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第13話 人狼、再び

 がしゃ…がしゃ…と独特で大きな足音が、腹に響く。がしゃどくろは歩みが遅いのか、ゆっくりと屋敷に接近をしてくるようだ。


 それが近づくにつれ、これまでは妖怪達の放つ生温い気配が感じられていたが、徐々に冷たい死の気配に変わっていくのが感じられた。がしゃどくろは、報われぬ死者の魂の集合体であり、西洋風に言えばアンデッドと呼ばれる種族に近い。それ故に、生きた妖怪達よりもずっと負の想念が強いものだ。その纏う気配は、周囲に強い影響を及ぼしている。


 屋根の上に立って、戦況を見据えていた槐は、一人舌打ちをしていた。がしゃどくろが現れてから明らかに、他の妖怪共の動きが変わった。何かに追い立てられているような必死さが窺えるようになり、これまでのように拍達が一方的に妖怪を撃退できなくなっている。


「拍…あいつは特に顕著だな」


 槐の視線の先には、傍らによおを従えてハル爺達に指示を出す拍の姿があった。一二三ひいふうみいの3体は、屋敷の裏手で他の家人達を守るように戦わせているが、腕利きのハル爺とナツ婆に比べれば、どうしても前面より守りが薄い。家人達は苦戦を強いられ、時折攻撃を受けているようだった。


 さすがの拍も表でハル爺達と一緒に戦いつつ、裏手での戦いに気を回すのは骨が折れるのだろう。狗神達は自主的に行動するとはいえ、そのエネルギー源は拍なのだ。霊力の消耗はかなり大きく、この状況でがしゃどくろの相手までするのは厳しいと言わざるを得ない。


 「…さて、これで隠し事を明かす気になるか?」


 迫るがしゃどくろを前に、そう一人呟く槐の顔はどこか悪意に歪んで見えた。



 巨大ながしゃどくろが、すぐそこまで迫っていた。体躯の違いは、妖怪にとっては必ずしも力の優劣に繋がるものではない。例え小さな豆狸であっても、妖力や霊力を鍛えていれば大きな鬼と渡り合う事もできる。…もっとも、大概の場合、妖怪は生まれ持った力を伸ばしたり鍛えたりしようとしないので、そのような事は滅多にないのだが。

 つまり、年経た猫又である猫田にしてみれば、がしゃどくろが如何に巨大であろうとも、それだけで臆する相手ではないということだ。がしゃどくろが現れた事に少々面食らいはしたが、普通に戦えば負ける事などあり得ない、そんな絶対の自信を持っている。


 怯える狛や子ども達を、猫田は落ち着かせるように笑ってみせた。


「お前ら安心しろ、あんな奴屁でもねぇ。…俺に任せとけ!」


「猫田さん…!」


「さぁ、行くぜっ!…ふぎゃっっっ!!?」


 バチバチ!っと感電したような激しい音と共に、勢いよく跳んだ猫田は結界の壁に当たって庭に落下した。身体は痙攣し、服や肌があちこち焦げてぶすぶすと煙を上げている。あまりの音と衝撃に槐も屋根から降りてきて、猫田を見ていた狛や子ども達は目を丸くして驚き、言葉も出ない。


「…何をやっている?外から妖怪が入ってこないように結界を張っているんだ。妖怪が中から外へも出られるわけがないだろう」


「そ、それをはやくいえよぉ…」


 衝撃で目を回した猫田は、命に別状こそないようだが、身体が痺れてしまって立ち上がる事も出来なさそうだ。そうこうしている間にも、屋敷にはがしゃどくろの魔の手が忍び寄っていた。


「きゃあっ!!」


 バチバチバチ!と先程猫田がぶつかった時よりもさらに激しい干渉音と光が周囲に響く。どうやら、がしゃどくろは屋敷諸共、中の人間を押し潰そうとしているようだ。見上げれば、巨大な手骨が結界一杯に広がっていた。咄嗟に子供達を抱え込む狛だったが、彼女自身震えが止まらず、その怯えは子供達にも伝わり動揺が広がっている。


「ちっ、結界に歪みが出来ている。そこの猫又が内部からぶつかったせいか…!このままでは永くは保たんな」


 槐は猫田を睨みつけながら吐き捨てた。おいそれとは破壊されないはずの結界が歪んだと言う事は、それだけ猫田の力が強い証拠でもあるのだが、この場合に限ってはマイナスに作用してしまったということだろう。先の動揺と槐の言葉、そして空を覆うような大きさのがしゃどくろの手…それらは子ども達に強い恐怖をもたらした。泣き叫びこそしないが、子どもらはすっかり委縮して、絶望しかけている。


「狛お姉ちゃん…わたしたち、どうなっちゃうの?」


れきちゃん…」


 最初に猫田に話しかけた少女、犬神 暦いぬがみ れきが、涙を浮かべながら狛の顔を見上げていた。今いる子どもたちの中では一番の年長者だが、この子もまだ幼い子供である。今までは他の子ども達を恐がらせないようにと率先して気を張っていたのだろうが、もう虚勢を張る事も出来なくなってしまったらしい。傍で頼るべき大人が不甲斐無いのだから、無理もない。


(そうだ、私だって一族の退魔士になるんだ…!ここで皆を守らなきゃ、佐那姉にだって申し訳が立たないよ!)


 試練の際に自分を庇い、大怪我を負った佐那の顔が狛の脳裏に浮かぶ。試練の結果は保留されているが、ここで尻尾を巻いているだけでは何も変わらない。仮に不信を買う事になってでも自分に出来る事をやるべきだ。その為に、今は自分を頼ってくれる小さな子ども達を守る事こそやらなければならないことだと直感した。その思いが、狛の心に火を点けて、彼女から怯えを一気に拭い去っていった。


「…よしっ!皆、大丈夫!私が皆を守るから!アスラ、子供達をお願い!」


 狛がそう叫ぶと、空に向かって唸りを上げていたアスラがすぐに駆け寄ってきて、子ども達の傍で伏せた。狛はしがみ付く子ども達をアスラに移し、両手で頬を叩いて気合を入れる。


「猫田さん、ごめん…っ!私、やるわ!」


「ぐっ…こ、こま…!?」


 止めろ、と叫びたい猫田ではあったが、身体が痺れて言う事を聞かない。そもそも状況を考えれば、他に手は無いのかもしれない。だが、それでも猫田には躊躇いがあった。槐という男の前でだけは、その力を使ってはならないと猫田の本能がそれを告げているようだった。


「イツ!出てきて!」


 そんな猫田の心には気付くことなく、狛の叫びを聞きつけ、その影からイツが飛び出してそのまま狛の身体に飛び込んだ。以前より強い全身の拍動と、脳裏に走るイツの記憶…二度目に感じるそれらを、狛が強い意志で振り切ると、溢れんばかりの霊力と共に狛の頭上には青白く輝く耳、そして雄々しくたなびく尾が現れた。


「なにっ…!?」


 さすがの槐も、そんな狛の姿には完全に意表を突かれたのか、その目を見開き完全に見入っている。槐だけでなく、子ども達やアスラも、初めて目の当たりにする狛の力と姿に目を奪われていた。


「いける!」


 周囲の様子とは裏腹に、狛自身は冷静に自分の力を認識できていた。前回は半ば暴走状態となってしまった為に、手長と戦った記憶すら残っていないが、今回は意識もハッキリとしているのでその力をフルに扱えそうだ。身体の中から、奥底から力が漲っていて恐怖心など微塵も感じない。狼のように強い闘争心と、家族を守ろうとする思いだけが、胸の内に広がっていくようだった。


「バカ野郎…!しょうがねぇっ!狛、がしゃどくろは死者の怨念が凝り固まった妖怪だ。それらを集めて維持する為の司令塔がある…髑髏だ!頭を破壊しろ!」


 どうにか声を上げる事が出来るようになった猫田は、狛に指示を出す。狛はそれに頷いてみせると、一度しゃがみ込んで足を溜め、勢いをつけて跳び上がった。今の狛は半人半妖であるからか、槐の結界は反応しない。そのまま結界を押し潰そうとするがしゃどくろの右手を粉砕し、腕の骨に飛び乗って、一気に駆け上がっていく。

 煌き輝く流星のように走っていく狛の姿は、外で戦っていた拍やハル爺達の視線を釘付けにしている、それは襲い来る妖怪共さえもおなじであった。


「な…なんじゃ、あれは!?」


「狛…!」


 文字通り、瞬く間に肩まで到達した狛はその手に霊力を集中させて振りかぶる。強力な霊力は鋭い爪となり、がしゃどくろに一切の抵抗を許さぬまま、頭部を破壊し完全に消滅させてみせたのだった。

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