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第11話 襲来、妖怪群

 一触即発とでも言うべき張り詰めた緊張感にあてられ、小さな子ども達が目に涙を浮かべて猫田の尻尾にぎゅっとしがみついていると、別の部屋からハル爺と拍が現れ、その空気を一変させた。


「…止せ、槐」


「コラァ!槐!貴様、ここをどこだと思っとる!」


 激昂するハル爺とは対照的に、冷静沈着な拍。特に拍は、先程狛に抱き着いて離さなかった時とはまるで別人のような佇まいである。着流しの和装を着こなし、いかにも涼し気だが、どこか緊張感がある。そう言えば、食事の場にはいなかったが、どこに行っていたのか。二人の登場と同時に、槐もまた、殺気混じりの霊気を抑え、肩をすくめて皮肉気に笑った。


「そりゃあ来るさ、他ならぬ御当主様の命とあればな…それとハル爺、あまりカッカしてると髪同様に早死にするぞ」


「なぁにおう!!貴様ぁ…!」


 見るからに怒り心頭というハル爺の頭は、元々綺麗に禿げているせいで、血が上れば真っ赤な色に変わる。それを見て、くっくっと肩を鳴らして笑う槐の目的はこれだったのだろう。つまり、目上の老人を怒らせて揶揄ってやろうという、ただそれだけの為に幼子を含めた狛達に殺気を放ったのだ。その性格の悪さは尋常ではない。


「しかし、しばらく顔を出さない間に、ここもずいぶん変わったな?…まさか妖怪を連れ込んでガキ共の世話をさせるとは、俺の言い分がやっと解って貰えたかねぇ」


 槐はニヤニヤと下卑た笑いを浮かべて、猫田の方をみやる。その表情は、妖怪を見下す人間の顔そのものだ。長い時を経て生きる猫田には、見覚えのあり過ぎる視線だった。


 普段、こうまで不快な思いをさせられれば間髪入れずにその爪を槐に食い込ませ、身の程を教えてやるのだが、今は幼い子供たちを抱えている状態だ。しかも、相手が狛や宗吾の身内と言う事もあり、猫田は一旦、感情を抑える事にする。

 そんな様子を察したのか、落ち着いた様子で、拍は槐と狛、そして猫田に向かって言った。


「皆その辺にしておけ。槐に来てもらったのは、先日の狛の試練について、調査部自らの話を聞きたかったからだ。子ども達よ、あっちへいっていなさい。それと狛、猫田殿、こちらへ」


 そう言うと、拍は身を翻し、ハル爺を連れて奥にある自らの部屋へ歩いて行った。同時に、子どもらの両親達が別の部屋から出てきて、猫田の尻尾から離された子どもたちを連れていく。どうやら、隣の部屋で待機していたらしい。

 先程の殺気を感じ取っていたのだろう、努めて冷静を装っているが、槐を見る目には非難の色がアリアリと浮かんでいた。


 そんな雰囲気など気にする様子もなく、槐もニヤつきながら拍たちの後に着いて行く。少し遅れて、最後に狛と猫田が並んで追いかける形になった。


「おい、アイツの言ってた言い分って、何のことだ?」


 狛と並んで歩きながら、猫田は小声で質問をする。先程の発言や、猫田を見るあの目、さらにあの殺気混じりの悪戯…猫田は、目の前を歩く槐と言う男にどうにもいい印象を持てずにいた。その質問に、狛は少し困ったような顔をして、答えを言い淀んだ。


「あ、えっと…」


「垣根を越えて、仲良くしようぜって話さ。人と妖怪が手を取り合ったら、いい世の中になると思わないか?」


 胡散臭い、そうとしか表現できない笑顔を見せて、前を歩いていた槐はこちらへ振り向き、そう答える。狛は槐の事が苦手なようで、振り向いて見据えられると、途端に顔を伏せて小さくなってしまった。狼の群れを思わせるほど団結力の強い犬神家の一族にあって、ここまで身内に苦手意識を持つというのは理解し難いものがあるが、槐と言う男の醸し出す雰囲気は、それを納得させるに余りあるものと言えるだろう。


 案内された八畳ほどのその部屋は、屋敷の一番奥まった場所にあった。


 床の間には掛け軸と豪華な花瓶があり、美しい桔梗やケイトウを始めとした、秋の花がいくつか活けられている。襖には金箔を使って、見た事もない風景が描かれており、黒で統一された柱や廻淵などと相まって、厳かな雰囲気を演出していた。


 床の間の前には拍が座り、大きな机を挟んで左奥にハル爺、その手前に槐。右奥に狛、手前に猫田という形で、向き合って座っている。


「先程も言った通り、今回集まって貰ったのは、先日、狛が受けた試練についてだ。今だから言うが、あの場所は特に大きな問題のある場所ではなかったと調査部から報告を受けている。…にも関わらず、あの始末だ。一体、どういうことだ?」


 ギロリ、と怒りを込めた拍の視線が槐を射抜く。正直な所、ここまで冷静に見えた拍はかなり怒っていた。落ち着き払っていたように見えるのは、彼が当主として厳しく自分を律していたからだ。それがなければ、いの一番に槐へ食って掛かっていただろう。

 そんな怒りを、槐は肩をすくめて、おどけるように受け流していた。


 拍が先程から口にしている『調査部』とは、犬神家の分家の一つが担当する役職で、裏稼業である退魔業において、先行して事態を下調べする斥候・偵察役を主体とした部隊の事だ。妖怪退治や悪霊払いは言うに及ばず、試練の前まで佐那が行っていた解呪や祈祷など、退魔士の仕事はそれなりに多岐にわたる。

 それらの多くは、手段や対応を間違えれば、事態の悪化や被害の拡散拡大など、重大な結果に繋がるものがある。まず先に現場へ赴き、状況の把握と見極め、対応の為の道具や作戦の立案を行い、それを本家に提出するのが『調査部』の仕事である。


 槐は、その『調査部』を指揮する分家のトップであった。


「さすがの御当主様も、可愛い妹の事になると、目の色が変わるな」


「槐、貴様いい加減に…!」


 皮肉めいた槐の言葉に、ハル爺が激怒して思わず膝を立てた。しかし、槐は涼しい顔で尚も言葉を止めようとしない。


「今回の事に関しては、うちの調査が入ったのは試練の3日前だったが、その3日の間に何者かが仕掛けてきた…としか言いようがない。それとも、調査に不手際があったと?証拠でもあるのかねぇ」


「ぐぬぅ…!」


 さすがに反論のしようがなく、ハル爺は言葉に詰まってしまった。それに対し、拍はあくまで冷静さを崩さない。


「不手際、とまでは言わんが、タイミングが良すぎるのは事実だ。試練の日取りを外に漏らした可能性はないのか?」


「そんなミスをやらしかした事など、今の今までないとしか言えんがね。ま、犬神家うちを恨んでる奴は多いからなぁ」


「怨恨、か。やはりその線で当るべきか」


 そう呟くいて腕を組み、拍は黙って考え込む。片や、ハル爺はまだ怒り冷めやらぬという表情で槐を睨みつけている。その様子を黙って眺めていた猫田は、不穏な気配を感じ取った。外から何かが来る。それも一つや二つではない、相当な数の妖怪が悪意を振りまきながら近づいてくるようだった。

 それに気付いたのは槐も同じだったようで、視線を外に向けて、不敵な笑みを浮かべている。


「早速、その恨みつらみが来やがったみたいだぜ?…今回はずいぶん数が多そうだ」


「この気配は、妖怪共か?何故?」


 猫田の疑問はある種当然のものと言えるだろう。妖怪は基本的に、群れで行動する事などほとんど無い。一口に妖怪と言っても、種類は様々だ。犬や猫、或いはそれらと熊や鹿が徒党を組んで人を襲うことなど無いように、無関係の妖怪達が手を組んで行動することなどあり得ないことだ。かつての【ささえ】が壊滅するに至ったあの時のような事でもない限りは。


「俺達犬神一族はずっと長い事、妖怪共とドンパチやり合ってきたんだ。本家への襲撃なんてよくある事さ」


 まるで嘲笑うように口を開いた槐の顔は、どこか愉悦さえ感じさせるものであった。普通、妖怪の集団に襲撃されるなど恐怖でしかないだろうに、一体何がこの男を笑わせているのだろう。そして、その様子を見ていた拍がゆっくりと立ち上がる。


「狛、猫田殿、二人は屋敷の中で子ども達を守ってくれ。ハル爺、ナツ婆を連れて表へ。…俺も出る」


「え…!?お、お兄ちゃんが?!」


 驚愕の声を上げる狛を尻目に、拍は槐を睨みつけて指示を出す。有無を言わさぬ迫力を感じさせるが、当の槐は飄々とした態度を崩そうとしなかった。


「槐、お前にも付き合ってもらうぞ」


「へえへえ…まぁ、死なない程度にな」


 狛が何故そこまで驚いたのか、猫田には解らなかった。拍は一族の長として、相当の実力を持っているはずだ。ならば、この危機に戦力として立ち向かうのは当然だろう。

 そうして、ハル爺とナツ婆、それに何人かの一族の者達を引き連れて、拍が屋敷の門の前に立つ。彼の溢れる霊力と共にその影からイツに似た姿をした4体の小さな狗神が飛び出すと、右手で何かの印を作りしゅを唱える。


「『四犬参陣』…さぁ、久々に暴れるとするか」


 その呪文と霊力を受け、4体の狗神はあっという間に巨大な狼のような姿に変わり、拍の周囲に立った。目前に迫る、妖怪共を迎え撃つために。

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