだが、この時ばかりは、テンションが上がりきらないようである。


 昨晩、妖怪の群れによる襲撃を無事撃退した後、狛と猫田はこっぴどく叱られた。


 それもこれも、狗神走狗の術という特大の隠し事がバレたせいなのだが、術が解けたあとの狛が脱力しきった姿を見れば、猫田が隠そうとした事について、拍やハル爺達も強くは言えなかったようだ。

 実際問題、狛が初めて術を行使した時は意識を失って一週間も入院する羽目になったし、今回は倒れるまではいかなかったとはいえ、一晩眠っただけでは回復しきれない疲労に襲われている。

 霊力の消費が凄いのは言うまでもないが、まだそのコントロールが上手くできていない事が要因である。結局、まだ未熟な狛に術を扱わせるには早すぎるという猫田の判断は、決して間違いではないのだろう。

 とはいえ、がしゃどくろを一撃のもとに葬り去ったその力は凄まじく、今後は使用を制限しつつ狛自身を鍛えていくという方針が決まり、説教は終わりを見た。


 保留とされていた試練の結果も、結局は暫定措置のままだし、良い事がほとんどない。ただ、それでも狛の中に後悔がないのは、全て終わった後、子ども達が見せてくれた笑顔によるものだろう。凄い凄いと口々に騒ぎながら、感謝の言葉を述べる子供らの顔をみれば、自分の力であの子達を守りきれた事に後悔などあろうはずがない。


「もっと頑張って、早く一人前にならな、きゃ…」


 そう呟いた所で、狛の意識は途絶えた。


「…はっ!?」


 ガバっと起き上がり周囲を見渡せば、教室にはすでに茜色の夕日が差し込んでいてクラスメイトの姿は誰一人残っていなかった。

 どうやら、朝からずっと居眠りをしていたらしい。顔には鞄の跡がくっきりと残り、スマホには、心配した友人達からSNSにたくさんの連絡が届いていた。

 普通は誰かが起こしてくれそうなものだが、肩にイツが乗っていたので、恐らく威嚇でもしたのだろう。常人にイツの存在は見えなくとも、違和感や恐怖心を感じることはある。祟りや障りはないだろうが、イツが睨みを利かせれば、弱い人間なら近づく事すら出来ず、体調くらいは崩すかもしれない。


「やっちゃった…」


 狛はがっくりと肩を落として、自身の失敗を悔いた。普段の素行は決して悪くないとはいえ、これはマズい。こんな事が続いたら家に連絡が入るだろう、そうなれば拍やハル爺だけでなく、ナツ婆のキツイお仕置きが待っている、それだけは絶対に避けたいのである。

 しっかり寝たので疲れはある程度取れたような気がするが、昼食を抜いたこともあって非常に空腹だ、だが、こんな時間ではもう購買も学食も開いていないだろう。狛が溜息を吐きながら教室から出ると、廊下の先で見慣れない女子生徒が歩いて行くのが見えた。後ろ姿ではあるが、とても綺麗な金髪が印象的だ。兄の拍も濃い金髪だが、女生徒はそれに負けぬ美しい風合いの髪をしていた。


「綺麗…どこのクラスの子だろ?」


 一瞬、声を掛けようか迷ったが、その間に女生徒はどこかへ行ってしまった。時を同じくして最終下校のチャイムが鳴り始め、狛は大急ぎで学校を後にするのだった。



 その日の夜、風呂上りに自室でアスラの爪を切りながら、狛は友人達と通話をしていた。されるがままになっているアスラも疲れているのか、時折目を閉じて舟をこいでいる。


「びっくりしたよー、コマチ全然起きないんだもん。コマチ来なくて学食のアラさんだいぶ怒ってたかんね」


「ああ、やっぱり…?どうしよ、明日謝らなきゃ。ね、二人共いつもどうやってアラさんに謝ってるの?」


「学食のおばさん怒らせるのなんて、アンタくらいしかいないよ…」


 話し相手になっているのは、クラスメイトで小学校の頃から付き合いのあるメイリ―と、神奈である。

 メイリ―はハーフで、北欧系の見た目をした美人なのだが、日本から出た事は一度もなく英語も大の苦手という少女だ。彼女は何故か狛の事をコマチと呼ぶのが定番になっている。

 神奈の方は成績優秀でスポーツ大好きな、文武両道を地で行く少女だが、ぶっきらぼうでクールな性格のせいか、友達が少ないのが密かな悩みらしい。


 ちなみに学食のアラさんというのは、通っている学校の購買と学生食堂を切り盛りする年配の女性の名である。入学当初、大食漢の狛によって、用意した食材や販売物を食い尽くされたりして、度々泣かされたせいか、狛はすっかり目を着けられていた。

 とはいえ、狛との関係が悪いばかりでもなく、最近は狛の食事量を見越して大量の食材や物資を納入してくれている。今日は狛が一日寝過ごした為に、それらが無駄になって怒っていたようだ。

 狛としても、アラさんとの関係が悪くなるのは学校生活に於いてマイナスしかないので、どうにかして機嫌を取りたい所である。


「明日、学食とか購買部の手伝いしよー…」


「コマチ力持ちだもんね、搬入とか手伝ったら喜んでくれるかもね」


「それも大事だけど、狛は宿題しっかりやんなよ。たぶん、今日のはテストに出る所だから」


「そうだった…神奈ちゃんありがと!私、頑張るよ!あ、そう言えばさ、帰る時にすっごい金髪の綺麗な子を見かけたんだよね。知ってる?」


「ん?私は知らないな。メイリーは?」


「金髪の綺麗な子ー?…ああ、あの子かな。苗字は忘れちゃったけど隣のクラスの、クッカちゃん」


「へ?」


 ずいぶんと珍しい名前を聞き、神奈と狛は思わず素っ頓狂な返事が出た。

 動物好きな狛は、一瞬クォッカワラビーという世界一幸せな笑顔を持つと噂の生き物が頭に浮かんだが、神奈の方はピンと来ないらしい。


「ワタシと一緒でハーフの子なのかな?話をしたことはないけどね。変わった名前だったからうちのお母さんに話したら、クッカってフィンランド語でお花って意味なんだって、だからお父さんかお母さんがそっちの方の国の人なのかも。先々週くらいに隣町から越してきたらしいよ~」


「へぇ~、じゃあオハナちゃんだね」


「いや、さすがにそのあだ名は嫌がるんじゃないか…?」


「だね~、クッカってオシャレな名前あるもんね。でも、なんでクッカちゃんの話?」


「すっごく綺麗な子だったのに、なんか寂しそうだったから気になっちゃって…」


 そんな会話をしつつ、女子達の夜は更けていく。

 ちなみにその頃、猫田はハル爺達に誘われ、縁側で酒を飲んでいた。滅多な事では酔わない猫田だが、それがお神酒となると話は別で、グラスにたった一杯飲んだだけで完全に酔いが回っている。変化こそ解けていないが、尻尾は6本全て解けて見えているし猫耳も隠せていない上、ぐったりとして口も回っていない、そんな有様である。


「だからぁ~、犬神の旦那はよぉ~、面倒見はいいけど、妖怪ひと使いが荒ぇんだよなぁ~…おい聞いてっか?ハル爺ぃ」


「解った解った、聞いとるよ。うーん、猫田殿には飲ません方がいいかもしれんのう…」


「妖怪が酔うとるとこなんぞ初めて見たわ。面白ぇもんじゃの」


 マイペース過ぎるナツ婆と酔った猫田に、ハル爺は溜息を吐きながら、頭を抱えている。山間に構えられた犬神家の屋敷には、遮るものが何もなく、月明かりが見事に秋の庭を照らしていた。

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