目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報
第9話 猫の思い出

「ああ、犬神の旦那…つっても、アンタら皆犬神だから宗吾さんと呼ばせてもらうか、あの人は上司だった。短い間だったが、俺はあの人の下で働いてたのさ」


 明治天皇直轄の対妖・対心霊隠密部隊【ささえ】。

 江戸から明治という時代が移り変わる最中にあって、戦国時代以来、日本中で多くの血が流れ、怨嗟と悲哀が渦を巻く頃、霊的に不安定となるこの国を守る為に組織されたのが【ささえ】である。実働部隊こそ、わずか40名にも満たない少数で構成されていたが、隊員たちは、いずれ劣らぬ優秀な実力者たちばかりであった。


 「ふむ…」と綺麗に禿げた頭を撫でながら、ハル爺はしきりに何かを考え、やがてその頭頂部をぺちんと叩いて話を続けた。


「言葉を濁しても仕方ないのでハッキリ言わせてもらうが、儂らはそれが真実だと信じられる証拠がない。何しろ、犬神宗吾という人物は、非常に謎が多くてな。解っているのは、開祖以来唯一、五匹の狗神を操る事が出来た天才中の天才じゃったということだけ。…しかも、若い頃に家を飛び出しておったらしくて、戻ってくるまでどこで何をしておったのか、まるで解らん有り様じゃ。もし本当に彼の事を知っているのなら、少し教えてはもらえんかのう?」


「宗吾さんの話、か…」


 そう言われても、たった今証拠がないと言われたばかりだ。


 そもそも、猫田自身も提供できるのは記憶や思い出の中にあるものだけ。元々隠密部隊として秘匿されていた【ささえ】の解散後は、当時の仲間たちと顔を合わせてはいないし、あれから150年も経つのだから、大半がもう生きていないだろう。

 自分のように人間でないものもいたので、まだ生きているものもいるかもしれないが、仮に生きている仲間がいたとしてもどこにいるかも定かではない。一応、狛の場合は当時から生きている狗神のイツが証拠代わりになって信用してくれたが、それを証拠だと言い切るには無理がある気もする。

 これでは真実と証明する物的証拠などあるはずもない、猫田は腕を組んで天を仰いだ。


 すると、鴨居の上に一枚だけ写真が飾ってあるのに気付いた。遺影だろうか?それにしては笑顔で、なんとも優しそうな女性が写っている。だが、よく見てみると、その女性の顔には見覚えがあった。


「ヤエ…?」


 その呟きに、ハル爺と狛も振り向き、写真を見る。そして猫田は思い出した。かつて、【ささえ】解散より少し前、宗吾に頼まれて、外へ嫁いでいった妹の様子を見て来て欲しいと頼まれた時の事を。

 嫁ぎ先でいびられ、泣いていた娘を助けるために、一芝居打った時の事も。


 忘れていた事を思い出しながら、ポツリポツリと話してみれば、ハル爺は驚き、唸りながら答えた。


「うぅむ、そういうことじゃったのか。…いや、そのヤエさんはな、我が犬神家の中では珍しく、霊力を持たずに生まれてしまった人だったんじゃ。それが、隣村の農家の倅と恋仲になってしまって、まぁどうせならば好いた相手と暮せばよいと嫁いだはいいものの…やはり狗神筋と言われて大層いびられておったようでな。あまりの酷さに這う這うの体で逃げ出して、ここへ戻ってきたんじゃよ。以来、一人で本家の手伝いをしながら晩年を過ごしたという話じゃったが…」


 ハル爺はそこまで話して、冷めてしまったお茶をぐいと飲み、再びヤエの写真に視線を戻す。狛も俯き、言葉を失っているようだ。

 そして、猫田はヤエと初めて出会った時の悲しそうな笑顔を思い出していた。


(あの時、ヤエは傷だらけの手で俺を撫でながら、涙を堪えて笑っていたが…この写真を見る限り、幸せになったみたいだな)


 猫田自身、あの後【ささえ】が解散するきっかけとなった、恐ろしい戦いを経験したとはいえ彼女のその後を忘れてしまっていたことに内心で詫びながら、自然な笑顔で写るその姿を見て密かに胸を撫で下ろすのだった。


 猫田のヤエとの思い出話を聞いた後、ハル爺は「そんな話を知っているというのであれば、間違いあるまいて」と言い残し、笑いながら去って行った。一族の中でも相当身内に詳しい人間でもなければ、ヤエの事など知りえないだろうから、ある意味正しい判断と言えなくもない。


 ハル爺が部屋を後にしてしばらく経ってから、猫田は狛に話しかけた。


「おい狛、お前の兄貴の所に行かなくていいのか?」


「うーん、お兄ちゃんの準備が出来たら、呼びに来ると思うんだよね。何も言ってこないってことは、まだ行かなくていいんだと思うけど」


 暇潰しに縁側で足をぶらつかせながら、狛が答える。そう言われてしまっては、猫田は何も言えずに黙るしかない。それにしても、二人がここへ到着してからもう二時間ほども経っている。いい加減手持ち無沙汰だなと思い始めた所で、門の方から犬の鳴き声が聞こえてきた。


「あ!帰ってきたかな!」


 狛がそういうが早いか、庭を通って、黒い大型犬が狛の元へ一目散に駆け寄ってきた。狛は縁側から下りて抱きとめるように犬を抱えると、物凄い勢いで顔を舐められている。


「あはは!アスラってば!くすぐったいよ~!」


「おー、結構デカいな。お前の飼い犬か?」


「うん、アスラって言ってね。私が試練に合格したら、一緒に働くパートナーにもなるの。」


 既に狛の顔は涎でベトベトになっているが、そんなことは気にせず、狛は笑顔でそう語る。犬は古来より、猫に負けず劣らず霊力の高い動物とされている。昔話などでも犬を相棒に妖怪退治をする話はいくつも存在するように、訓練されて高い霊力を持った犬は、退魔士としても強い味方なのだ。


 そんな二人と一匹の元へ、ゆっくりとした足取りで近づく人影があった。


「…アスラ、そこまで。狛、お前も好きなようにさせすぎんな」


 ドスの効いた声が響くと、アスラはピタリと動きを止めて声の主の方を向いた。狛も一緒に小さくなってその場に立ち尽くしている。


「ご、ごめんなさい…!」


「ん?婆さんアンタこの間の…」


 猫田が廊下へ顔を出してみれば、そこにいたのは先程話に出ていたハル爺の妻、ナツその人であった。


「おう、お前この間の化け猫か。よく来たな、まぁ、ゆっくりしてけ」


 猫田の顔を見て、ナツ婆はニヤリと薄笑いを浮かべていた。もしこの場に、何も知らない第三者がいたら、素人目にはどっちが妖怪だか解らないだろう。ナツ婆は、山姥や鬼婆といった妖怪たちに匹敵する強面であった。

 余談だが、狛は幼い頃に悪戯をして、烈火の如く激怒したナツ婆に追いかけ回され、彼女に対して軽いトラウマを持っている。


 さて、公園での出来事に引き続き、またも化け猫呼ばわりされた猫田は、少しムッとした。というのも、猫田に限らず猫妖怪達にとっては、猫又と化け猫は全くの別物なのである。

化け猫が悪霊ならば、猫又は守護霊、その位の違いがあるものだ。人間には解り難いが、明確な差がある存在と言える。その為、猫田は抗議の意味もかねて今回は言い返すことにした。


「言っとくが、俺は化け猫じゃねー。猫又だ」


「どっちでも一緒じゃ」


 猫田の抗議に対し、ナツ婆はバッサリと、けんもほろろに言い返して、どこかへ歩いて行ってしまった。ハル爺は口数多くにこやかに話すタイプだが、ナツ婆は全く真逆のタイプらしい。猫田にしてみれば、やはり化け猫と猫又を一緒にされるのは心外なのだが、あの手のタイプは聞く耳を持ちそうにないし、追いかけて言い合いになるのもバカバカしいので、諦めることにした。


 溜息を吐く猫田をみて、狛は困った顔をして「なんか、ごめんね…?」と慰めの言葉をかけるしかなかった。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?